2008年1月26日土曜日

問題点の切り分けが大事

ぶっちゃけブログ 労組も本音で
【asahi.com】2008年01月26日
http://www.asahi.com/komimi/TKY200801170194.html

 残業代なし、正職員並みの仕事をしているのに、任期が過ぎれば即、解雇される。省庁で働く非常勤職員の相談を受け付ける労働組合のブログが、閲覧者を増やしている。率直につづられた「生の声」が共感を呼んでいるようだ。(アサヒ・コム編集部)

評判を呼んでいるブログ「がぶり寄り」 反響が大きかった「霞が関は『不夜城』だった!」  国家公務員一般労組のサイト内にあるブログ「がぶり寄り」。組合専従職員の浅尾大輔さん(37)が、組織拡大の担当になったのを機に始めた。呼びかける相手は、今まで労組とは縁のなかった非常勤職員たち。心がけたのは、誰にでも共感してもらえる「生の声」だ。

 内容は、労働問題だけでなく、大学時代の同級生と再会した話、おすすめの本など、多岐にわたる。「団体交渉をご体験ください(笑)」など、ブログならではの文体で書かれている。

 2004年8月の開設時、月100人ほどの閲覧者だったのが、今では1日800人が訪れるまでに成長した。

 組合のホームページでも様々な問題が取り上げられているが、どれも組織としての公式見解ばかり。浅尾さんは、個人の思い、悩みや喜びをそのまま公開しなければ、労働組合に関心のない人を引き寄せることはできないと感じていた。

 本音を思う存分、書くために、ブログは浅尾さん個人のページとして運営している。プロバイダーも個人で契約した。

 ブログが威力を発揮したのは2005年2月に載せた「霞が関は『不夜城』だった!」という文章。定時出社、定時退社の楽な職業だとみられていた公務員だが、末端の職員は深夜まで残業を強いられている実態を告発した。

 浅尾さんは霞が関を回り、各省庁のビルを撮影した。電灯が消えない様子を写真と一緒にすぐさまブログに掲載。「午前5時の霞が関」という見出しを付けた文では「財務省はやはり眠らないつもりのようだ」と報告した。

 「不夜城」はネット上で評判となり、様々なサイトからリンクが張られた。「一見、労働問題と関係ないところから、アクセスしてもらえるのがネットの一番の利点。機関紙を配る従来のやり方ではまねできないこと」

 ブログの名が知られると、相談のメールも増えた。今は月に5~6件ほど寄せられる。

 現在、国家公務員一般労組が問題視しているのは、1日ごとの契約として働かされる「日々任用」だ。「日々任用」は非常勤職員の雇用形態として横行しており、病欠や、上司に苦情を言っただけで解雇される危険がある。

 「まじめな人ほど、『国の大事な仕事をしているはずの官庁が、このままでいいのか』という疑問を抱いている」と浅尾さん。期待を寄せるのは、ネットの持つ「ワンクリックの自発性」だ。

 「住む場所も、仕事も違う、見ず知らずの非組合員が自分からアクセスしてくれる。従来の組合活動ではあり得なかったこと。若者も国会議員も納得するような言葉を発していきたい」

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 「組合」というと、どうも左寄りで、理想主義的で、しかも、暴力的なイメージをいだいています。これは一般的な意見ではないかもしれませんが、私の受けている印象はこういうものだと申し上げておきます。

 世間になにかを訴えていくためには、組織を作り、連帯し、賛同者と資金を増やして運動を繰り広げていかなくてはならないのでしょうが、その過程でヒモ付けされるいろんなものが、本来の主張だけでなく、「Aを通すための組織で、Aを通すために賛同していたのに、その組織がBを通すための組織と連帯していたので、大した説明もないままBの運動にも加担する結果となった」というのはどうもすっきりしません。はっきり言うとだまされたような気になってしまいます。そういうのが嫌で、多くの人はこういうものから距離をおいているのでしょう。

 国民的な支持を受けていた「薬害エイズ」の問題のときも、運動に参加していた小林よしのりはこういう危険性を指摘していました。

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『新・ゴーマニズム宣言スペシャル・脱正義論』発刊原告団勝訴後、運動に協力した学生ボランティアが、協力団体(共産党系)の影響で、薬害問題に限定したボランティアではなく、永続的な薬害運動、そして「戦争責任追及」など、無関係な問題にスライドさせられている事例を知り[3]学生が日常生活に戻らなくなる事を危惧し、作品内において「ボランティアの役目は終わった。後はプロフェッショナルの仕事であり、学生は日常へ復帰して、現場に出てプロの仕事をして、次の薬害を防げ!」と主張した。

また左翼運動家を「弱者にたかるハイエナ」と批判した。しかし支える会からは「ボランティアの役目は永遠に終わらない、二度と悲劇が起こらないよう行政をボランティアの目から監視すべきだ」と批判された。

14章問題・「支える会」との対立支える会との対立は、新・ゴーマニズム宣言14章[4]が掲載された事から起こった為、「14章問題」と言われる。読者を切り捨ててでも自らの主張を貫く、小林よしのりの姿勢を印象付けた事件であった。

ボランティアの中心となった学生は、14章が発表された時点から、団体の人間からの批判に晒され、小林に対しては、沈黙と批判で答える事となる。その後、小林は学生と対話するが要領を得ず、「私達は、良いことだけ言ってくれるよしのりさんが欲しかったんです(カナモリ日記)」などと言われ、決裂が決定的となる。

なお、HIV訴訟の代表川田龍平に原告団や学生達が民青などの左翼活動家に利用されていることを小林が問うと川田龍平は「知ってますよ」と答えた。小林にはそれが自分に対する悪意を見せたかのように感じられ、愕然としたという[5]。

代表辞任へ小林は学生に範を示す意を持って会長を辞任したが実質的な解任であった。ゴー宣と脱正義論で自省と「運動の正義」への批判を行い、薬害エイズ運動を沈静化させる道を選んだ。「学生は運動をやめて日常に復帰せよ!」と、運動家に乗っ取られた薬害エイズ運動を批判した小林を、ボランティアの学生達、弁護士らは激しく抗議した。
団体の広報誌では、小林よしのり批判の方が薬害エイズ批判よりも多くなってしまう状態となった反面、ゴー宣読者からは驚きと好意的な反応が帰ってきていた。小林はこの後、読者には「良き観客でいろ」と言い、その後の様々な活動でも読者に一定の距離を保つことを求め続け、現在に至っている。(wikipedia)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%82%BA%E3%83%A0%E5%AE%A3%E8%A8%80

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 ここの考えには賛同する一方、それに付帯するいろんなものをかたまりにして、二者択一をせまるのは、「楽なほうがいい」という人にとってはシンプルでいいのでしょうが、どうも乱暴な感じがします。結果として、そうであっても、できる限り、いろんな問題を自分の頭の中に取り入れてから、個別の問題いついての解答を出し、包括的に結論を出すほうが、自分の信条にマッチしています。

 ようするに、「郵政民営化に賛成なら自民党」とか「政権交代が必要だから民主党」という選択の迫り方は、問題を矮小化し、話題を限定化し、本当の意味での選択から目をそむけさせているだけに思います。

 さて、話題がそれましたが、組合活動というものは、「反権力」というキーワードを軸に様々なものとくっついてしまっているように思います。それの集合体として、保守VS革新、右翼VS左翼みたいなものとして捕らえられてしまうのだと思いますが、実際には、様々な個別の問題の集合体で、そこには「こっちは賛成だけど、この問題には反対」ということも多いはずです。

 公務員の問題についても、「税金の無駄遣い」といわれてもしょうがないことがいっぱいある反面、本当に夜遅くまでがんばって国民のためになることを進めている人たちはたくさんいるわけです。

 とかくマスメディアに左右されがちな世論ですが、そんな第四の権力を監視し、正しい選択をしていくためにも、思考停止することなく、幅広い問題に目を向け、自分の意見を持つことが大切だと思います。


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