2008年1月8日火曜日

被害者の無念に資する司法を

3児死亡事故の今林被告に懲役7年6月、危険運転罪退ける【読売オンライン】http://kyushu.yomiuri.co.jp/news/ne_08010852.htm


 2006年8月、幼児3人が犠牲になった福岡市の飲酒運転追突事故で、危険運転致死傷罪と道交法違反(ひき逃げ)に問われた元市職員今林大(ふとし)被告(23)の判決公判が8日、福岡地裁で開かれた。川口宰護(しょうご)裁判長は「酒酔いの程度が相当大きかったと認定することはできない」と述べ、危険運転致死傷罪(最高刑懲役20年)の成立を認めず、予備的訴因として追加された業務上過失致死傷罪(同5年)を適用、道交法違反(酒気帯び運転、ひき逃げ)と合わせ法定刑上限の懲役7年6月(求刑・懲役25年)を言い渡した。

 量刑理由について、川口裁判長は「結果の重大性、事件の悪質性にかんがみると、刑の上限をもって臨むのが相当」と述べた。
 今林被告は危険運転致死傷罪で起訴され、公判では、同罪の適用要件である「アルコールの影響により正常な運転が困難な状態」だったかどうかが争点となった。

 川口裁判長は、今林被告が運転を始めた時、「酒に酔った状態にあったことは明らか」としながらも、〈1〉スナックから事故現場まで蛇行運転や居眠り運転をせず、衝突事故も起こさなかった〈2〉事故直前、被害者の車を発見して急ブレーキをかけ、ハンドルを切った――ことなどを重視し、「アルコールの影響により、正常な運転が困難な状態にあったと認めることはできない」と判断した。その上で「景色を眺める感じで脇見をしていた」とする今林被告の供述の信用性を認め、事故の原因については「今林被告が漫然と進行方向の右側を脇見したことにあった」と結論づけた。

 弁護側は、業務上過失致死傷罪を適用した上で、執行猶予を求めていたが、川口裁判長は「前方を注視し、進路の安全を確認するという最も基本的かつ重要な業務上の注意を怠った。酒気を帯びた状態にもかかわらず、時速約100キロの高速度で運転し、危険極まりなく悪質」として退けた。

 ひき逃げについても「市職員の身分を失いたくないなどと自己保身に汲々(きゅうきゅう)としていた。交通規範意識は著しく鈍麻していた」と指摘。さらに飲酒運転による悲惨な事故が後を絶たないことに触れ、「家族の幸せを一瞬にして破壊し、葬り去った本件のような交通事故が繰り返されないよう願わずにはいられない」と述べた。

 検察側は、今林被告の言動や警察官による飲酒の再現実験などから「被告は相当酩酊(めいてい)し運転操作が極めて困難な状態だった」と主張。危険運転致死傷罪と道交法違反の併合罪で法定刑上限の懲役25年を求刑した。同地裁は結審後の昨年12月18日、福岡地検に対し、業務上過失致死傷罪と道交法違反(酒気帯び運転)を訴因に追加するよう命令。同地検は「命令に応じなければ、3児死亡の重大事故でありながら、危険運転致死傷罪について無罪になる可能性がある」と判断。判決言い渡し前に再開された弁論で、業務上過失致死傷罪を予備的訴因として追加する変更手続きを行った。
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 なにも悪いことをしていないのに、悪いことをした人がいたせいで、家族を奪われた遺族の気持ちに思いを致すと胸が苦しくなります。たしか、事故の後、この被告に水を飲ませて飲酒運転を隠蔽しようとした友人が「証拠隠滅」の疑いで逮捕されているはずです。裁判での立証責任は検察側にあるのも十分分かるのですが、「酩酊とは言い難い程度の飲酒だったので、3人が亡くなるような重大事故が結果としておきたとしても、正常な運転が困難な状態にあったと認めることはできない。」というのは実に不可解です。

 とかく、刑事裁判において、「…と認めることはできない」とか「…は否定できない」とか、どこまで完璧に証拠を固めないと認定されないんだ、という歯がゆさが残りますね。

 もっと不可解なのは、(まあこの裁判ではないんですけどね。)「被告の更正の可能性を否定できない」っていうやつですね。そりゃ、どんなヤツだって、1%くらいは更正の可能性はあるでしょうよ。でもそれって罪を減じるに値する要素なの?っと思ってしまいます。

結局、現行の制度では、法令、立件過程、裁判過程といろんなところで不作為が入り込み、最高刑から引き算で減刑されたところの落とし処=判決 みたいになっている気がします。
これから裁判員制度がスタートしますが、裁判員制度によって、裁判自体の議論がものすごく沸騰する
気がします。

それにしても、3人死んでも、ほろ酔いだったからとか、余所見だったからとか、被告の年齢がとか、被告の心理状態が…とか、被害にあった人とはまったく関係ないところで裁きが下るいうのも、いかがなものかと。被害者感情にべったり、とか世論になびいて、なんて判決は困りますが、ただ、現在のように刑法という亜空間の閉じた議論のなかで完結してしまうのも、それはそれで異常な気がします。




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