2008年4月30日水曜日

時代のディーバ



Utada Hikaru - Boulevard Of Broken Dreams




Kingdom Hearts Ending LIVE Utada Hikaru - Simple and Clean




Utada United 2006- Kremlin Dusk




This is love




devil inside





Addicted to you




Utada Hikaru / Stay Gold Live




宇多田ヒカル - 少年時代(井上陽水カバー)




Utada Hikaru- Colors UH LIVE




Utada Hikaru- Flavor Of Life (Live)




Utada Hikaru - For you




(LIVE) UTADA UNITED 2006 - Traveling




Utada Hikaru - I Love You (Live)




First Love

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というわけで、特に脈絡もなく、宇多田ヒカルのLiveを集めてみました。

まぁ、自分のBookMarkみたいなもんです。

とりわけ「大ファン」というわけではないのですが、First Love にはかなり感動しました。

今まで、PVで見るほうが多かったのですが、これを見るとコンサートにも行ってみたくなりました。

最後に、宇多田ヒカルの足跡です。




Utada Hikaru: The Singles 1998 - 2008: 宇多田ヒカル





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2008年4月29日火曜日

まるで羅生門。

世界最低の国、日本
【アリ@freetibetさんの日記】2008年04月27日00:39
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=787996903&owner_id=2071143

聖火リレー、行ってきました。 まず皆さんにお願い。 この日記を転載、リンクして頂いてかまいません。 動画3つまでしか載せれないため、 動画ありと書かれたものは僕のメインページの動画にあります。

4/26日を振り返ります。

早朝、善光寺へ向かった。 Mちん、Tさん、F君、Yちゃんと5人で。
町には何台もの大型バスが乗り入れ、中国人が降りてくる。 僕らがそれぞれ旗を作り、プラカードを作り、前日からカラオケボックスで寝ていたのに対し、 彼らは中国大使館から支給された巨大な旗と、チャーターバスで堂々登場した。
善光寺参拝が終わり、街中へ。 とりあえず聖火リレー出発地点へ向かった。 ここで日本とは思えない景色を目にした。


出発地点に、中国の旗を持った人は入場できるが、チベットの旗を持った人は入れない。 警察の言い分。 「危険だから」 じゃあ、何で中国人はいいんだ? 「......ご協力お願いします。」
は? それやらせじゃん。 中国国旗しかない沿道って、警察が作ってるんじゃん。


その時の抗議の様子

この後TBSの取材が来た。 チベットサポーターの1人が、 「日中記者交換協定があるから映せないのか?」とアナウンサーに聞いた。 アナウンサーは「は?勝手に叫んでれば?」 と吐き捨てて消えた。
街中に行くとどこに行ってもFREETIBETと叫んでいる。 そこに中国人が押し寄せ、罵声を浴びせてくる。

交差点で中国人と僕らが入り乱れた。 突然Mちゃんが顔面を殴られた。
僕は殴った中国人のババアを捕まえて、目の前の警察に言った。
「こいつ殴ったぞ!!」 警察は何もしなかった。
ババアが俺の手を噛んだ。手から血が出た。 警察と目が合った。
警察は何もしなかった。
ババアが僕の顔面を殴ってきた。 周りのチベットーサポーターが、 「おい、警察、現行犯だろ、捕まえろよ!!!!」 と言ったのに、 警察は何もしなかった。
これが抗議活動中じゃなかったら、普通にブチ切れて乱闘になってる。 でも非暴力を貫く為、ひたすら耐えた。

Mちゃんが1日かけて一生懸命書いたプラカードを、 中国人が叩き落とした。
拾おうとするMちゃん。踏みつける中国人。
「おい、てめー何やってんだよ!」と制止に入った。 2mくらいの距離に警察がいたが、何もしなかった。
街中いたるところで抗議合戦。 救急車が来たり大騒ぎ。 僕らはひたすら抗議活動をした。 (動画あり)
雨が降ってきた。 それでも誰も抗議を辞めなかった。 中国人がかたまってる交差点を、 Tさんと旗を振りながら渡った。


沿道の中国人は蹴りを入れてくる。 とても沿道に入れず、車道を歩いていた。 警察が来て言った。 「早く沿道に入りなさい!!」 は?今入ったらボコられるじゃん。
なんで日本人の安全を守ってくれないの? 「じゃあ、あいつらに蹴りいれるの辞めさせろよ!!」と僕は叫んだ。 警察は「ご協力お願いします」と言った。

雨の中、聖火リレーのゴール地点へ向かった。 何故か中国人とチベットサポーターに分けられた。 警察は、「後で聖火の方に誘導するから。」と言った。 嘘だった。 ゴールの公園の外の何も無いスペースにチベットサポーターは閉じ込められた。 聖火なんか、どこにもなかった。 目の前には警察が何十人も取り囲んでいた。 こんな場所じゃ、声すら届かない。 数百人のチベットサポーターは、泣きながら警察に向かって叫ぶだけだった。 国境無き記者団もこちら側に来させられていた。 代表がマスコミのインタビューに答えていた。 (裏から撮影した動画あり)

聖火リレーがいつ終わったのかも分からないまま、 土砂降りの中僕らは叫び続けた。 この声を、伝えることすら出来ないのかと思ったら涙が溢れてきた。 MちゃんもF君も泣いていた。 こんなのってあんまりだ。 せめて伝えて欲しいだけなのに。
この叫びを聞いていたのは目の前に並んだ警察だけだった。

チベット人の代表が弾圧の現状を訴えた。 涙が止まらなかった。 内モンゴルの代表が弾圧の現状を訴えた。 涙がとまらなかった。

伝えたい。ただ伝えたいだけなのに、国家権力によって封殺された。 悔しい。悔しい。

日本は最低な国だ。 平和だ、人権だと騒ぐ割には、 中国の圧力に負けて平気でこういう事をする。
警察を使って。

帰りに携帯でニュースを見た。 「聖火リレーは無事終了。沿道は大歓迎ムード。」 「聖火リレーで日本人5人逮捕。中国人留学生に怪我。」

僕は愕然とした。 この国のマスコミは終わったと感じた。

あの怒号は、 僕らが受けた痛みは、 彼らの悲痛な叫びは、 どこに反映されたのだろう。
警察によって意図的に中国人のみの沿道を作り、 そこをマスコミは撮影し、 中国人の暴力を黙認して、日本人を逮捕する。 これが日本のやることか? ここは本当に日本なのか? 中国の旗を持たないと歩けない沿道って何なんだ?


この国は最低な国です。 チベット人は泣きながらありがとうと言っていたけれど、 僕は彼らに謝りたかった。 初めて日本人であることを恥じた。

帰り道、僕らは泣いた。

これが真実です。 僕は日本政府は中国以下だと思った。 弾圧にNOを言えずに、言いなりになって彼らの叫びを封殺したこの国は、もう民主主義国家ではない。

4/26日長野。 そこには言論の自由はなかった。 歩行の自由すらなかった。 中国人を除いて。
追記:どなた様も、転載の許可必要ありません。 報告だけしていただけると、反応が見れて嬉しいのでお願いします。 動画が消えたりするるみたいですが、また報告していただけたら何度でも載せなおします。 マスコミの嘘つき。大嫌い。 FREE TIBET!!


追追記:コメント数パンクのため、 新しい日記の方にお願いします。 また、コメントにあった質問等にもある程度お答えさせて頂きました。

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ミクシーではすでに30000人の人がこの日記を閲覧したそうです。また、このブログと同じく転載しているところも多いようなので、目にした人も多いでしょう。このアリ@freetibetさんの日記には、このエントリだけではなく、チベットへの旅行で見たことや、長野の抗議行動で起きたことなど、様々アップしてありますのお勧めします。

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ラサ燃える(その48)長野で警備に当たっていた自称警官「群衆が怖くて」
http://iori3.cocolog-nifty.com/tenkannichijo/2008/04/48_3e1d.html
コメント欄より

568 :名無しさん@八周年:2008/04/27(日) 09:25:21 ID:3tNZyy/q0今回の長野聖火警備実施結果について、私なりの「警察側」見解を述べます。 話の内容は警察にかんするものだけで、あとの事は書きません。
今回の警備実施目的 聖火及び聖火リレー走者に害を及ぼさせない これが最大にして最終的な目的です。

リレーの邪魔をする可能性の排除
1 右翼 2 チベット関係者及びその支援者 3 反中意識の高い日本人(まあ、現在爆発的に増加中とは思いますがw) に対し、聖火リレーの妨害をしないよう事前に対処する。 (チベット旗を持っている者の行動が予測出来ないことから、事前に声かけし、飛び出し・妨害を起こす気をそぐ)

中国人に対する対処 1 中国人がリレーの妨害をするとは考えられない。 2 チベット関係者や右翼とのトラブルが予測される(そもそも、その為に集まってる) ことから、徹底的に右翼・チベット関係者との距離をおかせる必要がある。 とにかく中国人側の方が人数的に多いことから、右翼・チベット関係者をなるべく一カ所にまとめ、保護する。

不法事案発生時の対処 1 最大の目的はリレーの完走であるから、リレー妨害に関わる事案は確実に検挙する。 2 上記を最大の目的とするために、リレー警備に当たっている者は受け持ちを確実に守る。

となると、リレー走者が通り過ぎるまでは、その周辺に騒ぎを起こさせないことが大切。 1人検挙すれば、その周辺の警官が最低3名、騒ぎが大きくなればどれだけ予備隊を投入すればよいか見当もつかない。
故に、通過までは積極的な検挙活動には転じることができないわけです。

577 :568:2008/04/27(日) 09:28:54 ID:3tNZyy/q0ここからは警察官個人の本音です。
警察はどちらの味方もできない。 あれだけの人数の前で、完璧な対処(検挙)をするためには、法整備が全く追いついていない。 それに最も悔しい思いをしているのが警官です。
中国様が怖い? 冗談じゃありません。 警察官ほど中国の悪質さを知っている職業はありません。 中国という国そのものがあってはならない国だと、腹に据えかねるいるのが警察官です。 それを見事にネット情報に惑わされて、「今後警察には協力しない」だの、「長野県警は腐ってる」だのと… 自分で考えることを止めてはそこで思考停止。
その程度では糞中国人どもと何ら変わりません。

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テレビを見ていても、まったく臨場感が伝わってこなかったのですが、現地にいた人の見たこと、聞いたことがようやくネットに表れてきました。情報化社会と言われていますが、結局のところ、断片的なピースを丹念に拾い集めて、組み合わせて見ないことにはなにもわからないということが、この事件を通じて、あらためてわかりました。

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とうとう私の許にも『令状』が届きました
【徒然草】2008/04/19 22:39
http://victoria.iza.ne.jp/blog/entry/548513/#tback

会社から自宅に転送されたメールに、「長野市での集会への参加のお誘い」が入っていました。(今回もまた、事情あってその内容を詳細にお伝えできないことをお許しください)
4月26日に長野市内某所に集合と言うことで、何故か聖火の出発地点まで既に伝えられていました。
其所で、参加者には交通費が支給されるということなので、私は土曜日に長野に行ってこようと思います。(略)


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このブログは林 則徐さんという中国人(ハーフ?)の方のブログのようです。この方は、中国に関係する団体から、長野の聖火リレーに動員をかけられてことをエントリしています。

以上、現地でチベット独立抗議運動をしてきた人、現地で警備にあたった警察官、動員をかけられた中国人という3つの立場(と思しき人)の書き込みを紹介しました。

いずれ、「信じるか信じないかはあなた次第」ということなのですが、マスコミが伝える映像や情報も、イマイチすんなりと消化できないのも確かなわけで、中国による聖火リレーが、平和とも、人類の調和とも程遠いひどいものだということはわかっているのですが、実際にどうひどいのか、どの位ひどいのか、というのは草の根の声に耳を傾け、判断していかなくてはならないでしょう。

ただ、「『フリー・チベット』と叫んでいる行為は、スポーツに政治を持ち込んでいる」といいながら、『ワン・チャイナ』とシュプレヒコールを上げている連中というのは一体なんなのか。聖火リレーから始まった、このオリンピックが閉会式まで、どういう事が起きるのかを記憶していかなくてはなりません。



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2008年4月26日土曜日

光市母子殺人事件判決




光市母子殺害判決の要旨

【産経ニュース】2008.4.22 17:45

http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/080422/trl0804221753029-n1.htm





【主文】


 第1審判決を破棄する。被告人を死刑に処する。




【理由】


《1》審理経過
 本件の審理経過などは以下のとおりである。



(1)平成11年4月14日夜、本村洋方の押し入れおよび天袋の中から同人の妻(以下「被害者」という)および長女(以下「被害児」という)の遺体が発見された。被告人は同月18日、被害者らを殺害したことを認めて逮捕され、勾留後、少年であったことから、山口家裁に送致された。そして、少年法20条の決定を経て、山口地裁に本件公訴が提起された。


(2)山口地裁は、被告人が美人な奥さんと無理矢理にでもセックスをしたいと思い、アパートを10棟から7棟にかけて、排水検査を装って各室の呼び鈴を押して回り、7棟の被害者方で排水検査を装ったところ、被害者に招じ入れられたことなどから、被害者を強姦しようと企て、その背後から抱きつきあおむけに倒して馬乗りになるなどしたが、激しく抵抗されたため、殺害した上で目的を遂げようと決意し、同女の頚部(けいぶ)を両手で強く絞めつけ、同女を窒息死させた上で強いて姦淫し(第1)、被害児が激しく泣き続けたため、付近住民に犯行が発覚することを恐れるとともに、泣き止まない同児に激高して、その殺害を決意し、同児を床にたたきつけるなどした上、首にひもを巻き強く引っ張って絞めつけ、同児を窒息死させて殺害し(第2)、被害者管理の地域振興券約6枚など在中の財布1個を窃取した

(第3)旨、本件公訴事実と同旨の事実を認定した。
 そして、被告人の刑事責任は極めて重大であるとしながらも、極刑がやむを得ないとまではいえないとして、被告人を無期懲役に処した


(3)差し戻し前控訴審裁判所は、検察官の量刑不当を理由とする控訴を棄却した。


(4)検察官が上告を申し立て、最高裁は、第1審判決の量刑を是認した差し戻し前控訴審判決は刑の量定が甚だしく不当であり、これを破棄しなければ著しく正義に反するとして、差し戻し前控訴審判決を破棄し、死刑の選択を回避するに足りる特に酌量すべき事情があるかどうかにつきさらに慎重な審理を尽くさせるため、本件を当裁判所に差し戻した。


《2》差し戻し控訴審の経過
 被告人は、強姦および殺人の計画性を争ったほかは、ほぼ一貫して、本件公訴事実を全面的に認めていた。そして上告審においても、公判期日が指定される以前は裁判所や弁護人に対し、本件公訴事実を争うような主張や供述をしていなかったことがうかがわれる。
 ところが被告人は当審公判で、本件各犯行に至る経緯、各殺害行為の態様、犯意などについて、供述を一変させた。

 すなわち、アパートの各室を訪問したのは、人との会話を通じて寂しさを紛らわせるなどのためであり、強姦目的の物色行為ではない。被害者を通して亡くなった実母を見ており、母親に甘えたいなどという気持ちから被害者に抱きついた。被害者の頚部を両手で絞めつけけたことはない。仰向けの被害者の上になり、その右胸に自分の右ほおをつけた状態で、被害者の右腕を自分の左手で押さえ、自分の頭より上に伸ばした右手で被害者の身体を押さえていたところ、被害者が動かなくなり、見ると、右手が逆手の状態で被害者の首を押さえていた。被害者をあやめてしまったという自責の念から、ポケットに入れていたひもを自分の左の手首と指に絡めるようにし、右手で引っ張って締め、自傷行為をしていたところ、被害児が動かない状態になっているのに気が付いた。被害児の首を絞めたという認識はない。被害者に生き返って欲しいという思いから姦淫した。被害者方に持っていった布テープと間違えて、財布を被害者方から持ち出した。殺意も強姦および窃盗の犯意もなかった――というのである。
 死刑の選択を回避するに足りる特に酌量すべき事情の有無を検討するに当たり、被告人が本件各犯行をどのように受け止め、本件各犯行とどのように向き合い、自己のした行為についてどのように考えているのかということは、極めて重要である。
 そこで、当裁判所は、被告人の新供述の信用性を判断するための証人尋問なども行った。


《3》新供述に至るまでの供述経過
 被告人の新供述に至るまでの供述経過は、以下のとおりである。


(1)被告人が逮捕された翌日に作成された被告人の検察官調書(乙15)には、被害者をレイプしようとしたところ、激しく抵抗されたことから、首を手で絞めて殺し、その後レイプした、被害児が激しく泣き続けたので、黙らせるために首をひもで絞めて殺したなどと、本件公訴事実を認める内容の供述が記載されている。
 それ以降作成された被告人の捜査段階の供述調書には、細かな点について多少の変遷などはあるものの、本件公訴事実自体については一貫して認める供述が記載されている。
 なお、被告人の平成11年6月10日付検察官調書(乙32)には、自宅を出た後、アパートの3棟に向かう途中で、アパートを回って美人の奥さんでもいれば話をしてみたい、セックスができるかもしれない、作業着を着ているので、工事か何かを装えば怪しまれないだろう、押さえつければ無理やりセックスができるかもしれない、布テープを使って縛れば抵抗されずにセックスができる、カッターナイフを見せれば怖がるだろうと考え始めたが、まだ、本当にそんなにうまくできるだろうかという半信半疑のような状態であった。排水検査を装って回るうち怪しまれなかったため、本当に強姦できるかもしれないとだんだん思うようになった、被害者を強姦しようという思いが抑えきれないほど強くなったのは、部屋の中に入れてもらってからである――などと記載されている。




(2)被告人は、家裁での審判において、本件殺人、強姦致死、窃盗の各事実は間違いない旨述べた。


3)被告人は、第1審において、本件公訴事実を全面的に認める供述をし、遺族に対する謝罪の言葉を述べた。


(4)被告人は、差し戻し前控訴審においては本件各犯行について供述していない。


(5)上告審においても、平成16年1月5日に提出された答弁書をみる限り、第1審判決が認定した罪となるべき事実を争っていなかった。
 しかし、平成17年12月6日、公判期日が指定された後、安田弁護士および足立弁護士を弁護人に選任した旨の届け出がなされ、それまでの弁護人2名が辞任したところ、安田弁護人ら作成の平成18年3月7日付弁論期日延期申請書には、被告人から、強姦の意思が生じたのは被害者殺害後であり、捜査段階および第1審公判の各供述は真実と異なるという申し立てがあった旨記載され、また、同弁護人らは、その作成に係る弁論要旨、弁論要旨補充書等において、本件各殺害行為の態様は判決が認定した事実と異なるなどとして、差し戻し前控訴審判決には著しく正義に反する事実誤認がある旨主張した。
 そして、上告審に提出された被告人作成の同年6月15日付上申書にも、これら弁護人の主張と同趣旨の記載がある。


《4》被告人の新供述の信用性および第1審判決の事実認定に対する弁護人の主張について


(1)被告人が当審公判で旧供述を翻して新供述をするに至った理由などとして述べるところは、以下のとおり要約できる。
 (ア)検察官の取り調べで、被害者とセックスしたことを、自分はレイプと表現せず、エッチな行為と話し、レイプであると決めつける検察官と言い争いになった。
 レイプ目的がなかったとあまりにも言い張るのであれば、死刑という公算が高まる、生きて償いなさいと言われて、検察官が作成した供述調書に署名した。
 また、供述調書に不服などがあれば、後で供述調書を作成してもらえると約束した。その約束があったので、殺すつもりや強姦するつもりがあったという供述調書の作成に応じた。
 捜査官に押しつけられたり誘導されたりして、捜査段階の供述調書が作成された。
 (イ)第1審で真実を話すことができなかった。人をあやめてしまっている事実や姦淫している事実は、自分自身がしたことでもあり、殺害や強姦の態様などが裁判の結果に影響するという認識は全くなかった。
 また、弁護人との事前打ち合わせが十分でなかった。弁護人に対し、強姦するつもりはなかったと話したが、通常この事件は無期懲役だから、死刑になるようなリスクがある争い方はしない方がいいと言われた。
 弁護人に対し、殺すつもりがなかったと言うことができなかった。姦淫した理由が性欲を満たすためと述べたのは、生き返らせようと思って姦淫したと言うと、ばかにされると思ったからである。
 (ウ)差し戻し前控訴審の弁護人に対し、犯行態様や計画性などが、第1審判決で書かれている事実とは違う、強姦するつもりはなかったというところを、どうにかしてもらえないかということを伝えた。
 (エ)平成16年2月から教戒を受けるようになり、教戒師に対し事件の真相を話した。そして、平成18年2月に安田弁護士らと初めて接見した際、事件のことを自分の口から教えて欲しいと言われ、被害者に甘えたいという衝動から抱きついでしまったこと、殺すつもりも強姦するつもりもなかったこと、右片手で押さえたことなどを話し、被害児にひもを巻いたことは覚えていないことなどを話した。
 自分の供述調書を差し入れてもらい、事件記録を初めて読んで、あまりにも自分を見てもらえていないことに憤りを覚えた。そして、細かい経過を思いだして紙に書き表し、勘違いや見落としを修正して上申書を作成した。


(2)旧供述を翻して新供述をした理由などに関する被告人の供述は、不自然不合理である。
 (ア)新供述と旧供述とは、事実経過や本件各殺害行為の態様、殺意、強姦の犯意の有無などが全く異なっている。自分の供述調書を差し入れてもらって初めて、その内容が自分の経験と違っていることに気付くというようなことはあり得ない。
 しかるに、本件公訴が提起されてから安田弁護士らが弁護人に選任されるまでの6年半以上もの間、それまでの弁護人に対し、強姦するつもりがなかったということを除いて、新供述のような話を1回もしたことがないというのは、あまりにも不自然である。被告人は第1審弁護人と接見した際、供述調書を見せられ、内容の確認をされた旨供述しているのであるから、その機会に供述調書の誤りを指摘し、新供述で述べているような話をしなかったということは考えられない。
 被告人は、弁護人が非常に頼りない存在であると認識しており、相談できなかったなどと供述している。
 しかし、被告人は、判決書が朗読されるのを聞いているほか、判決書や検察官作成の控訴趣意書などを読んで、犯行態様や動機について全く違うことが書かれているのは分かった旨供述していることに照らすと、弁護人に対し、判決で認定された事実が真実とは異なるなどと話したりすることもなく、無期懲役という極めて重い刑罰を甘受するということは考え難い。特に、差し戻し前控訴審の国選弁護人2名は上告審において私選弁護人に選任されているところ、これは、被告人が両弁護士を信頼したからこそ弁護人として選任したものと解される。
 そして、差し戻し前控訴審の国選弁護人が選任されてから上告審で公判期日が指定された平成17年12月6日までの問、弁護人は被告人と296回もの接見をしている。しかも、被告人は父親との文通が途絶え、弁護人が衣服、現金などの差し入れをしてくれるなど親代わりになったような感覚であった旨供述しており、多数回の接見を重ねた弁護人に対し、強姦するつもりはなかったという点を除いて、新供述で述べるような話をしなかったというのは、まことに不自然である。
 また被告人は、同弁護人に対し、一貫して強姦するつもりがなかったことを伝えたというのであるが、そのような説明を受けた弁護人が、死刑の可否が争われている重大事件において、強姦の犯意を争わないということは通常考えにくい。同弁護人作成の答弁書および弁論要旨をみても、強姦の計画性を争うのみであり、むしろ、強姦の犯意を生じたのは犯行現場においてであるという趣旨の主張が記載されているところ、そのような記載がされた理由について、被告人は分からないと述べるにとどまっている。
 なお、被告人は弁護人に対し、強姦するつもりはなかったと言ってはいないとも供述している。このように供述が変遷すること自体不自然である。
 被告人が公訴提起後6年半以上もの間、弁護人に対し、新供述で述べるような話をしたことがなかったのに、初めて接見した安田弁護士らから、事件のことを話すように言われて、新供述を始めたというのも不自然であるところ、被告人は納得できる説明をしていない。 (イ)被告人が検察官から生きて償うように言われて、事実とは異なる内容の供述調書の作成に応じたというのが真実であれば、死刑求刑は検察官の重大な裏切り行為であり、被告人が旧供述を維持する必要は全くない上、弁護人に対し、検察官に裏切られたとして事案の真相を告げ、その後の対応策などについて相談するはずである。
 しかるに、弁護人は弁論において本件公訴事実を争わなかったし、被告人も最終陳述において本件公訴事実を認めて、遺族に対する謝罪を述べたのであり、検察官に対する不満も何ら述べていない。
 しかも、被告人は供述調書の内容について、後で訂正してもらえるという約束があったというのであるから、新供述に訂正する供述調書の作成を求めたり、その旨弁護人に相談したりするなどしてもよさそうであるのに、そのような行動に出た形跡もない。生きて償うよう言われて、事実とは異なる内容の供述調書の作成に応じた旨の被告人の供述は、たやすく信用できない。
 (ウ)被告人は、安田弁護士から事件記録の差し入れを受け、初めて真相が分かったかのような供述をするが、自分の記憶に照らし、検察官の主張や判決の認定事実が真実と異なることは容易に分かるはずであり、事件記録を精査して初めて分かるという性質のものではない。



(3)被害者に対する殺害行為について
 (ア)被告人は当審公判で、被害者の頚部(けいぶ)を両手で絞めつけたことはない旨述べ、仰向けの被害者の上にうつぶせになり、同女の右胸に自分の右ほおをつけ、同女の右腕を自分の左手で押さえ、自分の頭より上に伸ばした右手で同女の身体を押さえ、右半身に体重がかかるようにして両足で踏ん張っていたところ、同女は徐々に力がなくなっていき動かなくなった、見ると、自分の右手が被害者の首を押さえており、右手の人さし指から小指までの4本の指と手の甲が見えるが親指は見えず、指先は左側を向いていた旨供述している。この供述によると、被告人は逆手にした右手だけで被害者の頚部を圧迫して死亡させたということになる。
 (イ)しかし、この点に関する被告人の当審公判供述は被害者の遺体所見と整合せず、不自然な点がある上、旧供述を翻して以降の被告人の供述に変遷がみられるなど、到底信用できない。
 (a)被害者の右前頚部(以下、被害者の身体の部位や動きに関する左右の向きは被害者を基準とし、頭側を上、足側を下と表す)および右側頚部全般は多数の溢血(いっけつ)点を伴って高度に鬱血(うっけつ)しており、その内部と周辺には4条の蒼白(そうはく)帯が認められる(以下、この4条の蒼白帯を上から順に「蒼白帯A」ないし「蒼白帯D」という)。被害者の前頚正中部に米粒大以下の多数の皮内出血(皮内出血A)、その左方に表皮剥脱(表皮剥脱B)、その下方に表皮剥脱(表皮剥脱C)、さらに左側頚上部に表皮剥脚(表皮剥奪D)が認められる。
 (b)大野曜吉医師および上野正彦医師は、被告人の旧供述は被害者の遺体所見と矛盾し、新供述は被害者の遺体所見と一致している旨判断している。
 しかし、被告人の新供述によると、4条の蒼白帯は上(被害者のあごの側)から下(被害者の胸側)に向かって順に右手の小指ないし人さし指によってそれぞれ形成され、前頚正中部の左方にある表皮剥脱Bは、右手親指によって形成されたものと考えるのが最も自然である。そして、証拠によれば、4条の蒼白帯は、ほぼ水平またはやや右上向きであり、親指に対応する表皮剥脱Bは、中指に対応する蒼白帯Cよりも上に位置していると認めるのが相当である。そして被害者は窒息死したのであるから、ある程度の時間継続して相当強い力で頚部を圧迫されたことは明らかであるところ、被告人が被害者の右前頚部から右側頚部にかけて、右手の人さし指ないし小指の4本の指をほぼ水平または被告人から見てやや左上向きの状態にして、しかも親指が中指よりも上の位置にくるような状態で、右逆手で被害者の頚部を圧迫した場合、かなり不自然な体勢となり、そのような体勢で人を窒息死させるほど強い力で圧迫し続けるのは困難であると考えられる。
 また仮に、表皮剥脱Bが右手親指によって形成されたものでなかったとしても、蒼白帯Dは下頚部に弧状をなしているところ、証拠によれば、その弧の向きは下に凸であるとみるのが合理的である。そうすると、被告人が右手を逆手にして、被害者の頚部を圧迫した場合、蒼白帯Dの弧の向きが下に凸になるとは考えにくく、これが下に凸になるようにしようとすれば、相当に不自然な体勢を強いられることになるのであって、被害者の遺体所見と整合しないというべきである。
 (c)被告人は当審公判で、被害者の背後から抱きついて以降、同女が死亡していることに気付くまでの経過について、被害者と被告人のそれぞれの動きだけでなく、そのとき室内に置かれていたストーブの上にあったやかんやストーブガードの動きまでも含めて、極めて詳細に供述している。しかも被害者の頚部を圧迫した行為については、被告人の左手、足、視線の向き、体重のかけ方などを具体的に供述しているにもかかわらず、頚部を圧迫していたと思われる右手に関しては感触すら覚えていないなどとして、あいまいな供述に終始しており、まことに不自然である。被告人が右手で被害者の頚部を押さえつけたとすれば、自分の手が被害者のあごの下や頚部に当たっていることは、その感触から当然に分かるはずである。特に新供述のような体勢で被害者の頚部を押さえつけたとすれば、床方向に向けて右手に力を加えることは困難であり、窒息死させるほどの力を加えるのであれば、自然と被害者のあごを下から頭部方向に押すようにして右手に力を加えることになると考えられるから、自分の右手が被害者の身体のどの部位に当たっているのか分からないということはあり得ない。
 大野意見によれば、被告人が右手の親指を内側に曲げて右逆手で被害者の頚部を押さえると、親指のつめの表面がちょうど表皮剥脱BとCに位置するというのである。しかし、そのような体勢で被害者の頚部を圧迫した場合、被告人の右親指にも圧力が加わり、被告人自身が痛みを感じることになるため、窒息死させるほどの強い力で圧迫し続けることができるのか、いささか疑問であること、被告人の右手のひらは、間に右親指が挟まって被害者の頚部とほとんど接触しないため、被告人の人さし指に対応する蒼白帯Dの長さが11センチにも達することになるとは考えにくいことなどに照らすと、大野意見は採用できない。
 また被告人が新供述のような態様で被害者を押さえつけて頚部を圧迫していたとすれば、同女は左手を動かすことができたと考えられるから、当然、その左手を用いて懸命に抵抗したはずである。被告人の供述する両者の位置関係からすれば、被害者は容易に被告人の頭部を攻撃することができたのであるから、左手で頭部を殴るなり頭髪をつかんで引っ張るなりして、抵抗するはずであるにもかかわらず、被告人が頚部を圧迫している間の被害者の動きについて、極めてあいまいにしか供述していないのも、まことに不自然である。
 そもそも、被告人の新供述のような態様で被害者の頚部を圧迫した場合、被害者が激しく抵抗すれば、窒息死させるまで頚部を押さえ続けることは困難であると考えられる。そのような態様での殺害は、被害者が全く抵抗しないか、抵抗したとしても、それが極めて弱い場合でなければ不可能であるというべきである。そうすると、被告人は被害者に実母を見ていたといっており、実母と同視していた被害者に対し、さしたる抵抗も攻撃も受けていないのに、窒息死させるほどの力で頚部を圧迫したということになるが、これもまた極めて不自然な行動であるというほかない。 (d)被告人の新供述は右逆手による被害者の殺害状況について合理的な理由なく変遷しており、不自然である。すなわち、被告人作成の上申書(平成18年6月15日付)には、被害者が大声を上げ続けたため、その口をふさごうとして右手を逆手にして口を押さえたところ、同女がいつの間にか動かなくなっていた旨記載され、被告人は平成18年12月から平成19年4月にかけて実施された加藤幸雄教授との面接においても、被害者が大声を上げたので右手でその口を押さえた旨供述していたことがうかがわれる。ところが、被告人は当審公判では、被害者が声を出したかどうか分からない状態にあった、右手の感触は覚えておらず、どこを押さえていたか分からない、などと供述している。
 このような供述の変遷が生じた理由について、被告人が当審公判でする説明は、到底納得のいく説明とはいい難い。
 (ウ)弁護人は逮捕当日に作成された被告人の警察官調書(乙1)には、「右手で首を絞め続けたのです」と記載されているとして、このとき被告人は右逆手で押さえたという新供述と同じく、被害者の頚部(けいぶ)を「右手」で押さえた旨供述していた旨主張する。
 上記警察官調書は、警察官が被告人から録取した供述内容を手書きして作成したものである。しかし、同じ警察官が手書きで作成した被告人の警察官調書4通(乙1ないし4)のうち、弁護人が指摘する上記部分のほか、「左」または「右」の文字が書かれた部分は別紙のとおりであるところ、同警察官の書く「右」という文字にははっきりとした特徴があり、これらの文字を比較対照すれば、弁護人指摘の警察官調書の上記部分は「右手」と記載されているのではなく、「左手」と記載されていることが明らかである。
 (エ)第1審判決は被告人の旧供述と関係証拠とを総合して事実を認定しているところ、弁護人は第1審判決が認定した被害者の殺害行為の態様について、被害者の遺体所見と矛盾があるなどとして、第1審判決は殺害行為の態様を誤認しており、ひいては殺意を認定したのも事実誤認である旨主張するので検討する。
 (a)弁護人は、旧供述では両手で扼頚(やくけい)したというのに、被害者の頚群に被告人の右手指に対応する創傷がないのは所見と矛盾している旨主張する。
 しかし、被告人は左手の上に右手のひらを重ねて置いて、被害者の頚部を絞めつけたというのであるから、被告人の右手が被害者の頚部に直接接触せず、右手指に対応する創傷が被害者の頚部に形成されなかったとしても、何ら不自然ではない。
 弁護人は、左手を順手として扼頚したというのに、被害者の左側頚部などに被告人の左手親指に対応する創傷がないと主張する。
 たしかに、左順手で被害者の頚部を圧迫すれば、通常、同女の左側頚部に左手親指に対応する創傷が形成されると考えられるところ、被告人の左手親指による圧迫行為によって、被害者の左側頚部上部(左下顎部)にある表皮剥奪Dが形成されたと推認することもできる。
 弁護人は4条の蒼白(そうはく)帯のうち、最上部の蒼白帯Aの長さが約3.2センチと最も短く、最下部の蒼白帯Dの長さが約11センチと最も長いことに照らすと、左順手で圧迫したとは考えられない旨主張する。
 しかし、遺体を解剖した吉田医師は4条の蒼白帯について、左順手で被害者の頚部を強く扼頚したために生起されたものとしても、特別矛盾しない旨鑑定している。また石津日出雄医師も、左順手で頚部を握るように強く圧迫した場合、小指による圧迫は指だけでなく手掌小指側(尺骨側)辺縁の圧迫が加算され、蒼白帯の長さが11センチになって当然であると判断している。
 以上の次第であるから、被告人の旧供述に述べられた被害者の殺害行為の態様が、被害者の遺体所見と矛盾しているとはいえない。 (b)弁護人は、被害者の左側頚上部の表皮剥脱Dについて、被告人が被害者にプロレス技であるスリーパーホールドをした際に、被告人着用の作業服の袖口ボタンにより形成された旨主張している。
 しかし、表皮剥脱Dは直径が約1.2センチの類円形を呈し境界明瞭(めいりょう)であるところ、作業服の袖口ボタンおよびその裏側の金具はいずれも円形であるものの、その直径は、それぞれ約1.5センチ、約1センチであると認められ、いずれも表皮剥脱Dとは大きさが異なっている。しかも、被告人は、当審に至って初めて、スリーパーホールドをして被害者の力が抜けた後、呆然(ぼうぜん)としていたところ、背中辺りに強い痛みが走り、同女が光る物を振り上げていた旨供述したものである。この供述は、被告人がまず最初に被害者に対し暴行を加えたにせよ、その後被害者から攻撃されて、なりゆき上、反撃行為としてやむを得ず被害者に対しさらに暴行に及んだと主張することも可能な内容であるにもかかわらず、当審公判まで1回もそのような供述をした形跡がない。このような供述経過は不自然であり、この供述を信用することはできない。
 表皮剥脱Dがボタンによって形成された旨の弁護人の主張は、採用できない。むしろ、被告人の左手親指により形成されたと推認するのが合理的である。



(4)被害者に対する強姦行為について
 (ア)被告人は当審公判で、性欲を満たすために被害者を姦淫したことや、強姦の犯意および計画性を否認する供述をした。そして、被害者が死亡していることに気付いた後、山田風太郎の「魔界転生」という小説にあるように、姦淫することによって復活の儀式ができると思っていたから、生き返って欲しいという思いで被害者を姦淫したなどと供述している。
 (イ)しかし、被告人は被害者の死亡を確認した後、その乳房を露出させてもてあそび、姦淫行為におよび射精しているところ、この一連の行為をみる限り、性欲を満たすため姦淫行為に及んだと推認するのが合理的である。
しかも、被告人は捜査段階のごく初期を除き、姦淫を遂げるために被害者を殺害した旨一貫して供述していた上、第1審公判においても、性欲を満たすために姦淫した旨明確に供述している。また、被告人の新供述によれば、被告人は姦淫した後すぐに被害者の遺体を押し入れの中に入れており、脈や呼吸を確認するなど同女が生き返ったかどうか確認する行為を一切していない。被告人の行動をみる限り、被害者を姦淫した目的が同女を生き返らせることにあったとみることはできない。
 さらに死亡した女性が姦淫により生き返るということ自体、荒唐無稽(むけい)な発想であって、被告人が実際にこのようなことを思いついたのか、甚だ疑わしい。被告人が挙げた「魔界転生」という小説では、瀕死(ひんし)の状態にある男性が女性と性交することにより、その女性の胎内に生まれ変わり、この世に出るというのであって、死亡した女性が姦淫により生き返るというものとは相当異なっている。そして、死者が女性の胎内に生まれ変わりこの世に現れるというのは、「魔界転生」という小説の骨格をなす事項であって、実際に「魔界転生」を読んだ者であれば、それを誤って記憶するはずがなく、したがって、その小説を読んだ記憶から、死んだ女性を生き返らせるために姦淫するという発想が浮かぶこともあり得ない。被害者を姦淫したのは、性欲を満たすためではなく、生き返らせるためであったという被告人の供述は到底信用できない。
 (ウ)また、被告人は当審公判で、被害者を通して亡くなった実母を見ており、お母さんに甘えたいという気持ちから被害者に抱きついた旨供述している。しかし、被害者に甘えるために抱きついたというのは、同女の頚部を絞めつけて殺害し、性的欲求を満たすため同女を姦淫したという一連の行為とはあまりにもかけ離れているといわねばならず、新供述は不自然である。
 しかも、被告人は捜査のごく初期の段階から一貫して、強姦するつもりで被害者に抱きついた旨供述しており、第1審公判においても、強姦しようと思った時期について供述し、襲ってもあまり抵抗しないのではないか、多少抵抗を受けても強姦できると思いこんだ旨供述していた。
 さらに、被告人は当審公判で、玄関ドアを開けた被害者が左腕に被害児を抱いているのを見て、淡い気持ちを抱いた旨供述している。
 しかし、被告人は捜査段階においては、玄関で応対した被害者が被害児を抱いていたとは一度も供述していない。被告人は被害者方に入った後、トイレで作業をしているふりをしてから風呂場に行き、そこを出たところで被害児を抱いて立っている被害者を見て、初めて同児の存在を知った旨供述していたのである。このような犯行前の経緯は被告人が供述しない限り、捜査官が知り得ない事情であるのみならず、新供述と対比して、犯罪の成否や量刑に格別差異をもたらすものではないのであるから、捜査官が真実と異なる内容の供述をあえて被告人に押しつける必要性に乏しいというべきである。また、被告人としても、このような事情について、真実とは異なる供述をする理由というのも考えられない。犯行前の経緯に関する被告人の上記供述は信用できない。
 (エ)被告人は当審公判で、戸別訪問をしたのは人との会話を通して寂しさを紛らわし、何らかのぬくもりが欲しかったからであり、強姦を目的とした物色行為をしたのではない旨供述する。
 (a)しかし、被告人は各部屋を訪問した際、玄関で「排水検査に来ました。トイレの水を流してください」などと言うのみで、その住民が水を流して玄関に戻っても、会話しようという素振りもなく立ち去ったり、住民がトイレの水を流している間に玄関に戻って来るのを待つことなく立ち去っている。このような被告人の行動は人との会話を通して寂しさを紛らわすために訪問した者の行動として、不自然との感を免れない。そのように立ち去った理由について、被告人はゲーム感覚になっており、ロールプレーイングゲームの中で登場人物が同じせりふしか言えないのと同じ状態で一定の言葉しか紡げない状況下、機械的な感じで、すぐその場を離れるようになった旨供述するが、被告人のいう訪問目的とは担当趣旨が異なっている。
 (b)しかも、被告人は第1審公判で、強姦の計画性を否認する供述をしていたものの、最終的には、戸別訪問を開始した時点で、半信半疑ながらも強姦によってでも性行為をしたいなどと考え始めていたことを認める供述をした。強姦の計画性を争っていた被告人が、供述を強制されることのない法廷で任意にした上記第1審の公判供述は高度の信用性が認められるというべきであり、強姦については、この供述で述べられた程度の計画性があったことは動かし難い事実であって、これに反する被告人の当審公判供述は信用できない。 (オ)ところで、加藤意見では、本件は強姦目的の事案ではなく、母胎回帰ストーリーともいうべき動機が存在するというのである。すなわち、被告人は母子一体の世界(幼児的万能感)を希求する気持ちが大きい。被告人は本件当日の昼、義母に甘えたものの、それが満たされずに自宅を出ることになったため、人恋しい気持ちに駆られ、自分を受け入れてくれる人との出会いを求め戸別訪問をした。そして、被告人を優しく部屋に招き入れてくれ、赤ん坊を抱く被害者の中に、亡くなった母親の香りを感じ、母親類似の愛着的心情を投影し、甘えを受け入れて欲しいという感情を抑えることができなくなり抱きついたところ、予期しない抵抗にあって平常心を失い、過剰反応として反撃した。そして、被害者の死を受け入れられず、戸惑いから非現実的な行為に導かれた。それは、自分を母親の胎内に回帰させることであり、母子一体感の実現であり、被告人はその行為に「死と再生」の願いを託した、というのである。
 しかし、加藤意見は被告人の新供述に全面的に依拠しているところ、被告人の新供述中、人恋しさから戸別訪問をした、玄関で対応した被害者が被害児を抱いていた、被害者に甘えたくて抱きついた、被害者を生き返らせるために姦淫したという供述は到底信用できないのであるから、加藤意見はその前提を欠いており失当である。
 (カ)弁護人は第1審判決が強姦の計画性があったと認定したことを論難するので、この点に関連する野田正彰教授の見解にも言及しつつ付言する。
 (a)野田教授は、強姦という極めて暴力的な性交は一般的に性経験のある者の行為であり、性体験がなく、性体験を強く望んで行動していたこともない少年が突然、計画的な強姦に駆り立てられるとは考えにくいなどとして、強姦目的の犯行であることに疑問を呈している。
 しかし一般論として、性体験のない者が計画的な強姦に及ぶことは、およそあり得ないなどとはいえない。
 (b)弁護人は、第1審判決が被告人は脅迫を用いて強姦することを計画した旨認定しながら、実際には脅迫を用いず暴行を用いて強姦した旨認定しているのは論理的に破綻(はたん)している旨主張する。
 しかし、第1審判決は被告人の計画について、カッターナイフを示すほか、布テープを使って女性を縛れば抵抗できないだろうと考えた旨認定しているところ、布テープで縛る行為は暴行にほかならない。第1審判決は被告人が脅迫と暴行とを手段として強姦することを計画した旨認定しているのであるから、脅迫を手段とすることを計画しながら、実際には暴行を手段としたというものではない。
 そして犯行計画というものは、その程度がさまざまである。本件のように、襲う相手も特定されておらず、相手を襲う場所となるはずの相手の住居も、その中の様子も分からないという場合、犯行計画といっても、それは一応のものであって、実際には、その場の状況や相手の抵抗の度合いによって臨機応変に実行行為がなされるものであり、あらかじめ決めたとおりに実行するというようなことが希であることは多言を要しない。 
第1審判決も、被告人が事のなりゆき次第でカッターナイフを相手に示したり、布テープを使用して相手を縛ったりして、その抵抗を排除することを考えていたことを認定したものと解される。弁護人の主張は、第1審判決を不正確に理解した上で、これをいたずらに論難しているにすぎない。
 弁護人は被害者方と被告人方とが近接した場所にあり、しかも、被告人が戸別訪問の際、勤務先の作業服を着て勤務先を名乗り、身元を明らかにしているなどとして、本件のような犯行をすれば、被告人が犯人であることが発覚する恐れが高いのであるから、被告人は戸別訪問をする際、強姦目的を有していなかった旨主張している。
 たしかに被告人が強姦に及べば、それが被告人による犯行であることが早晩発覚するような状況であったことは、弁護人指摘のとおりである。しかし、被告人は排水検査を装うため作業服を着用することが必要であったのである。そして、被告人が首尾よく性行為を遂げることに意識を集中させてしまい、本件でしたような戸別訪問をした上で強姦すれば、それが自分の犯行であることが容易に発覚することにまで思い至らなかったとしても、不自然とはいえない。
 しかも、被告人は差し戻し前控訴審の公判において、戸別訪問をしている時点では、作業服の左胸に会社名が書かれていることを忘れていた旨供述し、第1審公判では、父親に迷惑がかかるという考えは全くなかった旨供述しており、戸別訪問していた時点において、犯行が発覚することにまで考えが及んでいなかったことがうかがわれることも併せ考えると、弁護人指摘の点を考慮しても、強姦の計画性は否定されない。



(5)被害児に対する殺害行為について
 (ア)被告人は当審公判で、被害児を床にたたきつけたことはない、同児の母親をあやめてしまったなどという自責の念から、作業服ポケットにあったひもを自分の左の手首と指にからめるようにし、右手で引っ張って締め、自傷行為をしていたところ、被害児が動かない状態になっているのに気がついた、被害児の首を絞めたという認識はなく、同児にひもを巻いたことすら分からない旨供述する。
 (イ)被告人が被害児を床にたたきつけたこと自体は、動かし難い事実というべきであり、これを否定する被告人の当審公判供述は、到底信用することができない。
 被告人は、検察官調書(乙17)で、たたきつけたことを認め、少年審判および第1審公判において、同児を床にたたきつけたことを認めていたものである。特に、死刑の求刑後に行われた第1審の最終陳述においても、被害児を床にたたきつけた旨供述した上で、謝罪の言葉を述べていたのである。もっとも、その態様は被告人の検察官調書(乙25)にあるように、被告人が被害児を天袋から出した後、立ったままの状態で同児を後頭部から床にたたきつけたとは考えにくく、被告人が身を屈めたり、床にひざをついて中腰の格好になった状態で、同児をあおむけに床にたたきつけたと推認するのが合理的である。
 (ウ)ひもによる絞頚について
 被告人は当審公判で、被害児の首を絞めたという認識はなく、逮捕後の取り調べの際、捜査官からひもを示され、ひもが二重巻きでちょう結びであったことなどを教えてもらった次第で、当時は同児にひもを巻いたことすら分からない状態にあった旨供述する。
 しかし、被告人が被害児の頚部(けいぶ)にひもを二重に巻いた上、ちょう結びにしたことは証拠上明らかであり、そのような動作をしたことの記憶が完全に欠落しているという被告人の供述は、その内容自体が不自然不合理である。しかも、被告人の新供述は旧供述に依拠した第1審判決の認定事実と全く異なる内容であるにもかかわらず、被告人は事件から8年以上経過した当審公判に至って初めて、そのような供述をしたのである。差し戻し前控訴審の審理が終結するまでの間に、被告人が新供述のような内容を1回でも弁護人に話したことがあれば、弁護人が被害児に対する殺人の成否を争わなかったとは考えられない。この供述経過は、極めて不自然不合理である。被告人の上記当審公判供述は信用できない。


(6)窃盗について
 (ア)被告人は当審公判で、被害者方から出るときに布テープ、ペンチおよび洗浄剤スプレーを持って出て、3棟に着いた後、布テープと勘違いして財布を持ち出したことに気付いた旨供述する。
 (イ)上記財布はその形状、大きさ、色などにおいて上記布テープと全く異なっていることに照らすと、布テープと勘違いして財布を持ち出した旨の被告人の当審公判供述は、その内容自体がかなり不自然である。
 しかも、被告人は捜査段階から、財布を窃取したことを一貫して認めて具体的に供述していたのであり、当審に至って初めて、布テープと間違えて財布を持ち出した旨供述したものである。このような供述経過は不自然不合理であり、財布の窃盗を認める被告人の供述に不自然な点は見当たらない。この点に関する被告人の当審公判供述は信用することができない。



(7)被告人の新供述は信用できず、被告人の旧供述は信用できるから、これに依拠して第1審判決が認定した罪となるべき事実に事実の誤認はない。





《5》量刑について


 検察官は、被告人を無期懲役に処した第1審判決の量刑は死刑を選択しなかった点において、著しく軽きに失して甚だしく不当であると主張する。


(1)本件は、当時18歳の少年であった被告人が白昼、排水管の検査を装ってアパートの一室に上がり込み、同室に住む当時23歳の主婦(被害者)を強姦しようとして激しく抵抗されたため、同女を殺害した上で姦淫し(第1)、当時生後11カ月の被害者の長女(被害児)をも殺害し(第2)、財布1個を窃取した(第3)という事案である。


(2)被告人は中学3年生のころから性行為に強い関心を抱くようになり、早く性行為を経験したいとの気持ちを次第に強めていた。被告人は高校を卒業して、地元の配管工事などを業とする会社に就職したものの、10日もたたないうちに欠勤するようになった。
 本件当日の朝も欠勤して友人と遊ぼうと考え、会社の作業服などを着用し出勤を装って自宅を出た。そして友人宅でゲームをした後、自宅に戻って昼食をとり、再び自宅を出た。
 被告人は強姦によってでも性行為をしてみたいという気持ちが生じ、そのようなことが本当にできるのだろうかと半信半疑に思いつつも、自宅のある団地内のアパートの10棟から7棟にかけて、排水検査の作業員を装って戸別に訪ね、若い主婦が留守を守る居室を物色して回り始めた。そして、誰からも怪しまれなかったことから、本当に強姦できるかもしれないなどと次第に自信を深めた。
 被害者方に至り、排水検査の作業員を装い、信用されたのに乗じて室内に上がり込み、同女が若くてかわいかったことから、強姦によってでも性行為をしたいという気持ちを抑えきれなくなり、同女のすきを見て背後から抱きつくなどしたところ、激しく抵抗された。そこで被告人は、同女を殺害して姦淫した。さらに被害児が激しく泣き続けていたことから、泣き声を付近住民が聞きつけて犯行が発覚することを恐れ、同児が泣き止まないことにも腹を立て、同児をも殺害したものである。
 いずれも極めて短絡的かつ自己中心的な犯行である。しかも第1の犯行は自己の性欲を満たすため、被害者の人格を無視した卑劣な犯行である。本件の動機や経緯に酌量すべき点はみじんもない。
 その各犯行態様は必死に抵抗する被害者の頚部(けいぶ)を両手で強く絞め続けて殺害した上、万一の蘇生(そせい)に備えて、布テープを用いて同女の両手首を緊縛したり鼻口部をふさいだりし、カッターナイフで下着を切り裂くなどして姦淫を遂げ、この間、被害児が被害者にすがりつくようにして激しく泣き続けていたことを意にも介さなかったばかりか、第1の犯行後、同児を床にたたきつけるなどした上、なおも泣きながら母親の遺体にはい寄ろうとする同児の首にひもを巻いて絞めつけ殺害したものである。被告人は、強姦および殺人の強固な犯意の下に、何ら落ち度のない2名の生命と尊厳を踏みにじったものであり、冷酷、残虐にして非人間的な所業である。
 被害者ら2名は死亡しており、結果は極めて重大である。被害者は一家3人でつつましいながらも平穏で幸せな生活を送っていたにもかかわらず、最も安全であるはずの自宅において、23歳の若さで突如として絶命させられたものであり、その苦痛や恐怖、無念さは察するに余りある。被告人を室内に入らせたばかりに理不尽な暴力を受け、かたわらで被害児が泣いているにもかかわらず、同児を守ることもできないまま、同児を残して事切れようとするときの被害者の心情を思うと言葉もない。被害児は両親の豊かな愛情にはぐくまれて健やかに成長していたのに、何が起こったのかさえも理解できず、わずか生後11カ月で、あまりにも短い生涯を終えたものであり、まことにふびんである。一度に妻と子を失った被害者の夫ら遺族の悲嘆の情や喪失感、絶望感は甚だしく、憤りも激しい。しかるに、被告人は慰謝の措置といえるようなことを一切していない。遺族の処罰感情は峻烈を極めている。
 また、本件窃盗は第1、第2の各犯行後、被害者方から逃走する際、地域振興券などの入った財布を持ち去ったものである。地域振興券などを小遣いとして使おうなどと考えて財布を盗んだものであり、その利欲的な動機に酌むべき点はない。 被告人は犯行の発覚を遅らせるため、被害児の遺体を押し入れの天袋に投げ入れ、被害者の遺体を押し入れの下段に隠すなどしたほか、被害者方から自分の指紋のついたスプレーやペンチを持ち出して隠匿するなど、罪証隠滅工作をした。また、窃取した財布の中にあった地域振興券でゲーム用のカードを購入するなどしており、犯行後の情状も芳しくない。
 そして、本件は白昼、ごく普通の家庭の母子が自らには何の責められるべき点もないのに自宅で惨殺された事件として、地域住民や社会に大きな衝撃と不安を与えたものであり、この点も軽視できない。


 以上によれば、被告人の刑事責任は極めて重大であるというほかない。


(3)酌量すべき事情について検討する
 (ア)被告人には前科はもとより見るべき非行歴もない。幼少期に、実父から暴力を振るわれる実母をかばおうとしたり、祖母が寝たきりになり介護が必要な状態になると排泄(はいせつ)の始末を手伝うなど、心優しい面もある。
 (イ)被告人は幼少期より実父から暴力を受けたり、実父の実母に対する暴力を目の当たりにしてきたほか、中学時代に実母が自殺するなど、生育環境には同情すべきものがある。また、実父が年若い女性と再婚し、本件の約3カ月前には異母弟が生まれるなど、これら幼少期からの環境が被告人の人格形成や健全な精神の発達に影響を与えた面があることも否定できない。もっとも、経済的に問題のない家庭に育ち、高校教育も受けたのであるから、生育環境が特に劣悪であったとはいえない。
 (ウ)被告人は犯行当時18歳と30日の少年であった。少年法51条は犯行時18歳未満の少年の行為については死刑を科さないものとしており、被告人が犯行時18歳になって間もない少年であったことは量刑上十分に考慮すべきである。また、被告人は高校を卒業しており、知的能力には問題がないものの、精神的成熟度は低い。
 (エ)弁護人は刑法41条、少年法51条などを根拠として、少年の刑事責任を判断する際は、一般の責任能力とは別途、少年の責任能力すなわち精神的成熟度および可塑性に基づく判断が必要となる旨主張し、精神的成熟度がいまだ十分ではなく、可塑性が認められることが証拠上明らかになった場合には、死刑の選択を回避すべきであるなどと主張する。
 しかし、「少年の責任能力」という一般の責任能力とは別の概念を前提とする弁護人の主張は、独自の見解に基づくものであって採用し難い。また、少年の刑事責任を判断する際に、その精神的成熟度および可塑性について十分考慮すべきではあるものの、少年法51条は死刑適用の可否につき18歳未満か以上かという形式的基準を設けるほか、精神的成熟度および可塑性といった要件を求めていないことに徴すれば、年長少年について、精神的成熟度が不十分で可塑性が認められる場合に、死刑の選択を回避すべきであるなどという弁護人の主張には賛同し難い。
 たしかに、被告人の人格や精神の未熟が本件各犯行の背景にあることは否定し難い。しかし、各犯行の罪質、動機、態様にかんがみると、これらの点は量刑上考慮すべき事情ではあるものの、死刑の選択を回避するに足りる特に酌量すべき事情であるとまではいえない。
 (オ)被告人が上告審での公判期日指定後、遺族に対し謝罪文を送付したほか、窃盗の被害弁償金6300円を送付し、当審においても、遺族に対し被害弁償金として作業報奨金900円を送付した。平成16年2月以降は自ら希望して教戒師による教戒を受けている。また、被告人は当審公判において、これまでの反省が不十分であったことを認める供述をし、遺族の意見陳述を聞いた後、大変申し訳ない気持ちで一杯であり、生涯をかけ償いたい旨涙ながらに述べている。
 (カ)第1審判決は酌量すべき事情として、被告人の犯罪的傾向が顕著であるとはいえないことを摘示している。たしかに被告人には、前科や見るベき非行歴は認められない。しかし、本件各犯行の態様、犯行後の行動などに照らすと、その犯罪的傾向には軽視できないものがある。
 (キ)また、第1審判決が説示するように、被告人は公判審理を経るに従って、被告人なりの反省の情が芽生え始めていたものである。もっとも、差し戻し前控訴審までの被告人の言動、態度などをみる限り、被告人が遺族らの心情に思いを致し、本件の罪の深刻さと向き合って内省を深め得ていたと認めることは困難であり、被告人は反省の情が芽生え始めてはいたものの、その程度は不十分なものであったといわざるを得ない。
 そして、被告人は上告審で公判期日が指定された後、旧供述を一変させて本件公訴事実を全面的に争うに至り、当審公判でもその旨の供述をしたところ、被告人の新供述が到底信用できないことに徴すると、被告人は死刑を免れることを企図して旧供述を翻した上、虚偽の弁解を弄しているというほかない。被告人の新供述は、第1の犯行が殺人および強姦致死ではなく傷害致死のみである旨主張して、その限度で被害者の死亡について自己の刑事責任を認めるものではあるものの、第2の殺人および第3の窃盗についてはいずれも無罪を主張するものであって、もはや被告人は自分の犯した罪の深刻さと向き合うことを放棄し、死刑を免れようと懸命になっているだけであると評するほかない。被告人は遺族に対する謝罪や反省の弁を述べるなどしてはいるものの、それは表面的なものであり、自己の刑事責任の軽減を図るための偽りの言動であるとみざるを得ない。自己の刑事責任を軽減すべく虚偽の供述を弄しながら、他方では、遺族に対する謝罪や反省を口にすること自体、遺族を愚弄(ぐろう)するものであり、その神経を逆なでするものであって、反省謝罪の態度とは程遠いというべきである。
 第1審判決および差し戻し前控訴審判決はいずれも、犯行時少年であった被告人の可塑性に期待し、その改善更生を願ったものであるとみることができる。ところが、被告人はその期待を裏切り、差し戻し前控訴審判決の言い渡しから上告審での公判期日指定までの約3年9カ月間、反省を深めることなく年月を送り、その後は本件公訴事実について取り調べずみの証拠と整合するように虚偽の供述を構築し、それを法廷で述べることに精力を費やしたものである。これらの虚偽の弁解は、被告人において考え出したものとみるほかないところ、そのこと自体、被告人の反社会性が増進したことを物語っているといわざるを得ない。
 現時点では、被告人は反省心を欠いているというほかない。そして、自分の犯した罪の深刻さに向き合って内省を深めることが、改善更生するための出発点となるのであるから、被告人が当審公判で虚偽の弁解を弄したことは改善更生の可能性を皆無にするものではないとしても、これを大きく減殺する事情といわなければならない。


(4)以上を踏まえ、死刑選択の可否について検討するに、被告人の罪責はまことに重大であって、被告人のために酌量すべき諸事情を最大限考慮しても、罪刑の均衡の見地からも一般予防の見地からも、極刑はやむを得ないというほかない。
 当裁判所は上告審判決を受け、死刑の選択を回避するに足りる特に酌量すべき事情の有無について慎重に審理したものの、基本的な事実関係については、上告審判決の時点と異なるものはなかったといわざるを得ない。むしろ、被告人が、当審公判で、虚偽の弁解を弄し、偽りとみざるを得ない反省の弁を口にしたことにより、死刑の選択を回避するに足りる特に酌量すべき事情を見いだす術もなくなったというべきである。今にして思えば、上告審判決が、「弁護人らが言及する資料などを踏まえて検討しても、上記各犯罪事実は、各犯行の動機、犯意の生じた時期、態様なども含め、第1、2審判決の認定、説示するとおり揺るぎなく認めることができるのであって、指摘のような事実誤認などの違法は認められない」と説示したのは、被告人に対し、本件各犯行について虚偽の弁解を弄することなく、その罪の深刻さに真摯(しんし)に向き合い、反省を深めるとともに、真の意味での謝罪と贖罪(しょくざい)のためには何をすべきかを考えるようにということをも示唆したものと解されるところ、結局、上告審判決のいう「死刑の選択を回避するに足りる特に酌量すべき事情」は認められなかった。
 以上の次第であるから、被告人を無期懲役に処した第1審判決の量刑は、死刑を選択しなかった点において軽過ぎるといわざるを得ない。論旨は理由がある。



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光市母子殺人事件が結審しました。被告の弁護を行う安田弁護士は、早速上告するということですが、「極刑を回避する理由にはならない」「無期懲役では著しく正義に反する」として差し戻した最高裁ですから、上告棄却になる可能性は高いでしょう。


前回上告時、最高裁は自判せず、差し戻しにしたことで、被害者遺族の本村さんには非常に残酷な気がしましたが、むしろ、「いちいち永山基準で判決を出すのではなく、自分で考えて判決を出せ」というメッセージは高等裁判所にもきちんと伝わったのだと思います。

判決文は非常に丁寧に書かれていて、裁判で争われた争点の一つ一つに丁寧に触れていました。こういう判決文はいる意味異例だそうです。被害者の無念を論じるくだりでは、心を動かされました。

また、判決文においては、安田弁護士について暗に批判しています。

・安田弁護士が批判している一審の弁護士は誠実に弁護し、少年からも信認を得ていたこと

・安田弁護士になってから、証言を一変させていること

それに対して、裁判官は一つ一つ反論しています。

そして、

 第1審判決および差し戻し前控訴審判決はいずれも、犯行時少年であった被告人の可塑性に期待し、その改善更生を願ったものであるとみることができる。ところが、被告人はその期待を裏切り、差し戻し前控訴審判決の言い渡しから上告審での公判期日指定までの約3年9カ月間、反省を深めることなく年月を送り、その後は本件公訴事実について取り調べずみの証拠と整合するように虚偽の供述を構築し、それを法廷で述べることに精力を費やしたものである。これらの虚偽の弁解は、被告人において考え出したものとみるほかないところ、そのこと自体、被告人の反社会性が増進したことを物語っているといわざるを得ない。

として、「被告の利益を守るためにはあらゆることをする」 という立場を隠れ蓑に、死刑廃止運動を展開してきた安田弁護士に対して、結果、もし、弁護士の言うように、被告人がこれらの弁論を行っているのであれば、「被告に改悛の意はない」ということで、死刑を回避する理由はない、と断じました。

この点については、本村さんも、反省の意を翻して事実を争ったことが非常に残念で、もし、逆に改悛の姿勢を見せていたのであれば、死刑の判決にならなかったのかもしれない、と言っていました。


ところで、マスコミでの「死刑ハードル論」が批判を浴びています。本村さんがその場できちんと反論したので「ハードル論」が一人歩きすることはありませんでしたが、マスコミや、これまでの裁判所の姿勢が振りかざす、旧来の安易な姿勢は改めて問いただされているのだと言えます。


光市事件では、その際立った残虐性が争点であるにもかかわらず、永山基準という最高裁の判決基準を援用して、なんとなく死刑反対のムードを作り出そうとしていましたが、そういう逆風を跳ね返して死刑は存置すべきだ、という主張を貫き通した本村さんの努力により、日本の司法界は1歩も2歩も前進したと思います。

ところが、あいかわらずマスコミにでてくる識者・コメンテーター達は、裁判員制度にからめて、「僕は死刑判決を自信を持って出すことはできないと思うので死刑反対」みたいなことを言っているのには辟易します。

また、「国家や世論が「死ね」と言っているようで恐ろしい世の中になった」みたいな意見がテレビに流れる度に、本村さんの葛藤との差を感じずにはいられません。


「オレは死刑になりたくないし、死刑の宣告もしたくない」という理由で死刑を回避していいものなのか。本気でそう思う人が増えるのであれば、死刑判決の度にそういうことをいうのではなく、淡々と死刑廃止の議論を民主的に手続きしていけばよいのだと思います。ただ、浅薄に印象だけでコメントを垂れ流すのは非常に遺族感情を害することになるのだろうな、と思います。


本村さんは「被害者と遺族3人の人命が失われることになったのは社会的な損失」と言っていました。あの立場でこの発言、こういう人の崇高な気持ちを斟酌していかなくてはならないと思います。


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聖火

「フリーチベット」の叫び届かず亡命2世 泣きながら乱入 聖火リレー
【産経ニュース】2008.4.26 13:39
http://sankei.jp.msn.com/sports/other/080426/oth0804261339026-n1.htm 


何のための、だれのための「平和の炎」なのか。26日、3000人規模の厳戒態勢の中で行われた北京五輪の聖火リレー。沿道を埋め尽くす真っ赤な中国国旗と、時折揺れるチベットの雪山獅子旗。出発式会場に一般客は入れず、平和の祭典を象徴するイベントは「市民不在」で進んだ。「チベットに自由を」「ゴーゴーチャイナ!」。チベット問題を訴えるプラカードも掲げられ、タレントの萩本欽一さんや卓球の福原愛さんが走行中には男が取り押さえられる場面もあった。善光寺で知られる仏都・長野市は終日騒然とした空気に包まれた。(林英樹、永原慎吾)

 ハプニングは突然起きた。JR長野駅や善光寺周辺と比べて、比較的観客の数が少ないコース中ごろの沿道。「フリーチベット!」。チベットの旗を握りしめた男がロープをまたいで車道へ飛び出し、聖火ランナーの列に飛び込んだ。警官隊に取り押さえられ、地面に顔を押さえつけられながらも、「フリーチベット」の泣き叫ぶような声は消えない。

 男は、台湾に住む亡命チベット人2世の古物商、タシィ・ツゥリンさん(38)。「私はオリンピックに反対しているわけではない。ただ、チベットの惨状を全世界に訴える絶好の機会だと思っている」。この日朝、沿道の別の場所でチベットの旗を広げていたタシィさんは記者にそう話していた。

 タシィさんは、中国のチベット侵攻後の1959年、チベットからインドに亡命し、その地で生まれた。紛争は直接経験していないが、父親の壮絶な体験がタシィさんの心に刻み込まれている。

 父親は紛争の最中、政治的理由で中国公安当局に拘束され、死刑を宣告された。しかし執行の前日、一か八か、小さな窓から絶壁に向かって飛び降りて脱走、一命を取り留めた。その後、夫婦で当時7歳だった兄を連れて2週間かけて、命からがらヒマラヤ山脈を越えたという。

 「チベット独立は両親の悲願でもある。それを実現するためには、残りすべての人生を犠牲にする覚悟がある」

 チベット難民として暮らしたインドでは、常に「どこにも所属しないホームレスのような感じだった」。しかし、ダライ・ラマ14世の言葉に接し、考え方が変わった。「チベットはチベット人のもの。暴力を使わず、平和的に訴えることで、私たちの『自由』を取り戻したい」。

 タシィさんは25日夜に長野入り。タイの聖火リレーでも抗議活動に参加したが、そのときと比べると、日本のほうがチベット支援者が多いことに驚いたといい、「応援してくれる日本のみなさんに感謝している」と述べていた。

 穏健にチベット問題を訴える人たちもいた。市民団体「SFT日本」の代表を務める亡命チベット人2世、ツェリン・ドルジェさん(34)=名古屋市=らも長野入りし、「チベットに自由を チベットに人権を」と書かれた横断幕を握りしめた。

 「私たちは聖火リレーを妨害するつもりはない。ただ、中国政府にオリンピック精神に立ち返ってほしいだけ。自分の思うこと、感じること、自由に発言できる社会にしたいだけだ」

 SFTでは事前に、抗議をする場所や抗議方法について、長野県と協議を重ねていたが、ツェリンさんらの周りには、「ワン・チャイナ」と連呼し、中国国旗を翻す大勢の中国人たちが詰めかけ、その声はほとんどかき消された。

 チベットの中心都市、ラサでは中国人の人口がチベット人を超え、子供たちも中国語を話すようになっているといい、「このままでは私たちの文化や宗教は確実に跡形もなく消えてしまう」。

 この日、長野を訪れたチベット人らの多くは3グループに分かれて抗議活動に出かけた。あるチベット系中国人男性は「チベットに残してきた家族が中国の公安当局に尋問を受けており、顔や名前を出して抗議活動をするのは正直怖い」とこぼした。

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 ようやく、長野の聖火リレーが終わりました。テレビを見ていてもあまり様子が伝わってきません。ネットでは、中国国旗を掲げる影像や、関係者の「成功裏に終わった」みたいな発言や、はたまた逮捕者が(他国のリレーに比べて)少なかったことから、失敗だったのではないか、という論調が優位なように感じます。

 しかしながら、本来、平和と祝福に見守られてリレーする聖火が、このように逮捕者が出る、はたまた、負傷者がでないかどうかを心配しなければならないような行事になっていることがすでに滑稽であることは言うまでもありません。

 国際世論のスタンダードとして、暴力を用いないこと、そして、人権や自由といった普遍的な価値を擁護し、それに反対する勢力に対してはきちんと反対の声を挙げることが求められています。

 前者に対しては、小競り合いのようなものがあったり、卵が投げられたりということがあっても大きな負傷者が出ず、イベントとして完結できたことはよかったことだと思います。

 一方、後者については、チベットの国旗をリレーに持ち込んだ人々のおかげで、日本国民もチベットについて問題意識を持っていることが多くいることがアピールできたことは成果ですが、政府を始め、公的機関からこういう声が聞こえてこないのは非常に残念なことです。

 特に長野の自治体については、治安を心配する面があるにしろ、あまりにも世界的な問題について無関心であったと言わざるを得ません。

 そういう及び腰の姿勢が多い中で、ボイコットを表明し、チベット問題を憂慮する声明を出した善光寺の行いが、非常に尊いものだったことは言うまでもありません。特に、仏教界の腰が重い中で、善光寺は日本の代表的な寺院であり、また、オリンピックにも所縁の深い寺院がこうした声を挙げたことには本当に大きな意味があったと思います。

 長野でのリレーの前に、中国はダライ・ラマとの対話を行うことを表明しました。これが実効的な方向に向かっていくのかは疑問ですが、それゆえにチベット情勢を見守っていかなくてはなりません。また、チベットだけでなく、新疆ウイグル問題にももっと関心を持っていかなくてはならないでしょう。



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2008年4月16日水曜日

受難

パチンコ店も禁煙に 神奈川県が条例素案
【asahi.com】2008年04月16日
http://www.asahi.com/health/news/TKY200804160093.html

 神奈川県の松沢成文知事は16日までに、不特定多数の人が利用する県内のすべての施設を禁煙にする方針を示した。飲食店やパチンコ店などの娯楽施設も含まれる。受動喫煙を防ぐ「公共的施設における禁煙条例(仮称)」の08年度中の制定を目指し、条例制定の基本的な考え方を素案にした。

 知事は年内にも条例案をまとめて県議会に提案したい考えだ。素案では、公共的施設を「不特定多数の人が利用する施設で、室内とこれに準ずる環境にあるもの」と定義。具体的には学校、病院、公共交通機関、劇場のほか、飲食店、パチンコ店やマージャン店などの娯楽施設も禁煙対象とした。

 施設利用者への禁煙のほか、施設管理者にも禁煙の表示、灰皿などの撤去や喫煙者への注意を義務づける。違反した場合は立ち入り調査や指導・勧告などをしたうえで両者に罰則を科すという。

 ただ、専門家らで作る検討委員会では「飲食店や娯楽施設は段階的に禁煙にする激変緩和措置が必要ではないか」などの意見も上がっており、今後検討して月内に正式な考え方をまとめる。

 松沢知事は「席だけの分煙では煙が流れてしまい、受動喫煙を防げない。一歩譲るとすれば部屋で分ける完全分煙が望ましい」との考えも示した。

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自分は喫煙者なので、よくわからない、否、嫌煙派の主張も認めるところはあるのですが、こうも急進的に目の仇にするのはどうか、という気がします。

自分は東京に住んでいて、例えば、新宿で友人と食事をする時、相手が非喫煙者であれば喫煙は自発的に慎みます。会合が長時間に渡るようであれば、中座し、喫煙の許可された場所で吸います。というのも、相手に「喫煙を我慢させている」と受け止められるのが申し訳ない気持ちになるからです。会合が終わり、外に出てみると地区一帯は禁煙区域、駅も禁煙、電車も禁煙となれば、一体どこで吸えばいいのか。

それが「マナーです」と言えばそれで終わりなのだが、マナーとは、本来、相手への気遣いを言うことであって、少なくとも、勝馬に乗りつつある嫌煙派の主張は、喫煙派に配慮したものとはとても思えません。いわば、マイノリティに配慮のない「押し付け」であるとも受け取れると思います。

学校、病院、公共交通機関、劇場などはまだ理解できますし、実際禁煙ないし完全分煙の措置が取られているところがほとんどだと思いますが、飲食店や娯楽施設にまで強要するのはいかがなものか。嫌でも、行かざるを得ないような場所(先に列挙したところがそうです)は、当然非喫煙者への配慮があってしかるべきですが、別段行く必然性もないところまで、喫煙者の配慮もなしに、一律禁煙というのでは、あまりにも強引です。

例えば、全席禁煙の飲食店というのも、都内には数多く存在します。外に何の断りもなく、注文を聞かれてから「ここは全席禁煙です。」と言われると、ちょっと腹立たしい気持ちにならないでもありません。まぁいちいち抗議しませんが。「禁煙の方が商売が成り立つ」とか、「禁煙は当店のポリシーです。」という店が増えるのは、なんら不満でもありません。ただし、喫煙スペースを根絶やしにするというやり方が適当なのかどうかというのは非常に疑問であります。




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2008年4月15日火曜日

マニュアル厨

【4度目の判決 光市事件が問うたもの(中)】死刑の是非
【産経ニュース】2008.4.1521:26
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/080415/trl0804152128012-n1.htm

 「これからは2人殺害の事案では、よっぽど被告人に有利な事情がない限り死刑を科さなければならない。これは最高裁の意思だ」

 刑事裁判官の経験が長いある判事は、平成18年6月に言い渡された山口県光市の母子殺害事件の上告審判決をこう受け止め、担当した事件の判決にも反映させたという。

 上告審判決は「各犯罪事実は1、2審判決の認定するとおり揺るぎなく認めることができる」とした上で、「特に酌量すべき事情がない限り死刑の選択をするほかない」と指摘。「無期懲役の量刑は甚だしく不当で破棄しなければ著しく正義に反する」と結論づけた。

 戦後、量刑不当を理由に無期懲役の2審判決が破棄された事例はこれまでに2件しかない。だが、この判事が判決を重く受け止めたのは、単に異例のケースだったからではない。従来の量刑基準から厳罰化へと大きく舵を切ったものだったからだ。

 死刑適用の是非をめぐる裁判所の判断は、昭和58年に連続4人射殺事件の永山則夫=平成9年死刑執行=への上告審判決で示された「永山基準」に基づいている。動機や犯行態様、被害者の数、遺族の被害感情など9条件を列挙し、「それらを考慮してやむを得ない場合には死刑の選択も許される」としたものだ。9条件の中でも、最も重視されるのが「被害者の数」。1人なら無期懲役、3人以上では死刑、2人の場合はそのボーダーラインというのが、量刑の“相場”とされてきた。

ところが被害者が2人、しかも未成年による犯行だった光市事件を、最高裁は「死刑が相当」と判断したのだ。さらに判決は、永山基準の一節を引用しながらも、「死刑の選択も許される」から「死刑の選択をするほかない」へと表現を強めている。

 元最高検検事で白鴎大法科大学院院長の土本武司は「死刑がやむを得ない場合の『例外』から、特別な理由がない限り適用される『原則』へと逆転した画期的な判決」と指摘する。

 昨年9月に開かれた光市事件の差し戻し控訴審第10回公判。遺族として意見陳述を行った本村洋(32)は10分余りにわたった陳述を、こう締めくくった。

 「人の命を身勝手にも奪った者は、その命をもって償うしかない。それが私の思う社会正義です」

 本村の言う「私の思う社会正義」が国民の多くにとっても共通する認識であることは、死刑制度をめぐる各種世論調査の結果をみれば明白だ。内閣府による平成16年の調査では「賛成」が80%を超えた。裁判所の厳罰化の姿勢を後押ししているのは、本村ら犯罪被害者をはじめとしたこうした世論に他ならない。

 だが自身が死刑を宣告する立場になったら、確信をもって判断することができるだろうか。だれもがその判断を迫られる可能性がある裁判員制度は、来年5月21日に始まる。

 今年2月、強盗殺人などの罪に問われ1、2審で無期懲役とされた男の上告審決定で、裁判官5人の意見が3対2の二つに割れる極めて異例の事態が起きた。少数意見の死刑相当を主張した才口千晴は決定書で「裁判員制度を目前にして、死刑と無期懲役の基準を明確にする必要がある」との提言を付した。

 土本は期待をこめて語る。「光市事件の判決では、裁判員への指針となりうる判断を示してほしい。また、そうなるべき事件だ」
(敬称・呼称略)


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「量刑の厳罰化」という言葉が最近よく聞かれるようになりました。
厳罰化する傾向を、ポピュリズムが司法をリードするようでは、司法の独立が守れない、というような文脈で発言する人がいますが、量刑は刑法の範囲の中で行われることなので、「20年以下、または無期懲役」とされている罪状で死刑になるようでは、司法の侵害と言えますが、罪刑の範囲内であれば、問題ないのではないかと思います。

裁判員制度が厳罰化を加速するという発言も聞きますが、それは、現在の治安に対する不安の高まりであって、厳罰化する司法への不安が高まれば、裁判員制度はむしろ、それにストップをかける方向に進むのは間違いないと思います。

さて、厳罰化というキーワードが一人歩きをしているように思いますが、むしろ司法への不満というのは、本文にもあるような量刑に対する"相場"があるということ、そして、それが国民不在のまま、司法に携わる人々の中だけで形成され、固定化されてきたことにあると思います。

永山基準にしろ、実際永山則夫に死刑を宣告するにあたって拠り所にしたものであり、その時の関係者の中では非常に多くの議論がされたのだろうと思いますが、基準ができたとたんにそれが一人歩きをして、自由な審判を妨げてきたのではないか、というふうに思います。

何人殺したから死刑、とか、何歳の時に殺したから無期、のように機械的に量刑が審判されていくことこそ、裁判の無実化であり、司法はその意味で、自分の独立性を縛り付ける結果になっていると思います。「光市の事件では厳罰化が進んだ」みたいな短絡的で、矮小化した総括ではなく、「永山基準にとらわれることなく、機動的に審判を進める姿勢を示した」というような、感じに受け止めているのは僕だけなのでしょうか。





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2008年4月10日木曜日

十字架の重み

わが聖地・チベットの苦しみ:野口健(アルピニスト)
【gooニュース】2008年4月10日(木)14:43
http://news.goo.ne.jp/article/php/world/php-20080410-01.html

中国当局の激しい弾圧に、世界的な登山家が怒りの声をあげた。
北京オリンピックを控えたいま、わが国はチベットになにができるのか


野口健さんは世界七大陸の最高峰を世界最年少(当時)で登頂したことで、あまりに有名な登山家である。エベレスト(チベット名・チョモランマ)や富士山で清掃活動を行なったり、「野口健・環境学校」を開設したりするなど、環境保護活動に精力的に取り組んでいることでも知られている。甘いマスクと知的な語り口で、性別、世代を超え、ファンも多い。その野口さんが、珍しく怒りをあらわにしている。チベットを支配してきた中国がチベット人の命懸けの抗議行動を戦車や装甲車まで持ち出して弾圧し、おびただしい流血を招いたからである。チベットに通い詰め、チベット人に対して中国が何をしてきたかを知っていた野口さんは、こうなることが「時間の問題」と感じていたという。登山家である彼が、なぜ中国非難の声を上げたのか。日本はこの事態にどう対応すべきか。率直な意見を聞いた。(取材・構成:山際澄夫)

中国資本による凄まじい開発

山際 3月14日にチベット自治区のラサで発生した僧侶らによる"騒乱"は、四川、青海、甘粛各省のチベット人居住区に拡大し、中国の治安部隊はこれに銃撃を浴びせています。野口さんは昨年、チベット側からエベレスト登頂に成功されました。チベット人との交流も深いと思いますが、今回の事態をどのようにご覧になっていますか。

野口 はっきりいえば、こうなるのは時間の問題だと思っていました。中国の警察が木の棒でチベット人を引っぱたく光景をよく見掛けましたから。

山際 日常的に、そういう行為をやっているのですか。

野口 そう、しかもそれはラサに限りません。浮浪者のような人が寝転がっているだけで殴る。それが常態化しているんです。エベレストの比較的近くに、ネパールとの国境であるナンパ・ラ峠があります。チベット人はその峠を越えてネパールに入り、交易や巡礼をする。峠のネパール側にはシェルパ族の村があり、私がネパールに行ったときも牛に似たヤクという動物に品物を載せて、彼らはシェルパ族の村に行商に来ていました。
2006年10月13日、いつものように彼らがナンパ・ラ峠を越えようとしたとき、一行に向けて中国警備当局が銃を発射した。近くにいたヨーロッパの登山家が一部始終を撮影し、その映像がユーチューブを通じて世界に流れ、弾圧の現状が知られるところとなりました。私も映像を見ましたが、ほんとうに驚きましたね。行列の先頭の人が撃たれて倒れたら、普通の人は逃げるでしょう。しかし、彼らはまったく動じない。さらにパーンと撃たれ、次の人が倒れても、整然と歩いている。チベット人の覚悟を見た気がしました。

山際 彼らはチベットからの難民ではないのですか。難民がナンパ・ラ峠を越え、ネパールに逃れようとした、という見方もありますね。

野口 あのルートは有名で、交易する人も、難民も、同じ道を歩くんです。真相ははっきりわからない。にもかかわらず『朝日新聞』は、チベット人が中国警備隊に危害を加えようとしたから、正当防衛で撃った、と報道した。その後、清掃活動のためにエベレストに足を運びましたが、ベースキャンプで大変な人数の「公安」を見掛けました。僕らが清掃で何を拾っているかも調べに来ましたし、アメリカ人が「フリー・チベット(チベット解放)」と看板に書いただけで逮捕したり、という厳しさでした。

山際 しかも中国は今年、北京オリンピックを控えている状況です。

野口 だから極度に神経質になっているんです。エベレスト山頂に向けて聖火リレーが行なわれる予定で、中国警備隊にとってはその実現が最重要課題。5月10日に聖火を山頂に上げる、とすでに発表していますから。そのために現地に300人を待機させています。チベット人の知人に「でも天気が悪かったらどうするの?」と聞いたら、「それでも上げなきゃいけない。300人いるから押し込んでいけば何とかなる」と。「それでは旅順攻防戦の203高地と同じだ」といったんですが。
周囲の開発もいま、凄まじい。1995年にラサへ行き、毎年のように足を運んでいますが、最初に訪れた時点で、かなり中国資本による開発が進んでいました。オリンピックの準備でそれが加速して、1年単位で町の姿は変貌している。チベットの町は路地裏が入り組んでいますが、それが年々壊され、すべて大通りに変わっています。高層建築が増え、秋葉原の電気街のようなショッピングセンターも、高級ホテルもある。上海に通じる鉄道(青蔵鉄道)も開通し、その駅の規模たるや、東京駅など目ではないくらいです。そうなると、今度は観光客がやって来る。2006年には21万人だったのが、2007年は36万5000人にまで増えました。

山際 急増しているわけですね。

野口 そこから新しいビジネスが生まれ、さらに中国人がなだれ込む。ベースキャンプにしても、すっかり様変わりしてしまいました。

山際 心あるチベット人は危機感を覚えていたんでしょうね。ところでベースキャンプというのは、固定された場所にあるのですか。

野口 そうですね。日本でいえば、富士山の5合目、というイメージです。ラサからベースキャンプまでのほとんどを舗装し、民宿やお土産屋、定食屋、女性付きのパブまである。去年からは観光バスもどんどん上るようになりました。じつは今年の春も、チベット側で清掃活動をする予定だったんです。ところがオリンピックの前だから、ゴミのあるところを写すな、と条件が付いた。それならやる意味がないので、ネパール側から山に登る準備をいま進めているところです。

ダライ・ラマの言い分は正しい

山際 野口さんはどのようなかたちでチベット人と交流されるんですか。シェルパ(山岳案内人・荷運び人)と一緒に登頂するときでしょうか。

野口 ネパール人はイギリスの影響でシェルパとして登山隊のサポート要員となったりしますが、チベット側にはそういう文化がありません。チベット人は、ベースキャンプのさらに上のほう、ヤクが上がれるところまで、ヤク使いとして来るんです。6000メートルぐらいまでは、チベット人と一緒に登る。あるいはチベット登山協会という組織があって登山家たちの面倒を見てくれますが、そこでもさまざまな話をする機会があります。

山際 聖火をエベレストに上げる、という話がありましたが、チベット人にとってエベレストは神様の宿る「聖なる山」です。心情としていたたまれないのではないか。中国に対するチベット人の本心を、野口さんはお聞きになったことがありますか。

野口 表面的にはなかなかわかりませんが、親しくなると本音を語りますね。ダライ・ラマがインドに亡命したあとに、中国が認可したパンチェン・ラマというお坊さんがいます。チベット仏教ではダライ・ラマに次ぐ高僧ですが、チベット人は彼を傀儡だ、と思っている。象徴は必要ですから、とりあえず認めてはいますけど。今回の暴動について中国政府は、ダライ・ラマが裏で糸を引いている、といっています。しかし本人は否定しています。
私はダライ・ラマの言い分が正しい、と思う。
もしほんとうに彼が「戦え!」といえば、あの程度では済みません。
一億玉砕のようなことが起きるでしょう。

山際 ダライ・ラマに対する尊敬心や宗教心が、チベット人にはまだ根付いているんですね。

野口 そうですね。しかしそれはイラスム教徒的な盲目心ではありません。ダライ・ラマとはチベット仏教の象徴であると同時に、チベットそのものの象徴です。長きにわたってチベットは中国に支配され、虐げられ、苦しんできた。国力が違いますから、まともに戦っても勝てません。だからじっと耐えてきたし、どこかで中国の一部になるのをよしとした部分すらあるように思います。中国の政策によってものが溢れ、町全体も裕福になった。いまのほうが快適だ、と若者などは思っているのではないでしょうか。
しかし裕福になれば、新しい問題が起きる。アルコールが入ってきて、チベット人は酒を飲みますから、中毒者が増え、ラサでは酔った浮浪者が徘徊している状況です。経済格差も発生し、社会の脱落者が出てきた。精神的にすさんでいくわけです。
外交官だった私の父(野口雅昭氏・京都文教大学教授)は、戦後教育が日本の心を壊していくのを目の当たりにした、といいましたが、中国もチベットに対して同じことをやろうとしている。あからさまな弾圧はできないから、精神構造から崩していくという戦略です。

山際 ダライ・ラマは、「文化的ジェノサイド」といいましたね。チベット独自の文化や伝統を宗教も含めて根絶やしにし、チベットの生息空間をなくそうとしている。インドに亡命しているダライ・ラマの姉も「魂が大事で、それを失ってしまえば民族は滅びる」と発言しているようです。中国の同化政策とは、一言でいえば、「魂を奪う政策」です。チベットの寺院では中国の愛国主義教育、つまり中国共産党を讃える教育まで行なっているという、驚くべき実態がある。

野口 「共産党バンザイ」という文言が、町中の至るところに書いてありますからね。
しかし最後の最後、その文化の部分でチベット人はダライ・ラマに寄り添い、必死に抵抗している。耐えてきた彼らがついに爆発した。それが今回の騒乱です。

山際 チベットはもともとは独立国家です。チベット人の全人口は600万人程度なのに、中国によって100万を超えるチベット人が虐殺されてきた。チベット出身のペマ・ギャルポさんの話を聞くと、家族が1人も虐殺の目に遭っていない人は見当たらないそうです。そのような扱いを受けても、彼らはけっして武力で抵抗しない。

野口 短刀はもっていますが、実際に使用することはありません。

山際 そんなチベット人に対し、中国政府は、「人民戦争だ」と言い放った。戦争状態だから、銃撃し、殺してもよい、としたのです。

野口 中国はいつもそうで、ナンパ・ラ峠でチベット人への銃撃が話題になったときも、初めは事実すら認めませんでした。しかし映像が世界に行き渡ってしまうと、「チベット人が危害を加えてきたから、正当防衛で撃った」と訂正した。今回も同じで、最初は「発砲していない」といったでしょう。それが次には「警察が身の危険を感じ、正当防衛として威嚇射撃をした」と。死者の数についてもチベット亡命政府が「140人以上」、中国側は「20人」と食い違っている。
中国が20人しか撃ち殺していない自信があるなら、世界のメディアに「取材してください」といえばいい。しかし当局が取材許可を与えた海外メディアの記者は10数人、日本では共同通信社だけ。外国人旅行者ですら、多くがカメラやビデオを没収されている。没収自体が隠蔽行為です。

山際 「毒ギョーザ事件」に対する対応も同じですね。しかし、なぜこのタイミングでチベット人は暴動を起こしたのでしょうか。

野口 北京オリンピックで世界の目が中国に集まっているいまなら、国際社会が注目してくれる、と考えたのでしょう。戦略として正しいと思います。彼らには武力がありませんから、国際社会に訴えるしか手段がない。逆にいえば、彼らが必死で訴えるメッセージを、僕たちはしっかりキャッチしなければならないんです。

いま発言しなければ、僕は十字架を背負う

山際 そういう意味では、国際社会はチベットの声を受け止めていますね。3月21日、アメリカの米議会下院議長のペロシ氏がインドでダライ・ラマと会談し、中国政府の行動を強く非難したうえで、「中国政府の弾圧に声を上げないなら、人権を語る資格を失う」といいました。

野口 EU議会も「北京オリンピック開会式のボイコットも辞さない」と発言しました。実際にボイコットするかは別にして、いま中国はそういわれるのがいちばん怖い。EUはそのカードを切った。日本ももっと人権問題など、さまざまなカードを使うべきでしょう。

山際 アメリカではリチャード・ギアやミア・ファロー、ミア・ファローに煽られたスティーブン・スピルバーグなど、数えきれない人が非難の声を上げています。しかし日本では、町村官房長官が「基本的には中国の国内問題というものの、双方の自制を求める」という、何がいいたいのかよくわからない発言を行なった程度でした。

野口 中国は最初、チベット人が店舗を壊し、物品を略奪する映像を外部に流しました。予備知識なしであの映像に出合えば、おなかをすかせた農民一揆のように見える。それに対して「正当防衛で撃った」というんです。「双方」という言葉を使った時点で、中国に加担していることになる。

山際 そんな状況下、野口さんが声を上げられたのは素晴らしいことだと思います。

野口 じつは登山家は皆、現状をよく知っているんです。
チベットと登山家の縁は深く、チベット人に対する思いも同じ。
問題は、その思いを公の場でいうか、それともいわないか。僕がチベットについて自分のブログやホームページに書いたときも、

「よく書いたな。おまえはもうチベット側から登れないぞ」

といわれました。実際にそうだと思います。僕の最終目標はエベレストをチベット側から登ってネパール側に降りることでしたが、それが失われてしまった。
登山家の多くが自身の欲望のために発言を控えるのは、ある意味、当然のことでしょう。しかし、僕はその欲望と、現場を知ってしまった人間の思いのどちらを優先すべきか、自分に聞いたんです。そして、やはり後者を優先すべき、という答えが出た。

いま発言しなければ、そのために僕は十字架を背負うことになるんです。

オリンピック選手にしても同じですが、しかし登山家とは違い、彼らは現役年齢が限られている。4年に1度のチャンスを奪うのはきわめて酷な話です。彼らが発言できないならば、代わりに政治家がいえばいいのに、日本はそうしない。
登山家や政治家だけではありません。メディアも一緒です。騒乱が起こる前ですが、ある新聞の取材で「もうすぐチベットで大変なことが起きる、そう書いてください」といいました。しかし「オリンピックの取材許可が下りなくなるから、無理です」と返された。
事態はそこまで進んでいるのか、と愕然としましたね。しかし、本当に日本人はチベット問題に関心がない。一昨年、アメリカのボルダーという町に行きましたが、至るところで「フリー・チベット」という看板を見掛けました。本屋にもチベットの旗がはためいていた。日本でそんな光景に出合うことはないでしょう。

山際 日本とチベットは近い国なのに、あまりに態度が冷淡です。

野口 父親にいわせれば、扱うのが面倒なテーマらしいんです。その話題に触れるだけで、日本と中国の関係が冷えきっていく。触れないほうが無難、と判断しているようですが、本当にそれでいいのか。

山際 最終的にこの問題は、どうやって収束させればよいのでしょうか。

野口 北京オリンピックまでは中国もある程度、自制すると思います。
僕がいちばん恐れているのは、オリンピック後、中国が復讐に出ること。
暴動が起きた場所に調査団を置いて、復讐できないシステムをつくることが不可欠でしょうね。4月にネパールで7年ぶりの選挙がありますが、あの国は政府と共産ゲリラがずっと戦っていて、日本の自衛隊などさまざまな国の軍隊が、選挙がきちんと行なわれるかを監視する。チベットでも同じようなことをやればよい。単純にボイコットせよ、というのではなくて、ボイコットはしない。代わりに調査団を設置させよ、ダライ・ラマとも直接対話を行なえ、といえばいいんです。
いちばん避けるべきは、無責任にオリンピックに参加すること。オリンピックを開催したため、新たな血が流れる可能性がある。そうなれば選手だって傷つきます。自分が金メダルを取ってもその後に血が流れれば、生涯、十字架を背負って生きなければならない。直接的ではないにせよ、そうすること自体が中国への「加担」ですから。

山際 オリンピックというのは平和の象徴であり、正義の象徴です。

野口 ある意味で、政治の象徴でもあるんです。「政治をよくしていく」というポジティブな意味で。今回のチベット問題も、まさに政治問題でしょう。オリンピックによって実態を世界中が感知し、政治路線が変わっていくなら、それは世界にとってプラスです。「オリンピックと政治は別だ」と中国はいいますが、両者は必ずしも切り離せない。過去の歴史がそれを証明しています。ならばその関係を、ポジティブな意味に捉え直さなければならない。

山際 おっしゃるとおりですね。

(略)

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アルピニスト、野口健さんのインタビューです。
顔と名前は知っていて、登山家として、そしてエベレストでゴミ拾いをしているエコロジストの立場から発言をしている人だという認識くらいしかありませんでした。

エベレストという山を活動の場にしている以上、中国と事を構えるのはアルピニストというのを生業とする人にしては大変なことだと思います。

いま発言しなければ、そのために僕は十字架を背負うことになるんです。

野口氏が言う「十字架」をどれだけの人が背負っているのか。
多くの人が、この十字架に無自覚で、この重さを感じる想像力を持たないまま、日々の生活に埋没してしまうのであれば残念なことです。
じゃあ、お前は何をしているのかと言われれば、沈黙するしかないのですが、せめてこの重い十字架の一旦を心に背負い、自分でできることの無力を知りながらも、できることを模索していかなくてはならないと思います。


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2008年4月9日水曜日

権利と責任

「青少年ネット規制法」成立はほぼ確実 その背景と問題点
(ITmediaニュース - 04月09日 18:21)http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0804/09/news085.html

長いので、赤いトコだけ読んでもらえれば、なんとなく要点がつかめると思います。


 18歳未満の未成年者を保護する目的で広範なインターネット規制を行う法案が、現在自民党と民主党の内部で審議されている。未成年にとって“有害”なサイトをフィルタリング対象にし、未成年者が見られないようにしよう――という法案だ。
(略)

 自民党は3月19日、高市早苗・前少子化担当相を中心とした党青少年特別委員会が、ネット上の有害サイトを規制する議員立法案を内閣部会に提示。内容は民主党案よりも具体的で、内閣府に「青少年健全育成推進委員会」という独立行政委員会を設け、ネット上の全コンテンツについて、有害か無害かについての判断基準を作成する。有害情報のあるWebサイト管理者(個人含む)には、サイトを未成年が入れない会員制にするか、フィルタリングソフトがアクセス制限する対象として申請する――といった対応を義務付ける。ISP・携帯キャリアには、18歳未満のネットアクセスについて、有害情報をフィルタリングすることを義務づけ、是正されない場合は罰金や懲役も設ける方向で調整が進んでいる。
 同時に、PCメーカーに出荷時のOSにフィルタリングソフトをプリインストールすることを要請(努力義務を課す)し、インターネットカフェ業者に対しては青少年の客に対し、フィルタリングされた端末の使用と、ほかから見渡せる客席を利用させることを義務付けている。
 両党の法案の目指すべき方向性は運用の部分以外は非常に似通っており、党内調整がスムーズに進めば(自民党内ではこの法案に対して、総務部会が規制に慎重な姿勢を示しており、現在も継続的に審議している)、両者の法案が5月の連休明けにも国会に提出される可能性が高い。今国会の会期は6月15日までとなっているが、議員立法という形で「提出」されれば、今国会中に自民党案を中心にした法案が通ることはほぼ確実な状況だ。


●「有害情報」とは
 しかし、一概に「有害情報」を規制するといっても、どこからどこまでが青少年の発展に対して「有害」になるのか非常にあいまいであることは事実。まずは、自民党、民主党それぞれの(現時点における)有害情報の定義を見てみよう。

●自民党案の「有害情報」の定義
(1)人の性交等の行為又は人の性器等の卑わいな描写その他の性欲を興奮させ又は刺激する内容の情報であって、青少年に対し性に関する価値観の形成に著しく悪影響を及ぼすもの
(2)殺人、生涯、暴行、処刑等の場面の陰惨な描写その他の残虐な行為に関する内容の情報であって、青少年に対し著しく残虐性を助長するもの
(3)犯罪若しくは刑罰法令に触れる行為自殺又は売春の実行の唆し、犯罪の実行の請負、犯罪等の手段の具体的な描写その他の犯罪等に関する内容の情報であって、青少年に対し著しく犯罪等を誘発するもの
(4)麻薬等の薬物の濫用、自傷行為その他の自らの心身の健康を害する行為に関する内容の情報であって、青少年に対し著しくこれらの行為を誘発するもの
(5)特定の青少年に対するじめに当たる情報であって、当該青少年に著しい心理的外傷を与えるおそれがあるもの
(6)家出をし、又はしようとする青少年に向けられた情報であって、青少年の非行又は児童買春等の犯罪を著しく誘発するもの
(略)

 こうした青少年に対する規制にどこまで実効性があるかという議論は別にあるが、少なくとも雑誌や書籍といった従来型のメディアについては、法律や条例で一定の制限が課せられているのは事実だ。ところが、インターネットについては今までこうした制限がほとんどかけられていなかった。
 今回の自民党案も民主党案も、ロジックとしては既にある有害図書(メディア)への規制をネットにも適用すべし、というところが出発点になっている。わかりやすく言い換えれば「コンビニや本屋で18歳未満はエロ本を立ち読みできない(しにくい)が、これと同じ状況をネットで作れないか」というくらいのことが発端になっているということだ。

 青少年保護の名を借りたメディア規制は、数年前からさまざまな形で自民党内からも提起されてきた。だが、放送や新聞といった既存のマスメディアも含む規制はマスメディアからの反対が根強く、実際の法案として提出されるまでには至らず、葬られてきた。だが、インターネットについてはここ数年「フィルタリング」技術を提供する業者が成長してきたこともあり、完璧ではないにせよ、ある程度機械的な対応で規制することが可能になってきた。そこでまずうるさ型の既存マスメディアを対象外にして、ネット規制から始めるということが今回の法案提出の背景にあといえる。
(略)

●フィルタリングは弊害が大きすぎる
 問題は実際にフィルタリングという形で規制を行う場合の実効性と、それによる弊害がどれだけ生じるか、という話だ。
 この法案の実効性については、高市議員自身NIKKEI NETのインタビューで、規制によって完全な実効性を保障できるわけではないことを認めている。つまり、彼女の根底には「フィルタリングですべて解決できるわけではないが、しないよりマシならやるべき」という考えがあるのだ。そしてそれらは、「表現の自由」や18歳未満の「知る権利」よりも上回ってしかるべき――そしてそれは社会的にも容認される――という絶対的な自信に裏打ちされたもののようにも思える。
 しかし大前提として、フィルタリングから得られる「青少年の健全な育成」の効果よりもそれを超える弊害の方が多いのならば、拙速に規制を強化するべきではないのではないか。

 現実的な運用面でもっとも問題になりそうなのは、有害情報の定義だろう。前述の(1)ポルノコンテンツ、(2)暴力コンテンツについては、規制についてのある程度の“実績”もあるし、比較的定義付けもしやすい。ポルノはゾーニング(フィルタリング)で対処し、暴力的コンテンツは映画や有害図書規制などと近い基準のレーティングやセルフラベリングに基づいてフィルタリングすればOKだろう。
 (3)の自殺、児童売春を助長させるコンテンツ、(4)の違法薬物情報については、どこからどこまでを「有害」と定義するのか微妙な部分が残る。極端な話をすれば、ページに散りばめられたキーワードに基づいてフィルタリングをかける「キッズgoo」のようなシステムの場合、犯罪を誘発するかどうか分からないサイトもフィルタリングされてしまうからだ。

 例えばキッズgooで「自殺」と検索すると、上位20件のうち15件のページがフィルタリングされる。しかし、実際の検索結果を見てみるとフィルタリングされた15件のうち6件は自殺問題を統計・資料的に研究するようなサイトである(いわゆる「自殺サイト」と呼ばれるような掲示板サイトは3件)。このフィルタリングの精度を高いと見るか、低いと見るかは人によって様々だろうが、こうしたフィルタリングが問題のない情報のアクセスまで遮断していることは事実である。

 自殺サイトをきっかけにした自殺や、薬物汚染、出会い系サイトの隆盛による売春のカジュアル化など、ネットが現実の犯罪と結びつく事例が出てきているのも疑いのない現実だ。ただ(3)(4)の問題の場合、起点となっているものの多くが掲示板形式・コミュニケーションサービスであるということを忘れてはならない。事例がパターン化していることを考慮すれば、従来の犯罪事例に基づいてコミュニティやCGMサイトの運営者が共通で使える安全基準やサイトフィルタリングのためのガイドラインを作ることで、法規制ではない自主規制という形で実効性のある有害情報対策が行えるはずだ。

●「いじめサイト」はフィルタリングできない
 もっとも問題が大きいのは(5)ネット上のいじめ(学校裏サイトなど)に対する規制だろう。これは「学校裏サイト」と呼ばれる掲示板や、SNSなどのコミュニケーションサービスを通じて行われる「いじめ」を有害情報として規制するものだが、「いじめ」に該当する言語をフィルタリング技術で定義するのは非常に難しい。
 今までも「荒れる」ことを避けるために掲示板にNGワードを設定してきたサービスは少なくないが、特定のワードがフィルタリングされることを学んだ子どもは「隠語」を作ることでそうしたフィルタリングをすり抜けてきた。
 純然たるコミュニケーションサービスの場合、(1)~(4)のようにある程度の精度で機械的にフィルタリングできるわけではない。コミュニケーションとは「単語」そのものでは意味を成さず、文脈に依存するからだ。
 仲の良いクラスメイトに対して「お前バカだな!」と褒める文脈の書き込みをした場合と、いじめの対象になっている人間に対して「お前バカだな!」と書き込む場合で当然文脈は異なるわけだが、それを機械的に判断することはほぼ不可能だ。それらを一緒くたにフィルタリングすることで、健全なコミュニケーションまで阻害されてしまう懸念がある。

 自民党案では、有害情報が書き込まれた場合、Webサイト管理者に対しては18歳以上の者を会員とするサイトへの移行措置と、フィルタリングソフトへのラベリング情報の提供を義務付けている。これを月間100億近くのPVを誇るディー・エヌ・エー(DeNA)の「モバゲータウン」に適用して考えた場合、どうなるか。
 モバゲータウンは24時間365日体制・350人という監視人員を用いてルール違反の書き込みの抽出と削除を行っている。しかし、それでも漏れてしまう「有害」情報はあるだろうし、これに加えて自民党案・民主党案が定義するユーザー同士の「コミュニケーション」、つまり(5)まで含めた場合、モバゲータウンは18歳以上限定のサイトに移行するか、自らを「有害サイトです」とラベリングする情報を、フィルタリング業者に提供するほかなくなる。後者の場合、18歳以下のユーザーがモバゲータウンを使って健全なコミュニケーションを行っていたにも関わらず、ある日突然サイトごと見られなくなってしまう事態が生じるわけだ。


 この法案が施行されれば、こうしたサイト運営者の義務を逆手にとった背信的悪意者も登場しかねない。例えば、ある18歳以下も対象にしたコミュニケーションサービスのライバル企業や、掲示板やコメント機能を設けているブログなどのサイト管理者に意図的に有害情報を書き込み、ブラックリストに掲載させるといったケースも生じるだろう。

●有害情報ホットラインは現状でもパンク状態
 自民党案は1度ブラックリストに掲載されたあと、健全なサービスですということを証明し、ホワイトリストに復帰する手続きなどは民・民の調整期間で行うよう規定している。この民・民の調整期間はインターネット・ホットラインセンターが想定されているが、同センターに寄せられる通報は昨年1年間で計8万4964件。年々通報件数が激増しており、現在でもパンク状態になっている。
 重要なのは、現在のインターネット・ホットラインセンターが受け付けている違法情報は「わいせつ情報(わいせつ物公然陳列、児童ポルノ公然陳列、売春防止法違反の広告、出会い系サイト規制法違反の誘引行為)」「薬物関連情報(規制薬物の濫用を、公然、あおり、またはそそのかす行為、規制薬物の広告)」「振り込め詐欺等関連情報(口座売買などの勧誘・誘引など、携帯電話の匿名貸与業などの誘引など)」の3種類に限定――つまり、有害情報定義の(5)で想定されるような名誉き損、誹謗中傷行為などは現状取り扱い対象外になっている――ということだ。

 現状でもパンク状態なのに、今回の法案が施行されてインターネット・ホットラインセンターが、自民党・民主党が定義する「有害情報」の可否を巡る仲裁を行うようになれば、取り扱い件数はこれまで以上に膨大になる。インターネット・ホットラインセンターが正常に機能することは困難になるだろう。
 自民党案では、内閣府に置かれた特別行政委員会が指定する調整期間で紛争処理業務を行うよう規定しているが(これが事実上警察庁傘下にあるインターネット・ホットラインセンターの拡大と、天下りを助長させるという批判もある)、先日設立された、“健全”な携帯電話向けサイトを認定する民間機関「モバイルコンテンツ審査・運用監視機構」(EMA)のように、民間の業者は既に自主規制という形で有害サイトをフィルタリングするための取り組みを始めている。行政主導でコスト高となる民・民の紛争処理機関を作るくらいなら、民間業者の取り組みに任せた方が実効性も高く、コスト的にも安く付くフィルタリング規制が行えるのではないか。

●一律フィルタリングより実効性のある対策を
 現状、ネット上の有害情報をめぐる削除が進まない大きな要因としては、現行のプロバイダー責任制限法の及ぶ範囲が狭いことがボトルネックになり、削除手続きがなかなか進まないということも挙げられる。さまざまな弊害が懸念される広範なネット規制を行うより、プロバイダー責任制限法を強化し、違法情報を速やかに削除できる体制を整える方が実効性も高く、大きな弊害も生じないだろう。
 先日フジテレビ系で放映された「報道2001」に高市議員が出演したとき、ゲストの高校生が高市議員に対して「ネット規制よりも教育が大切。自分自身がネットを使うときのモラルやリスクを学校で学んだのは高校1年生の『情報』の授業だった。中学生からネットを使っていた自分はそれだと遅すぎると思う」と発言した。

 こうしたネット規制は、パターナリズム的に対処しても(高市議員本人が認めているように)限界が見えている。規制を行う際には、早い段階からネットリテラシーを高める教育もセットで行わなければならない。同番組で高市議員は「もちろん、親や学校における教育も大事だ」と答えたものの、教育に関する具体的なプランなどは語られなかった。このあたりも今後十分に議論されなければならない。
 社会的事象としてネットやケータイサイトを通じた少年犯罪や、犯罪に巻き込まれるケースが増えていることは事実だ。こうした現実に対して何らかの制度的対応を行う必要があることは疑いがない。
 しかし、法的に有害情報を一律フィルタリングする前にできることは多数存在する。
昨年末、携帯キャリアにフィルタリングを要望した総務省も、基本的には法制によるフィルタリングの義務化ではなく、民間の自主的な取り組みを前提に考えている。

 議員立法という拙速な形で法案を強引に通す前に議論すべきことは山積みであるし、今後のインターネットの「あるべき姿」を考える上で、われわれ「大人」のインターネットユーザーと、規制される側の青少年のユーザーが一体となって、今のネットの実態に即した議論を慎重に行っていかなければならない。残された時間はあまりにも少ないが……。

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要点をまとめるつもりが、段々法規制反対部分ばかりをマーキングしてしまいました。

これまで、社会に対して声を上げ、意見を表明するのはマスメディアに限られていました。様々な法規制の圧力に対して、「表現の自由」「出版の自由」「報道の自由」を盾に戦ってきたという功績は確かにあるでしょう。結果、検閲のない世の中に我々は生活することができ、それなりに知る権利を満足させることができました。
それでも、「それなりに」と書かなければならないのは、その戦いの結果、自主規制というメディアの落とし所でフィルタリングをされているためで、戦いのやりとりのなかで、部分休戦協定のようなものが始まり、結局その先のものにフタがされているからです。
官僚との癒着、政治家との癒着、宗教法人との癒着。書かないことに意義があることも多くあると思います。ただし、金や権力とバーターにされて日の目を見なかった真実も多いのではないのでしょうか。
この法案の本質は、あっぱり検閲です。
「子供には判断力がないので情報は与えないでおこう」、というのであれば、「大衆は煽動されやすく、判断力がないので情報は与えないでおこう」という論理とあまり変わらない気がします。

教育というのは確かに大事で、有害な情報にアクセスしやすくなったために起きている、様々な不利益や不幸はいっぱいあります。しかし、それをインターネットの所為にして、フタをすればいいという話ではありません。
フタをして遮断するのが親の責任ではなく、入ってくる情報を精査し、その意味を正しく教えてあげるのが親の責任であると思います。
そういう意味で、目先の重責から目を背け、政府の甘言に乗ることなく、庶民のそれぞれが、権利と責任を果たしていくのが先進的な国家のあり方であると思います。

(蛇足)
ブラックリストに掲載されたあと、健全なサービスですということを証明し、ホワイトリストに復帰する手続きなどは民・民の調整期間で行うよう規定している。この民・民の調整期間はインターネット・ホットラインセンターが想定されているが、同センターに寄せられる通報は昨年1年間で計8万4964件。年々通報件数が激増しており、現在でもパンク状態になっている。

っていうのは、ひろゆきの2chの書き込みの削除には、所定の手続きをしなければ対応しません。
というのとそっくりだな、っと思いました。ハードルの高さと腰の重さ的に・・・

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スティーブン・キング、暴力ゲームの法規制に反対
【ITメディアニュース】2008年04月09日 18時50分 更新http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0804/09/news118.html

「ゲームは、社会に既に存在する暴力を反映しているだけのように思える」――ホラー作家のスティーブン・キング氏はこう主張する。(ロイター)

 ホラー作家のスティーブン・キング氏が、米州の暴力的ビデオゲーム規制案を批判し、そうした規制は非民主的であり、子供の娯楽の監視は保護者の役目だと主張した。

 同氏はEntertainment Weeklyに寄稿したポップカルチャーコラムで、同氏自身はビデオゲーム好きではないが、マサチューセッツ州で18歳未満への暴力的なビデオゲーム販売を禁止する法案を提出されたことを聞いて憤慨したと述べている。
 「腹が立つのは、政治家が保護者の代わりにそれ(子供の娯楽の監視)を引き受けるということだ。その結果は悲惨なことになる。非民主的であるのは言うまでもなく」(キング氏)

 米国、英国、オーストラリアでは、暴力的なゲームの規制について議論が続いている。英国とアイルランドの当局は昨年、精神病院から脱走した患者が大量殺人を行うゲーム「Manhunt 2」を禁止した。
 暴力的なビデオゲームが暴力的な行動を引き起こすかどうかはまだ結論が出ていない。
 「シャイニング」「キャリー」など、ハリウッドで映画化された著作を持つキング氏は、同氏には、ゲームは社会に既に存在する暴力を反映しているだけのように思えると述べている。
 「頭に来るのは、政治家がせっせとポップカルチャーをスケープゴートにしようとしていることだ。彼らにとってはたやすく、楽しいことでさえあるだろう。ポップカルチャーは常にやかましいものだから。それに、部屋の中の象(大きな問題)を無視できる」

 キング氏は、既にビデオゲームのレーティングシステムが存在しているし、子供はゲームが欲しいと思ったら手に入れる方法を見つけてしまうため、ゲーム規制は意味がないと指摘する。
 また、コンピュータゲームよりも、米国における貧富の差の拡大と銃関連法の方が暴力的な行動につながっているとも同氏は主張している。
 バージニア工科大学で銃乱射事件を起こしたチョ・スンヒ容疑者がシューティングゲーム「Counter-Strike」のファンだったと主張する――実はそれは誤りだったのだが――のは批判派にとって実に簡単だと同氏は語る。

 「彼がプラスチックのゲームの銃をずっと使っていたら、自殺することもできなかっただろう」
 同氏は、最も効果的なのは、子供が何を見たり読んだりしているのか、何をやっているのか、誰と遊んでいるのかを保護者が把握し、気にかけることだと述べている。
 「保護者は、好ましくないと思ったものを禁止する勇気を持ち、なぜ禁止するのかを説明する必要がある」(キング氏)
 「保護者が子供のポップカルチャーライフを監視することも必要だ。子供が外でどんなゲームを借りているのかを知ることよりもずっと重要だ」



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2008年4月8日火曜日

奇怪

統一教会、2.3億円示談 「国の責任問う」で一転増額
【asahi.com】2008年04月08日15時03分http://www.asahi.com/national/update/0408/TKY200804080186.html

 「夫が病死したのは先祖からの因縁のせい」と脅され多額の献金をさせられたなどとして、世界基督教統一神霊協会(統一教会)などに約2億6千万円の損害賠償を求めた千葉県内の女性(70)に、統一教会側が2億3千万円を支払うことで示談が成立した。全国霊感商法対策弁護士連絡会(全国弁連)によると、統一教会側が1人に支払う示談額としては過去最高という。

 示談交渉で教会側は、1億3千万円を最高額として提示していた。しかし女性側が統一教会を所管する文部科学省の責任も問う姿勢をみせたところ、約1億円を上乗せした。民事訴訟としては昨年7月、統一教会側に2億7620万円の賠償を原告1人に払うよう命じた東京高裁の判決が最高額(確定)。
 女性側代理人の紀藤正樹弁護士によると、06年8月、賠償を求める通知書を初めて送った。これに対し統一教会側は当初、最高約1億3千万円の提示だった。女性側は昨年12月、「統一教会が誠意ある対応を取らない責任は文科省にもある」とする通知書と訴状案を送付。訴状では、宗教法人である統一教会を所管する文科省も被告とし、不作為を追及する姿勢を示した。


 統一教会側はその後、歩み寄り、約2億2千万円だった女性の被害額を約1千万円上回る解決金を払うことに先月合意し、支払いを始めた。

 宗教法人法は、文科省が事業停止を命じたり、裁判所に解散命令を求めたりすることができる、と定めている。

 紀藤弁護士は「統一教会は伝道活動、資金獲得活動といった宗教活動の根幹部分について、最高裁で違法性を認められた稀有(けう)な宗教法人で、違法集団と呼んでいい」と指摘し、文科省は同法に基づく是正措置を取るべきだと主張している。全国弁連事務局長の山口広弁護士は「統一教会側が高額の示談に応じたのは、文科省を刺激し、事業停止などの措置を受けたくないという思惑が働いたからではないか」とみている。

 統一教会広報部は「信者間の和解で法人は関係ない。信者のプライバシーにかかわるのでコメントは控える」としている。

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たまたま図書館で見かけて読んでいた本が

「神の国」の崩壊-統一教会報道前記録-有田芳生著

で、なんかタイムリーでびっくりしました。統一教会と言えば、92年に桜田淳子や、山﨑博子らがが参加した合同結婚式という儀式で一躍有名になりました。実態はというと、信徒を脅して金を寄付させる(正に上のニュースにあるようなケースです)だの、信徒を囲って花やハンカチを町で売り歩かせて上前をはねるといったケースが多く、そのくせ、

統一教会広報部は「信者間の和解で法人は関係ない。信者のプライバシーにかかわるのでコメントは控える」としている。

みたいに、時には宗教法人の顔をして免税を受けたり、時には「信者がやったこと」みたいにのらりくらりを繰り返します。また、関係団体(というか、はっきり言って一体なのですが)「国際勝共連合」のような政治組織の顔を使って行動を行ったりもしています。
ベースはあくまでキリスト教団体としていて、宗派を超え、すべてのクリスチャン、あるいは他の宗教が統一された教会のもと、キリストの生まれ変わりである文鮮明を祭ろうというわけの分からない宗教ですが、文化庁では推定47万人の信者がいるとされ、アメリカは日本に名指しで、洗脳拉致された信者を奪還しようとしない日本政府と警察を批判しています。

奇怪なのは、ブッシュ(シニアのほう)が統一協会の儀式に出席していたり、日本でも、安部普三、鳩山由紀夫、中曽根康弘を始めとして様々な政治家が勝共連合につながりを持つといわれています。

もともと、この本に興味を持ったのは「下山事件」を始めとする昭和の闇に興味があったからなのですが、勝共という名前の通り、共産国家打倒の目的を持って結成されたこの団体を組織した文鮮明はCIAとつながりを持っていて、GHQ占領下で、G2に協力させられて、反共産主義のために動いていた政治家や官僚に連なっていたのが上記の名前のでた人々とも言われています。

ずらーっと、最近目や耳にしたことを書き連ねましたが、宗教団体としての統一協会は人権蹂躙もはなはだしい集団であると、感じています。これらは、霊感商法が槍玉に挙げられたときをピークに下火になりつつありましたが、アンダーグラウンドにもぐり、アメリカの日本料理界を仕切っていたり、南米でおかしな事件を起こしていたりと得体の知れない噂が絶えません。その資金源に成っているのが日本での活動の結果とも言われています。

一面的な見方をするのは良くないのでしょうが、良いところがまったく見えてこない教団です。





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2008年4月7日月曜日

平和とか調和とか、そういう言葉の意味がどんどん軽くなっていきます。

聖火リレー妨害は「民主主義の勝利」、英各紙は好意的

【AFP BB News】2008年04月07日 13:18



【4月7日 AFP】(一部訂正)7日の英新聞各紙は、前日ロンドン(London)で行われた北京五輪の聖火リレーでの妨害行為を「民主主義の理想の勝利」と好意的に報じた。


 6日の聖火リレーでは、チベット(Tibet)暴動への対応をめぐり中国政府に抗議するデモ隊が市内を通過する北京五輪の聖火を消そうとするなどして、警官隊と衝突、37人が逮捕された。


 「民主主義の勝利だ。合法的かつ平和的にデモを行う権利が尊重される国に住んでいるわれわれは幸せだ」サン(Sun)


 「ひとつ確かなことは、ここ(英国)は中国が望むようなプロパガンダの勝利とはかけ離れた世界だということ」デーリー・メール(Daily Mail)


 「中国は今回のデモで、五輪を自分たちの都合で捉えることはできないと気づいたはずだ。聖火リレーはあらゆる権利を象徴するもので、中国の栄光を示すためのものではない。むしろ(ロンドンでの聖火リレーは)チベット問題への抗議を浮き彫りにしただけでなく、統制の及ばない不穏や混沌を内在するのが寛容な社会の本質だということを示す機会となった」タイムズ(The Times)


 デモ隊の行動は、中国が行ってきた人権侵害に対する抗議として的を射ている」デーリー・ミラー(Daily Mirror)
 もはや調和の聖火とは言えない。聖火リレーを今後どうするべきか?」インディペンデント(The Independent)



聖火消し、バスに退避 パリの五輪聖火リレー

【CNN.co.jp】2008.04.07



北京五輪の聖火リレーが7日、パリに場所を移し、エッフェル塔からスタートした。抗議活動の参加者が詰め掛ける中、警備要員が2度にわたって火を消し、トーチをバスで運搬する事態となった。
パリ市内のリレーは、元五輪メダリストらがセーヌ川沿いを走り、凱旋門やシャンゼリゼ通り、コンコルド広場、ルーブル美術館、ノートルダム寺院などを通過する28キロのルート。沿道のパリ市役所には、「人権の都市」をうたう横断幕が掲げられた。


抗議行動に備えて、中国からの警備要員が走者を囲み、その外側にローラースケートの警官、ジョギングシューズを履いた消防士らを配置、さらに白バイが周囲を固めるという厳戒態勢が敷かれた。略)



チベット独立派を強く非難 聖火リレー妨害で組織委

【NIKKEI News】



 【北京7日共同】北京五輪組織委員会の王恵・新聞宣伝部長は7日、北京で記者会見し、同五輪の聖火リレーが各地で妨害行動を受けていることについて、すべてをチベット独立派によるもの断定し「ごく少数のチベット独立派分子のやり方は平和的抗議ではなく暴力だ。悪質で、強く非難する」などと述べた。


 同部長は断定の根拠としてギリシャやロンドンなどで起こった妨害行動の例を細かく列挙した。しかし中国の少数民族ウイグル族が拘束された3日のトルコでの妨害には言及しなかった。

 聖火リレーは今後も抗議や妨害活動が予想されているが「平和を愛する人々の支持があり、誰も阻止することはできない」と話し、5月のチョモランマ(英語名エベレスト)登頂と6月19-21日のチベット自治区内でのリレーは予定通り実施すると強調した。


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まだ始まったばかりの聖火リレーですが、はやくも大変な様相を呈しています。

政治によるボイコットなどはかつても存在しましたが、民衆によるボイコットというのを見たのは初めてです。

「ごく少数のチベット独立派分子(笑)」の力はものすごいですね。

平和の祭典の象徴でもある聖火を、世界に冠たるスコットランドヤードも、フランスの警察・消防も食い止めることができなかったのですから、いよいよ軍隊を駆使して、なんとしても、平和の象徴を守らなくてはなりません。
パロディサイトのアンサイクロペディアでは、この競技のルールを詳細に記述しています。


エクストリーム・聖火リレー

次は4月9日、サンフランシスコのアメリカ大会です。前半戦のヤマ場と言えるでしょう。優勝候補だけに期待が高まります。
また、長野における日本大会は、4月26日と後半戦の日程なので、さらに高いパフォーマンスが要求されることでしょう。




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2008年4月6日日曜日

真価が問われています。

天台宗のトップ、チベット問題を涙ながらに語る。その0

天台宗のトップ、チベット問題を涙ながらに語る。その1



 今、私たち日本の仏教者の真価が問われています。

 チベットでの中国の武力行動によって、宗教の自由が失われることに心から悲しみと、止むに止まれぬ抗議を表明せずにはいられません。
 私たちはあくまでも宗教者、仏教者として、僧侶をはじめとするチベット人の苦しみを、もはや黙って見過ごすことができません。
 チベット仏教の宗教的伝統を、チベット人の自由な意思で守るということが、大切な基本です。
 皆さんは、日本の全国のお坊さんがどうしているのかとお思いでしょう。

 日本の各宗派、教団は日中国交回復のあと、中国各地でご縁のある寺院の復興に力を注いできました。私も中国の寺院の復興に携わりました。
 しかし、中国の寺院との交流は全て北京を通さずにはできません。
 ほとんど自由はなかった。
 これからもそうだと、全国のほとんどの僧侶は知っています。
 そして、日本の仏教教団がダライ・ラマ法王と交流することを、北京は不快に思うこともよく知られています。
 あくまでも、宗教の自由の問題こそ重大であると、私は考えています。

 しかし、チベットの事件以来、3週間以上が過ぎてなお、日本の仏教界に目立った行動は見られません。
 中国仏教界が大切な友人であるなら、どうして何も言わない、しないで良いのでしょうか。


 ダライ・ラマ法王を中心に仏教国としての歴史を重ねてきたチベットが、今、なくなろうとしています。

 私たちは宗教者、仏教者として、草の根から声を挙げていかなければなりません。
 しかし、私の所属する宗派が、中国の仏教界関係者から抗議を受けて、私はお叱りを受ける可能性が高いでしょう。
 このように申し上げるのは、私たちと行動を共にしましょうということではないのです。 それぞれのご住職、檀信徒の皆さんが、これをきっかけに自ら考えていただきたいのです。

 オリンピックにあわせて、中国の交流のある寺院に参拝予定の僧侶もいらっしゃるでしょう。

 この情勢の中、中国でどんなお話をされるのでしょう。

 もしも宗教者として毅然とした態度で臨めないならば、私たちはこれから、信者さん、檀家さんにどのようなことを説いていけるのでしょうか。


 私たちにとってこれが宗教者、仏教者であるための最後の機会かもしれません。

書写山 圓教寺 執事長 大樹 玄承 平成20年4月5日

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関西テレビで放送されている「ぶったま」という番組です。チベット問題について、天台宗のお坊さんが声明を表明しました。教団としての声明でないにせよ、日本の仏教教団(新宗教は除く)がこうした形でメディアに出てきて、意見を表明することは異例のことだと思います。

日本の宗教界がこうした声明を積極的にしないのは、太平洋戦争の際の反省があるのかもしれません。例えば、浄土真宗は太平洋戦争の際にこんな声明を出しました。

「罪悪人を膺懲し、救済せんがためには、殺生も亦、時にその方法として採用せらるべき」
(「仏教と戦争」昭和十二年八月本願寺計画課)

膺懲(ようちょう)とは、「懲らしめる」という意味のようです。

伝統仏教界が大きな力を持っていたとしても、太平洋戦争を回避させるようなことは、当時の国際情勢を考えるとできるわけがありません。また、戦争遂行が日本という国の将来を占うであろう時に、ただいたずらに「不殺生」を説くのも無責任な態度であるという謗りを免れない状況であったことは間違いないと思います。ただし、だからといって、戦争に積極的に加担するべきであったのか、という悩みは大きかったのではないか、と思います。

伝統宗教界は沈黙を続けています。それは、その影響力が政治やその他の勢力に利用されてしまうのではないか、という危惧があるのかもしれません。

その伝統宗教界に属する僧侶が、チベット問題に際して、深い悲しみを示し、中国の政治姿勢に対して疑義を呈するのは大きな価値があり、たとえ微力であっても、チベット仏教を信奉する人々に勇気を与えることができると思います。

文章は抑え気味ですが、

 もしも宗教者として毅然とした態度で臨めないならば、私たちはこれから、信者さん、檀家さんにどのようなことを説いていけるのでしょうか。私たちにとってこれが宗教者、仏教者であるための最後の機会かもしれません。

というところに、自分たちの価値を賭けた、静かな、強い決意を感じました。

テキストはコチラのサイトから拝借しました。

ぼやきくっくり



おまけ


日本最大の新宗教団体は、なぜチベット蜂起を支援しない?


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2008年4月5日土曜日

SAKURA

ギルティ・プレジャーズ ~ アリスター

http://www.amazon.co.jp/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%83%97%E3%83%AC%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%82%BA-%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC/dp/B000ICLV0S/ref=cm_lmf_img_3_rdssss0

内容紹介

日本オリジナル企画!アリスターのカバーEP!アリスターにカバーしてもらいたい曲を日本のファンからリクエストしてもらい、その中からなんとバンド自らが選曲。カラッと疾走するアリスター節と、彼らならではのセンスに裏打ちされた珠玉のカバー曲がびっしりの1枚。

「ビフォア・ザ・ブラックアウト」で披露したTHE BOOMの「島唄」の日本語カバーが超大好評だった彼ら。もはや恒例!?のJ-POPカバーはもちろん収録。

1曲目のイントロはJR総武線の発車メロディーのカバー!!また、スピッツの「チェリー」はかな~り大好評!

1. intro
2 チェリー
3. To Be With You
4. Tsunami
5. I Saw Her Standing There
6. さくら
7. Heaven is a Place on Earth
8. 島人ぬ宝

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ビレッジバンガードで視聴して買ってしまいました。

森山直太郎の「桜」のカバーが秀逸。

youtubeでは関係無いネトゲが背景の動画しかみつかりませんでしたが、歌詞も原曲を結構忠実に訳していて、やんちゃなパンク感が気持ち良いです。

スピッツ:チェリー



サザン:tsunami




なじみのある曲を、疾風感のある編曲で力強く表現するところは、どの曲にも共通しているところですが、肩の力の抜けたいたずら心のあるアルバムです。







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2008年4月3日木曜日

土建屋集団 IOC

USA TODAY チベット騒乱で“糾弾”  「IOCはなぜ沈黙する」
【産経ニュース】 2008.3.29 22:46
http://sankei.jp.msn.com/world/america/080329/amr0803292244017-n1.htm

米紙USA TODAYは、チベット族に対する弾圧が続く中国で五輪が開かれることに関し、国際オリンピック委員会(IOC)を痛烈に批判するコラムを運動面で掲載した。クリスティーヌ・ブレナン氏による記事の抄訳は次の通り。

 北京五輪と言って思い浮かべるのは抗議活動や取り締まり、検閲、死などスポーツ以外のことばかり。まだ3月だ。6、7月にはどうなっているのだろう。

 IOCは7年近くの間、中国に圧政的方法を改めるよう求めることができた。中国をもっと開かれた社会にすることは、北京に五輪を与える主たる理由だったのだ。残念なことに、IOCは中国に変化を促すことを何もしてこなかった。中国に五輪を与えたことで、共産主義政権に敢然と異議を唱えた人々の生活を悪化させた。勇気をもって立ち上がった人々への弾圧が増えているのを無視し続けることは、五輪が近づくにつれ不可能になっている。

 人権団体はIOCに、中国の変化に影響を及ぼすよう要望してきた。中国が何よりも気にかけているのは五輪を通じて自らの国を誇示できるかどうかであり、その意味では、IOCが中国政府に持つ力は巨大だ。

 ロゲIOC会長は「人権団体には(IOC本部がある)ローザンヌで定期的に会っており、尊敬の念は持っているが、IOCは中国に成り代わって仕事をする役目までは負わない。私の神聖なる優先事項はスポーツ選手のためによい大会を保証することだ」と語る。

 だが、ロゲ氏が動かないことは、氏が守りたいと願う選手や五輪の状況をより悪くするだけだ。中国に意見を言わないことは、中国の政策を嫌悪する人々をさらに怒らせることになる。

 IOCは2004年五輪の前に会場整備の遅れについてアテネに厳しく当たることには躊躇(ちゅうちょ)しなかった。それが今、(アフリカのスーダンの紛争地)ダルフールやチベットでの人権というもっと重要な問題で発言を拒んでいる。IOCは、スポーツを通して世界をひとつにしようとの高い志の組織というよりも、土木技師の集団か何かのようだ。

 06年冬季五輪のスピードスケートの米人金メダリスト、ジョーイ・チーク氏は「五輪とは人権のため人々が力を合わせる方法だとIOCは言うが、なぜ今回はそれについてはっきり言わないのか」と訴えている。


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北京オリンピックが決まり、開催が近づくにつれて、「中共の醜い部分が世界中に明らかに」とか「ジェノサイド・オリンピックの再来」とかはしゃいでいましたが、現実にチベット弾圧を目の当たりにすると、シャレにならなくなってきました。

中国政府は餃子問題に引き続き、「居直り」と「逆切れ」と「捏造」で乗り切ろうと必死ですが、残念ながら情報封鎖によって決定的な確証が得られない西側メディアではなかなか強い態度にでることができません。

北京オリンピックに際して「チベット問題は中国の内政問題だが、人権にかかわるようなことがあれば心配、懸念を表明せざるを得ない。」というどこまで突っ込んでよいやらわからない福田首相は論外ですが、情報を公開せずに、逃げようとする中国政府に対しては、あらゆる方面からきちんと人権擁護を訴えていくべきです。

そういう意味で、IOCには、中国に対して影響力を持ち、また崇高な理念に沿った行動を求めるべき機関であり、それをきちんと果たしていかないのであれば、

IOCは、スポーツを通して世界をひとつにしようとの高い志の組織というよりも、土木技師の集団か何かのようだ。

という謗りを受けてもしょうがないと思います。実際、IOCは、オリンピックの商業化を進めていて、拝金主義に陥っていると後ろ指をさされてきているわけですから、この場におよんでなお、上滑りな言葉でのらりくらりと批判をかわそうとするのであれば、早晩「オリンピックは平和の祭典」という称号を降ろさざるをえなくなるでしょう。

チベットの問題だけでなく、中国は東トルクメニスタン(新疆ウイグル自治区)の問題をかかえており、舵取りいかんでは、大虐殺が行われたり、紛争が始まったりと、大変な事態を招きかねません。もちろんこれは、中共という巨大な暴力装置による支配の結果であり、「北京五輪で声を上げたら、多少の人権が獲得できた」というのがゴールではないので、世界の注目が集まっている今こそが大事です。外国人メディアを締め出しているラサの様子は、残念ながら正しい形で伝わってきませんが、オリンピックが始まり、世界中のメディアが注視するなかで、情報封鎖の目を掻い潜り抜けて、チベット人や新疆ウイグル人らの迫害を受けている民族の姿を、人治国家中国において不遇な思いをさせられている人々の姿が世界に伝えられることを願ってやみません。

郷田良家 「慈悲と修羅」




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2008年4月2日水曜日

ブラックボックス

光市母子殺害 広島弁護士会も7弁護士懲戒せず
【産経ニュース】2008/4/2
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/080402/trl0804021430002-n1.htm

 山口県光市の母子殺害事件で、被告の元少年の弁護団を構成する各弁護士が「意図的に裁判を遅らせている」などとして大量の懲戒処分請求が出された問題で、広島弁護士会は2日までに、所属弁護士7人を懲戒処分しないことを決定した。

 懲戒請求された弁護士の1人によると、弁護士の品位を害する非行に当たらないとされた。
 大量の処分請求は、橋下徹大阪府知事が昨年テレビで呼び掛けたのがきっかけとされ、インターネット上に各弁護士会に懲戒を求める書面のフォームが出回った。


 この問題では、東京弁護士会や大阪、仙台弁護士会も処分しないことを既に決定している。

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懲戒の数が多いからといって、むやみに懲戒するべきではないとは思いますが、これだけ大きな反響を受けながら、棄却した理由について説明もないというのはどういう組織なのかと訝しく思います。

弁護士自治を掲げられるのは、一重に弁護士会に品格を重んじ、自浄作用を持っているということを世間が認めているから成り立つのであって、それを盾に、まるで既得権益かのように身内を守るような姿勢であれば、社会から非難を受けるのを逃れることはできません。

懲戒制度とは以下のとおりです。

日本弁護士連合会
http://www.nichibenren.or.jp/ja/autonomy/tyoukai.html

弁護士および弁護士法人(以下「弁護士等」といいます。)は、弁護士法や所属弁護士会・日弁連の会則に違反したり、所属弁護士会の秩序・信用を害したり、その他職務の内外を問わず「品位を失うべき非行」があったときに、懲戒を受けます(弁護士法56条)。

懲戒は、基本的にその弁護士等の所属弁護士会が、懲戒委員会の議決に基づいて行います。
弁護士に対する懲戒の種類は、次の4つです(同法57条1項)。


戒告(弁護士に反省を求め、戒める処分です)

2年以内の業務停止(弁護士業務を行うことを禁止する処分です)

退会命令(弁護士たる身分を失い、弁護士としての活動はできなくなりますが、弁護士となる資格は失いません)

除名(弁護士たる身分を失い、弁護士としての活動ができなくなるだけでなく、3年間は弁護士となる資格も失います)


私は、光市事件において、安田弁護士の態度というのは、必ずしも「懲戒事由として疑いの余地はない」と思っているわけではありません。しかしながら、その弁護士としての姿勢は絶対に誉められるようなものではないと思います。仮に、弁護士会の懲罰委員会がきちんと審議した内容を公開した上で、棄却し、その議論に一定の納得できる内容であるならば、?マーク付きであっても、弁護士会のなかでの自治が健全であるかどうかを計る指標になりますが、安田弁護士の行っている弁護手法に少なくとも多くの人が疑問を持っていることに対して、きちんと相対しないのであれば、弁護士や司法に対する失望は小さくないでしょう。

被告の利益を代弁するのが弁護士の仕事だとは思いますが、許しがたい犯罪者の弁護をしている弁護士が数多くいるなかで、これだけの非難を浴びている弁護士がいるのでしょうか。「これでも品位を欠かない」というのであれば、弁護士に必要な品位とは、一般の人が思っているよりずっと低い水準でも勤まるものなのでしょうね、としか思えません。

弁護手法もさることながら、最高裁の弁論日程を一方的にキャンセルしたこともありますし、別件の松本 智津夫裁判では、控訴趣意書を提出しなかったために、3審制であったはずの裁判を1審判決で確定させてしまうという信じられないことをやっています。

この弁護士にしてこの弁護士会あり、みたいにこのまま流れていってしまうのでしょうか。

こういう人権派を気取る弁護士のおかげで、世論は厳罰化を望み、また、市民の声が届かないという理由で裁判員制度がスタートしてしまうのかと思うと、司法全体の機能不全を感じずにはいられません。


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2008年4月1日火曜日

圧力に左右、不適切

官房長官「圧力に左右、不適切」 「靖国」上映中止で
【asahi.com】2008/4/1
http://www.asahi.com/culture/update/0401/TKY200804010335.html

 中国人監督が撮ったドキュメンタリー映画「靖国」の上映中止問題で、町村官房長官は1日の記者会見で「いろんな嫌がらせや圧力で表現の自由が左右されるのは不適切だ」と述べた。自民党の稲田朋美衆院議員側が公的助成金が出ていることを疑問視し、文化庁に問い合わせたことが発端になったとの指摘については「稲田さんは言論の自由はしっかり守られるべきだとも述べており、そのことが上映中止につながったとは考えない」と否定した。

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 昨日のエントリで、「靖国」の上映にまつわる雑観を書きましたが、映画館側が足並み揃えて上映を中止するとは思いませんでした。朝日の別の記事では、マスコミを中心とした労組団体が声明を出したことを伝えています。

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マスコミ関連労組、相次ぎ抗議声明 「靖国」上映中止でhttp://www.asahi.com/culture/update/0401/TKY200804010393.html

映画「靖国 YASUKUNI」をめぐり、トラブルを警戒して公開予定の12日からの上映が中止された問題で、映画・演劇をはじめとするマスコミ業界の労組が1日、相次いで声明を出した。

 新聞労連など9団体でつくる日本マスコミ文化情報労組会議(嵯峨仁朗議長)は「日本映画史上かつてない、映画の表現の自由が侵された重大事態。政治的圧力、文化支援への政治介入、上映圧殺に強く抗議する」などと訴えた。

 映画館関係者らでつくる映画演劇労働組合連合会(映演労連、高橋邦夫中央執行委員長)も声明で、「すべての映画各社、映画館、映画関係者は公開の場を提供するよう、映画人としての勇気と気概を発揮して欲しい」と呼びかけた。

 「靖国」をめぐっては、自民党の稲田朋美衆院議員側が製作に公的助成金が出たことを疑問視。国会議員向け試写会が3月12日に開かれた。その後、公開予定の映画館に街宣車が来るなどし、12日封切り予定だった5館すべてが上映中止を決めた。

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この声明では、「政治的圧力、文化支援への政治介入、上映圧殺に強く抗議する」と、政治責任を訴えているわけですが、稲田議員の試写会を開く過程や、その後の議論がどの程度、強権的なもので、圧力というにふさわしいものだったかは、紙面を見る限りでは明らかになっていません。

文化庁の個々の施策い対して、チェックを行うのは議員としての当然の役目ですから、作品の内容をチェックして補助金の使われ方が適切であったか否かを述べるのは政治的圧力といわれるのであれば、政府による文化支援など行えないのではないかと思ってしまいます。

ともあれ、これらの背景にあるのは右だの左だのと言われる、いわゆる保守VS革新という対立が軸になっているわけですが、実体験としてなかなかその実態を目の当たりにすることはないでしょう。おかしな反戦運動を臆面もなく展開しているのがいわゆる左翼であり、軍歌を大音量で流しながら街宣車で走ってるのが右翼です、というわかりやすいイメージはあっても、まともな社会人なら、そんなことをやってる暇があったら仕事しろ、と思ってしまいます。

最近の大阪や京都で盛んに報道されるようになってきた、公務員による組合である自治労や、部落民の反差別を旗印にする部落開放同盟などが、自治体をのっとり、不当な収入を得てきたりしている実態があきらかになってきて、「あー。左翼のシノギってこうだったのか」とようやくわかってきましたが、その一方で、右翼のシノギってどうなの?という疑問もあります。

街宣車に乗ってるような人たちは、一見やくざ風な物言いをするので、暴力団みたいなことをして収入を得ているように思ってましたが、そもそも、暴力に訴えて金品を得るのであれば、愛国心だの、天皇陛下万歳だのと理屈をこねないでストレートに脅せばいいんじゃないか、と思います。そんな疑問にようやく答えらしきものを得たのがこの「アメリカから来たスパイたち 」という本でした。

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アメリカから来たスパイたち アメリカから来たスパイたち (祥伝社文庫 (お17-1)) (文庫) 大野 達三

出版社 / 著者からの内容紹介日本はどう支配され続けてきたのか?政財界から特務機関まで組み込んだ、対日工作の全貌1945年8月、マッカーサーとともに米国のスパイ組織は堂々と上陸してきた。2年後、悪名高いCIAも密かに活動を始めた。下山事件や鹿地(かじ)事件など、戦後「黒い霧」と呼ばれ真相が闇(やみ)に葬(ほうむ)られた謀略事件に、CIAはいかに関わっていたのか? また彼らは日本の政財界をどのようにして操(あやつ)ったのか? 平成の今こそ検証すべき戦後日本の真相を暴く名著、待望の復刊!

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結論から言うと、戦後、様々な諜報を行ってきた特務機関があったわけですが、アメリカによる占領により、これらの日本人諜報員や機関はCIAに協力させられるようになりました。その中の一人が児玉誉士夫。彼は戦中に培った人脈とCIAの資金を利用し、多くの暴力団団体を吸収し、右翼的思想を支柱として、工作を行う実務部隊を組織しました。それが、今なお残る右翼団体というわけです。

児玉自身はロッキード事件で起訴され、判決を待たずに脳卒中でこの世を去りましたが、それらの末裔が今の右翼団体に連なっているようです。

思想としての保守、リベラルについてはどちらの意見にも耳を傾けるべきところは大きいと思いますが、それが運動体として、組織防衛や、組織拡大を図る過程には生臭いものが多く、辟易してしまいます。

ただし、戦後の歴史を振り返るまでもなく、この輪郭の曖昧な思想が旗印となり、運動体の連帯に一役買っていることも事実です。学校で習う歴史の中に近代が欠けていることから、これらを体系的に学び、知識の素養として政治や社会を語るということはなかなか難しいのですが、下山事件を初め、連合赤軍事件など、ちらちらと見え隠れする事件を振り返り、その伏流にあるものはなんなのか、というものを少しづつでも掘り返していかなくてはならないだろうと思います。



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