2008年1月18日金曜日

死刑制度について

ネットをぼんやりと漁っていたら、たまたま見つけてしました。

死刑廃止と死刑存置の考察・BLOG版
http://blog.livedoor.jp/aphros67/

Shinさんという方の、タイトルの通り「死刑問題」を扱っているサイトのようなのですが、考察が深く、例証が豊富で、話題の展開が豊かだったので、思わずぱらぱらと見入ってしまいました。

時間をみつけて、ゆっくりと拝見して、勉強させていただきたいと思います。最近のエントリーからの引用。

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捕鯨問題と死刑問題

(一部抜粋)
 昨年以来考えてきたことですが、どうもこの捕鯨問題と死刑問題というのは似ている気がします。何がどう似ているのか…ちょっと列記してみます。

1.残虐性の問題「捕鯨は残忍な行為である」
  → 「死刑制度は残虐な刑罰である」

2.個性の問題「鯨は高度な知性がある。」
 → 「死刑囚は芸術面・人間性において素晴らしい人たちがいる。」

3.科学的論拠の問題「鯨が増えているという科学的根拠はない。」
 → 「死刑に犯罪抑止力があるという科学的根拠はない。」

4.国際的潮流の問題「捕鯨は世界的に禁止されてきた。日本も見習うべき。」
 → 「死刑は世界的に廃止されてきた。日本も見習うべき。」

5.執行方法の問題「捕鯨砲による捕殺は鯨に酷い苦しみを与えている残虐な方法だ。」
 → 「絞首刑は死刑囚に酷い苦しみを与えている残虐な方法だ。」

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そのうち「捕鯨に携わる人たちの精神的負担は見逃すことはできない(≒刑務間問題)」とか「間違えて絶滅危惧種の鯨を捕殺することがあったらどうするのか(≒冤罪問題)」といった捕鯨反対論も聞こえてきそうです。どうでしょうか?なんとなく似ていませんか?
捕鯨問題と死刑問題で最も似ているなぁと感じるのは元々捕鯨大国・死刑大国の先進国が捕鯨反対・死刑反対を唱えているところです。


---------------------(中略)----------------------------
反捕鯨の歴史の欺瞞と、ヨーロッパ諸国との対比から、江戸時代の箱根の関所やぶりの刑罰における死刑制度の抑制的な運用について述べています。大変面白いので、ぜひ興味があるかたは、トラックバック元を参照してみてください。

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 このように日本では捕鯨・死刑とも謙抑的に実行されてきたわけです。これをいまさら野蛮と批判する欧米の姿勢に強い疑問をもちます。何故死刑や捕鯨は野蛮なのでしょうか。懲役刑が野蛮ではないという根拠、家畜屠殺/スポーツハンティングが野蛮ではないという根拠はどこにあるのでしょうか?そこに白人文化優越主義に裏打ちされたレイシズムを見出してしまうのは被害妄想なのでしょうか?欧州は自国の死刑復活派を抑えるために他国にまで死刑廃止を強要しているのではないかと考えてしまいます。死刑=野蛮という考えは価値観の問題です。私は死刑廃止論を否定しませんが、欧州各国が主導する死刑廃止には絶対に反対します(ちなみに私個人としては鯨肉は大嫌いです。捕鯨禁止になったとしてもまったく困りませんが)。

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捕鯨問題については、"スーパーホエール"という言葉に代表されるように、クジラを無条件に他の動物と異なり、保護、愛護されるべき動物である、とするような言説に欺瞞を禁じえません。Shinさんの「野蛮か否か」という考察に賛成です。

水産庁のホームページでは以下のように、そういう姿勢に対して強い批判をしています。

IWCは、今後科学に基づき決定を行う機関に立ち戻り、また適切に合法な捕鯨活動を認めることにより、管理機関としてのIWCの有効性・正当性を再度確立する必要がある。また、無条件にいかなる捕鯨にも反対であるとの立場をとる4カ国(米、英、豪及びNZ)については、そもそも条約の目的と矛盾する言動であるため、IWCとしてこれらの国々に脱退勧告を行う等、強い態度をとる必要があると考えられる。(水産庁 http://www.jfa.maff.go.jp/whale/indexjp.htm ←おススメです。)


これらの国の主張は、自分たちの思考停止した価値観を押し付け、一切の議論を受け付けようとしない、偏った主張と言わざるを得ません。

 さて、死刑制度については、私も「死刑存置派」です。

 自分の大切な人が殺されたら、間違いなく犯人に死刑を希望すると思うし、Shinさんの捕鯨になぞらえた死刑廃止派の「他の国もそうだから」とか、「死刑囚にも優れた人もいるから」とか、「死刑は残虐だから」といった理由で「死刑を回避すべき」と思えるとは思いません。

 「自分の大切な人が殺されたけど、こいつを死刑にしても、犯罪の抑止になるとは思えないから、死刑にはしたくないなあ」と思う人がいるのでしょうか。

 また、死刑制度は、「共同体からの究極的放逐」というのが一つの目的であろうと思いますが、自分の大切な人の死をないがしろにして、加害者の人権保護に汲々とするような共同体のどこに正義を覚え、信頼を置くことができるのでしょうか。

 ということで、私が死刑存置に賛成なのは、廃止派の論調にシンパシーを感じないこと。また、これは刑法全般に言えることですが、刑事裁判において、被害者、または被害者遺族が蚊帳の外に置かれているように感じることです。

 これは、評論家、宮崎哲哉氏の論調に近いのですが、死刑の成立の背景には「被害者側の報復権の廃止」と対となる部分があると思います。つまり、被害を受けた者が、受けた被害に対する報復をする権利を行使する代わりに、国家にその権利を委託して、社会的に公平感のある刑罰を与えることで、正義ある社会を構成しようという考えです。

 報復がまかり通る社会が良い社会とは思いませんが、そういう側面を無視して、一方的に加害者の権利拡大を求めたり、「加害者の更正の余地」をことさら大きく取り上げて、最高刑の水準を下げることには絶対に反対です。

 成人犯罪の殺人犯の再犯率は平成15年で41.1%です。死刑を廃止することで、死刑囚の命を救えるかもしれませんが、まさにそのために、失われる命があるとすれば、どちらを救いたいですか。


宮崎氏の死刑論についてはコチラ


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