2008年2月9日土曜日

「自由」と「自分勝手」

君が代判決―都教委は目を覚ませ
【asahi.com】2008年02月09日(土曜日)付http://www.asahi.com/paper/editorial20080209.html#syasetu2



 卒業式の君が代斉唱で起立しなかったからといって、定年退職した都立高校の教職員らの再雇用を拒むのは、裁量を逸脱、乱用したもので違法だ。東京地裁がこう判断し、13人に計2700万円の賠償を支払うよう東京都に命じた。

 東京都では国旗・国歌への強制ぶりが際立ち、抵抗する教職員が次々に処分されている。定年を控えた教職員に対しては再雇用をしなかった。こうした処分に対する訴訟も相次ぎ、今回の判決はそのひとつだ。

 国歌斉唱で起立しなかったことは、ほかの教職員や来賓には不快かもしれないが、積極的に式典を妨害するものではなく、再雇用を拒否するほどのものか疑問だ。これが判決の論理である。

 私たちはこれまで社説で、「処分をしてまで国歌や国旗を強制するのは行き過ぎだ」と主張してきた。様々な歴史を背負っている日の丸や君が代を国旗・国歌として定着させるには、自然なかたちで進めるのが望ましいと考えるからだ。

 今回の判決は都教委の強制ぶりを戒めたもので、評価したい。

 再雇用拒否の当否が争われた裁判では、東京地裁の別の裁判長が昨年、都教委の主張を認めた判決を出している。「一部の教職員が起立しないと式典での指導効果が減る」との理由だが、再雇用を拒むほどのことではないという今回の判決の方が常識にかなっている。

 今回の裁判でもう一つの論点は、起立させる校長の職務命令は、思想・良心の自由を保障した憲法に違反するかどうかだった。判決は「職務命令は原告らに特定の思想を持つことを強制したり、禁じたりしていない」として合憲とした。

 この点については、東京地裁の別の裁判長が06年、都教委の通達や指導を違憲と判断した。その当否は別として、裁判官によっても分かれているほど判断が難しい問題を、教育の場で一方的に押しつけるのは好ましくない。

 今回の判決を機に、都教委には改めて再考を求めたい。

 都教委の強硬姿勢が際立ったのは03年、入学式や卒業式での国旗掲揚や国歌斉唱のやり方を細かく示す通達を出してからだ。この通達のあと、延べ400人近い教職員を戒告や減給、停職の懲戒処分にした。再雇用を拒否された人は、今回の原告を含めて約40人にのぼる。

 教職員は君が代斉唱の時に、踏み絵を迫られる。立って歌っているかどうかを確認するため、校長だけでなく、都教委の職員が目を光らせる。

 こんな光景が毎年繰り返された結果、残ったのは、ぎすぎすした息苦しい雰囲気である。子どもたちの門出を祝い、新しい子どもたちを迎える場としては、およそふさわしくない。

 あまりに行き過ぎた介入は教育そのものを壊してしまう。今年も卒業式や入学式の季節が近づいているだけに、都教委にはそろそろ目を覚ましてもらいたい。

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 おまえが目を覚ませ!!

と思ってしまうのは、私だけではないはずです。まあ、朝日新聞と日教組は、「今日も正常運転中」ということなので、いちいち掘り返してもキリがないので、細かい点はスルーしますが・・・。

 今回のニュースで感じた本質的な部分を2つ。

 「日の丸」と「君が代」にアレルギーを持つ両団体の反応は規定路線なのですが、この人たちは、他国の国旗や国家について、どのように考えるのでしょうか。

 国のシンボルである国旗、国家に敬意を示すというのは、非常に基本的なマナーであり、グローバルスタンダードです。

 スポーツの国際大会などでも、国歌斉唱や国旗掲揚に対して妨害したり、あまつさえ敬意を態度で示さないことが非難の対象になることもしばしばです。(例えば国旗掲揚の時に、帽子を取らなかった。とかです)

 そういう行為が、相手に対しての敵対の意の表明と受け取られてもいたしかたない、という趨勢の中で、国旗、国家への敬意の念をどのように教育するのでしょうか。

 現状、親や共同体の躾という部分で補っているようですが、この国の教育機関はどのように考えているのでしょうか。己の思想信条のために、見て見ぬ振りを続けるのですか。

 ドメスティックな思想信条の問題のために、基本的なマナーを教えないのは教育機関としては不適合なのではないでしょうか。

 「日の丸」「君が代」に軍国主義を重ね合わせるのは勝手ですが、他国の国歌のほうが、軍国主義的なものが色濃く反映されているような気がしますが。

 アメリカ

おお、見えるだろうか、夜明けの薄明かりの中我々は誇り高く声高に叫ぶ危難の中、城壁の上に雄々しく翻(ひるがえ)る太き縞に輝く星々を我々は目にした
砲弾が赤く光を放ち宙で炸裂する中我等の旗は夜通し翻っていたああ、星条旗はまだたなびいているか?自由の地 勇者の故郷の上に!


フランス

いざ祖国の子らよ!栄光の日は来たれり暴君の血染めの旗が翻る戦場に響き渡る獰猛な兵等の怒号我等が妻子らの命を奪わんと迫り来たれり
武器を取るのだ、我が市民よ! 隊列を整えよ!進め!進め!敵の不浄なる血で耕地を染めあげよ!

カナダ

おお カナダよ!我等が故郷 我等が祖国汝の子すべてに流れる真の愛国心
興隆する祖国を見守るは 汝の輝ける心真の北国は 堅固にして自由なり!

おお カナダよ 広き彼方より我等は汝を守りゆかん 神よ 我等の大地を栄光と自由で満たし続けんことを願わん我等は汝を守りゆかん我等は汝を守りゆかん

中国

いざ立ち上がれ 隷属を望まぬ人々よ!我等の血と肉をもって我等の新しき長城を築かん
中華民族に迫り来る最大の危機皆で危急の雄叫びをなさん
起て!起て!起て!
万人が心を一つにし敵の砲火に立ち向かうのだ!

敵の砲火に立ち向かうのだ!進め!進め!進め!

ドイツ

イタリア


アメリカ、フランスは、2番以降さらにヒートアップしていきます。カナダやドイツは比較的抑制気味。中国はかなりハイテンションな感じです。イタリアは日独とともに敗戦国のわりにいい感じです。

 軍国主義的なものに敬意を表すのは適当でないのなら、これらの国の国歌にも同様の対応をするのですか。おそらくは、相当に民度の低い国民に思われるような気がしますが。


 2つ目は、卒業式は生徒のための行事だということです。

 日本の教育は、「協調性」を重視しているように思います。団体行動時の態度などは、社会に出てからも必要とされる大切な部分だと思いますが、なぜ、高々起立して、歌を歌うことを頑なに拒むのでしょうか。

 集団行動の大切さや、協調する態度の重要性を教えながら、その最後の儀式で、「思想信条の自由」を盾に、コレですか。

 生徒からすれば、規律と緊張感の中で、自分の努力の成果を称えてもらえるはずの卒業式を、なぜ一部の教員の「思想信条の自由」のために、水をさされなければならないのでしょうか。

 団体行動のルールも、協調性も大事だが、個人の自由のほうがそれに優先するのであれば、今まで教わってきたことは何なんだ、という話になります。

 自分勝手と自由の区別がつかない人には、教育に携わるべきでないと思います。

 最後に、朝日新聞はこう締めくくります。

 こんな光景が毎年繰り返された結果、残ったのは、ぎすぎすした息苦しい雰囲気である。子どもたちの門出を祝い、新しい子どもたちを迎える場としては、およそふさわしくない。
 あまりに行き過ぎた介入は教育そのものを壊してしまう。今年も卒業式や入学式の季節が近づいているだけに、都教委にはそろそろ目を覚ましてもらいたい。


 目を覚ましてどうしろと言っているのでしょうか。国旗掲揚や、国歌斉唱は、ぎすぎすするから止めろということでしょうか。

 国旗も、国歌も、国民のシンボルです。デザインや経緯が気に入らないからという一部の人間の意見に従って、何かが変わるのでしょうか。

 自分のことを大切にできない人は、他人にやさしくすることなどできません。





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