2008年4月26日土曜日

光市母子殺人事件判決




光市母子殺害判決の要旨

【産経ニュース】2008.4.22 17:45

http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/080422/trl0804221753029-n1.htm





【主文】


 第1審判決を破棄する。被告人を死刑に処する。




【理由】


《1》審理経過
 本件の審理経過などは以下のとおりである。



(1)平成11年4月14日夜、本村洋方の押し入れおよび天袋の中から同人の妻(以下「被害者」という)および長女(以下「被害児」という)の遺体が発見された。被告人は同月18日、被害者らを殺害したことを認めて逮捕され、勾留後、少年であったことから、山口家裁に送致された。そして、少年法20条の決定を経て、山口地裁に本件公訴が提起された。


(2)山口地裁は、被告人が美人な奥さんと無理矢理にでもセックスをしたいと思い、アパートを10棟から7棟にかけて、排水検査を装って各室の呼び鈴を押して回り、7棟の被害者方で排水検査を装ったところ、被害者に招じ入れられたことなどから、被害者を強姦しようと企て、その背後から抱きつきあおむけに倒して馬乗りになるなどしたが、激しく抵抗されたため、殺害した上で目的を遂げようと決意し、同女の頚部(けいぶ)を両手で強く絞めつけ、同女を窒息死させた上で強いて姦淫し(第1)、被害児が激しく泣き続けたため、付近住民に犯行が発覚することを恐れるとともに、泣き止まない同児に激高して、その殺害を決意し、同児を床にたたきつけるなどした上、首にひもを巻き強く引っ張って絞めつけ、同児を窒息死させて殺害し(第2)、被害者管理の地域振興券約6枚など在中の財布1個を窃取した

(第3)旨、本件公訴事実と同旨の事実を認定した。
 そして、被告人の刑事責任は極めて重大であるとしながらも、極刑がやむを得ないとまではいえないとして、被告人を無期懲役に処した


(3)差し戻し前控訴審裁判所は、検察官の量刑不当を理由とする控訴を棄却した。


(4)検察官が上告を申し立て、最高裁は、第1審判決の量刑を是認した差し戻し前控訴審判決は刑の量定が甚だしく不当であり、これを破棄しなければ著しく正義に反するとして、差し戻し前控訴審判決を破棄し、死刑の選択を回避するに足りる特に酌量すべき事情があるかどうかにつきさらに慎重な審理を尽くさせるため、本件を当裁判所に差し戻した。


《2》差し戻し控訴審の経過
 被告人は、強姦および殺人の計画性を争ったほかは、ほぼ一貫して、本件公訴事実を全面的に認めていた。そして上告審においても、公判期日が指定される以前は裁判所や弁護人に対し、本件公訴事実を争うような主張や供述をしていなかったことがうかがわれる。
 ところが被告人は当審公判で、本件各犯行に至る経緯、各殺害行為の態様、犯意などについて、供述を一変させた。

 すなわち、アパートの各室を訪問したのは、人との会話を通じて寂しさを紛らわせるなどのためであり、強姦目的の物色行為ではない。被害者を通して亡くなった実母を見ており、母親に甘えたいなどという気持ちから被害者に抱きついた。被害者の頚部を両手で絞めつけけたことはない。仰向けの被害者の上になり、その右胸に自分の右ほおをつけた状態で、被害者の右腕を自分の左手で押さえ、自分の頭より上に伸ばした右手で被害者の身体を押さえていたところ、被害者が動かなくなり、見ると、右手が逆手の状態で被害者の首を押さえていた。被害者をあやめてしまったという自責の念から、ポケットに入れていたひもを自分の左の手首と指に絡めるようにし、右手で引っ張って締め、自傷行為をしていたところ、被害児が動かない状態になっているのに気が付いた。被害児の首を絞めたという認識はない。被害者に生き返って欲しいという思いから姦淫した。被害者方に持っていった布テープと間違えて、財布を被害者方から持ち出した。殺意も強姦および窃盗の犯意もなかった――というのである。
 死刑の選択を回避するに足りる特に酌量すべき事情の有無を検討するに当たり、被告人が本件各犯行をどのように受け止め、本件各犯行とどのように向き合い、自己のした行為についてどのように考えているのかということは、極めて重要である。
 そこで、当裁判所は、被告人の新供述の信用性を判断するための証人尋問なども行った。


《3》新供述に至るまでの供述経過
 被告人の新供述に至るまでの供述経過は、以下のとおりである。


(1)被告人が逮捕された翌日に作成された被告人の検察官調書(乙15)には、被害者をレイプしようとしたところ、激しく抵抗されたことから、首を手で絞めて殺し、その後レイプした、被害児が激しく泣き続けたので、黙らせるために首をひもで絞めて殺したなどと、本件公訴事実を認める内容の供述が記載されている。
 それ以降作成された被告人の捜査段階の供述調書には、細かな点について多少の変遷などはあるものの、本件公訴事実自体については一貫して認める供述が記載されている。
 なお、被告人の平成11年6月10日付検察官調書(乙32)には、自宅を出た後、アパートの3棟に向かう途中で、アパートを回って美人の奥さんでもいれば話をしてみたい、セックスができるかもしれない、作業着を着ているので、工事か何かを装えば怪しまれないだろう、押さえつければ無理やりセックスができるかもしれない、布テープを使って縛れば抵抗されずにセックスができる、カッターナイフを見せれば怖がるだろうと考え始めたが、まだ、本当にそんなにうまくできるだろうかという半信半疑のような状態であった。排水検査を装って回るうち怪しまれなかったため、本当に強姦できるかもしれないとだんだん思うようになった、被害者を強姦しようという思いが抑えきれないほど強くなったのは、部屋の中に入れてもらってからである――などと記載されている。




(2)被告人は、家裁での審判において、本件殺人、強姦致死、窃盗の各事実は間違いない旨述べた。


3)被告人は、第1審において、本件公訴事実を全面的に認める供述をし、遺族に対する謝罪の言葉を述べた。


(4)被告人は、差し戻し前控訴審においては本件各犯行について供述していない。


(5)上告審においても、平成16年1月5日に提出された答弁書をみる限り、第1審判決が認定した罪となるべき事実を争っていなかった。
 しかし、平成17年12月6日、公判期日が指定された後、安田弁護士および足立弁護士を弁護人に選任した旨の届け出がなされ、それまでの弁護人2名が辞任したところ、安田弁護人ら作成の平成18年3月7日付弁論期日延期申請書には、被告人から、強姦の意思が生じたのは被害者殺害後であり、捜査段階および第1審公判の各供述は真実と異なるという申し立てがあった旨記載され、また、同弁護人らは、その作成に係る弁論要旨、弁論要旨補充書等において、本件各殺害行為の態様は判決が認定した事実と異なるなどとして、差し戻し前控訴審判決には著しく正義に反する事実誤認がある旨主張した。
 そして、上告審に提出された被告人作成の同年6月15日付上申書にも、これら弁護人の主張と同趣旨の記載がある。


《4》被告人の新供述の信用性および第1審判決の事実認定に対する弁護人の主張について


(1)被告人が当審公判で旧供述を翻して新供述をするに至った理由などとして述べるところは、以下のとおり要約できる。
 (ア)検察官の取り調べで、被害者とセックスしたことを、自分はレイプと表現せず、エッチな行為と話し、レイプであると決めつける検察官と言い争いになった。
 レイプ目的がなかったとあまりにも言い張るのであれば、死刑という公算が高まる、生きて償いなさいと言われて、検察官が作成した供述調書に署名した。
 また、供述調書に不服などがあれば、後で供述調書を作成してもらえると約束した。その約束があったので、殺すつもりや強姦するつもりがあったという供述調書の作成に応じた。
 捜査官に押しつけられたり誘導されたりして、捜査段階の供述調書が作成された。
 (イ)第1審で真実を話すことができなかった。人をあやめてしまっている事実や姦淫している事実は、自分自身がしたことでもあり、殺害や強姦の態様などが裁判の結果に影響するという認識は全くなかった。
 また、弁護人との事前打ち合わせが十分でなかった。弁護人に対し、強姦するつもりはなかったと話したが、通常この事件は無期懲役だから、死刑になるようなリスクがある争い方はしない方がいいと言われた。
 弁護人に対し、殺すつもりがなかったと言うことができなかった。姦淫した理由が性欲を満たすためと述べたのは、生き返らせようと思って姦淫したと言うと、ばかにされると思ったからである。
 (ウ)差し戻し前控訴審の弁護人に対し、犯行態様や計画性などが、第1審判決で書かれている事実とは違う、強姦するつもりはなかったというところを、どうにかしてもらえないかということを伝えた。
 (エ)平成16年2月から教戒を受けるようになり、教戒師に対し事件の真相を話した。そして、平成18年2月に安田弁護士らと初めて接見した際、事件のことを自分の口から教えて欲しいと言われ、被害者に甘えたいという衝動から抱きついでしまったこと、殺すつもりも強姦するつもりもなかったこと、右片手で押さえたことなどを話し、被害児にひもを巻いたことは覚えていないことなどを話した。
 自分の供述調書を差し入れてもらい、事件記録を初めて読んで、あまりにも自分を見てもらえていないことに憤りを覚えた。そして、細かい経過を思いだして紙に書き表し、勘違いや見落としを修正して上申書を作成した。


(2)旧供述を翻して新供述をした理由などに関する被告人の供述は、不自然不合理である。
 (ア)新供述と旧供述とは、事実経過や本件各殺害行為の態様、殺意、強姦の犯意の有無などが全く異なっている。自分の供述調書を差し入れてもらって初めて、その内容が自分の経験と違っていることに気付くというようなことはあり得ない。
 しかるに、本件公訴が提起されてから安田弁護士らが弁護人に選任されるまでの6年半以上もの間、それまでの弁護人に対し、強姦するつもりがなかったということを除いて、新供述のような話を1回もしたことがないというのは、あまりにも不自然である。被告人は第1審弁護人と接見した際、供述調書を見せられ、内容の確認をされた旨供述しているのであるから、その機会に供述調書の誤りを指摘し、新供述で述べているような話をしなかったということは考えられない。
 被告人は、弁護人が非常に頼りない存在であると認識しており、相談できなかったなどと供述している。
 しかし、被告人は、判決書が朗読されるのを聞いているほか、判決書や検察官作成の控訴趣意書などを読んで、犯行態様や動機について全く違うことが書かれているのは分かった旨供述していることに照らすと、弁護人に対し、判決で認定された事実が真実とは異なるなどと話したりすることもなく、無期懲役という極めて重い刑罰を甘受するということは考え難い。特に、差し戻し前控訴審の国選弁護人2名は上告審において私選弁護人に選任されているところ、これは、被告人が両弁護士を信頼したからこそ弁護人として選任したものと解される。
 そして、差し戻し前控訴審の国選弁護人が選任されてから上告審で公判期日が指定された平成17年12月6日までの問、弁護人は被告人と296回もの接見をしている。しかも、被告人は父親との文通が途絶え、弁護人が衣服、現金などの差し入れをしてくれるなど親代わりになったような感覚であった旨供述しており、多数回の接見を重ねた弁護人に対し、強姦するつもりはなかったという点を除いて、新供述で述べるような話をしなかったというのは、まことに不自然である。
 また被告人は、同弁護人に対し、一貫して強姦するつもりがなかったことを伝えたというのであるが、そのような説明を受けた弁護人が、死刑の可否が争われている重大事件において、強姦の犯意を争わないということは通常考えにくい。同弁護人作成の答弁書および弁論要旨をみても、強姦の計画性を争うのみであり、むしろ、強姦の犯意を生じたのは犯行現場においてであるという趣旨の主張が記載されているところ、そのような記載がされた理由について、被告人は分からないと述べるにとどまっている。
 なお、被告人は弁護人に対し、強姦するつもりはなかったと言ってはいないとも供述している。このように供述が変遷すること自体不自然である。
 被告人が公訴提起後6年半以上もの間、弁護人に対し、新供述で述べるような話をしたことがなかったのに、初めて接見した安田弁護士らから、事件のことを話すように言われて、新供述を始めたというのも不自然であるところ、被告人は納得できる説明をしていない。 (イ)被告人が検察官から生きて償うように言われて、事実とは異なる内容の供述調書の作成に応じたというのが真実であれば、死刑求刑は検察官の重大な裏切り行為であり、被告人が旧供述を維持する必要は全くない上、弁護人に対し、検察官に裏切られたとして事案の真相を告げ、その後の対応策などについて相談するはずである。
 しかるに、弁護人は弁論において本件公訴事実を争わなかったし、被告人も最終陳述において本件公訴事実を認めて、遺族に対する謝罪を述べたのであり、検察官に対する不満も何ら述べていない。
 しかも、被告人は供述調書の内容について、後で訂正してもらえるという約束があったというのであるから、新供述に訂正する供述調書の作成を求めたり、その旨弁護人に相談したりするなどしてもよさそうであるのに、そのような行動に出た形跡もない。生きて償うよう言われて、事実とは異なる内容の供述調書の作成に応じた旨の被告人の供述は、たやすく信用できない。
 (ウ)被告人は、安田弁護士から事件記録の差し入れを受け、初めて真相が分かったかのような供述をするが、自分の記憶に照らし、検察官の主張や判決の認定事実が真実と異なることは容易に分かるはずであり、事件記録を精査して初めて分かるという性質のものではない。



(3)被害者に対する殺害行為について
 (ア)被告人は当審公判で、被害者の頚部(けいぶ)を両手で絞めつけたことはない旨述べ、仰向けの被害者の上にうつぶせになり、同女の右胸に自分の右ほおをつけ、同女の右腕を自分の左手で押さえ、自分の頭より上に伸ばした右手で同女の身体を押さえ、右半身に体重がかかるようにして両足で踏ん張っていたところ、同女は徐々に力がなくなっていき動かなくなった、見ると、自分の右手が被害者の首を押さえており、右手の人さし指から小指までの4本の指と手の甲が見えるが親指は見えず、指先は左側を向いていた旨供述している。この供述によると、被告人は逆手にした右手だけで被害者の頚部を圧迫して死亡させたということになる。
 (イ)しかし、この点に関する被告人の当審公判供述は被害者の遺体所見と整合せず、不自然な点がある上、旧供述を翻して以降の被告人の供述に変遷がみられるなど、到底信用できない。
 (a)被害者の右前頚部(以下、被害者の身体の部位や動きに関する左右の向きは被害者を基準とし、頭側を上、足側を下と表す)および右側頚部全般は多数の溢血(いっけつ)点を伴って高度に鬱血(うっけつ)しており、その内部と周辺には4条の蒼白(そうはく)帯が認められる(以下、この4条の蒼白帯を上から順に「蒼白帯A」ないし「蒼白帯D」という)。被害者の前頚正中部に米粒大以下の多数の皮内出血(皮内出血A)、その左方に表皮剥脱(表皮剥脱B)、その下方に表皮剥脱(表皮剥脱C)、さらに左側頚上部に表皮剥脚(表皮剥奪D)が認められる。
 (b)大野曜吉医師および上野正彦医師は、被告人の旧供述は被害者の遺体所見と矛盾し、新供述は被害者の遺体所見と一致している旨判断している。
 しかし、被告人の新供述によると、4条の蒼白帯は上(被害者のあごの側)から下(被害者の胸側)に向かって順に右手の小指ないし人さし指によってそれぞれ形成され、前頚正中部の左方にある表皮剥脱Bは、右手親指によって形成されたものと考えるのが最も自然である。そして、証拠によれば、4条の蒼白帯は、ほぼ水平またはやや右上向きであり、親指に対応する表皮剥脱Bは、中指に対応する蒼白帯Cよりも上に位置していると認めるのが相当である。そして被害者は窒息死したのであるから、ある程度の時間継続して相当強い力で頚部を圧迫されたことは明らかであるところ、被告人が被害者の右前頚部から右側頚部にかけて、右手の人さし指ないし小指の4本の指をほぼ水平または被告人から見てやや左上向きの状態にして、しかも親指が中指よりも上の位置にくるような状態で、右逆手で被害者の頚部を圧迫した場合、かなり不自然な体勢となり、そのような体勢で人を窒息死させるほど強い力で圧迫し続けるのは困難であると考えられる。
 また仮に、表皮剥脱Bが右手親指によって形成されたものでなかったとしても、蒼白帯Dは下頚部に弧状をなしているところ、証拠によれば、その弧の向きは下に凸であるとみるのが合理的である。そうすると、被告人が右手を逆手にして、被害者の頚部を圧迫した場合、蒼白帯Dの弧の向きが下に凸になるとは考えにくく、これが下に凸になるようにしようとすれば、相当に不自然な体勢を強いられることになるのであって、被害者の遺体所見と整合しないというべきである。
 (c)被告人は当審公判で、被害者の背後から抱きついて以降、同女が死亡していることに気付くまでの経過について、被害者と被告人のそれぞれの動きだけでなく、そのとき室内に置かれていたストーブの上にあったやかんやストーブガードの動きまでも含めて、極めて詳細に供述している。しかも被害者の頚部を圧迫した行為については、被告人の左手、足、視線の向き、体重のかけ方などを具体的に供述しているにもかかわらず、頚部を圧迫していたと思われる右手に関しては感触すら覚えていないなどとして、あいまいな供述に終始しており、まことに不自然である。被告人が右手で被害者の頚部を押さえつけたとすれば、自分の手が被害者のあごの下や頚部に当たっていることは、その感触から当然に分かるはずである。特に新供述のような体勢で被害者の頚部を押さえつけたとすれば、床方向に向けて右手に力を加えることは困難であり、窒息死させるほどの力を加えるのであれば、自然と被害者のあごを下から頭部方向に押すようにして右手に力を加えることになると考えられるから、自分の右手が被害者の身体のどの部位に当たっているのか分からないということはあり得ない。
 大野意見によれば、被告人が右手の親指を内側に曲げて右逆手で被害者の頚部を押さえると、親指のつめの表面がちょうど表皮剥脱BとCに位置するというのである。しかし、そのような体勢で被害者の頚部を圧迫した場合、被告人の右親指にも圧力が加わり、被告人自身が痛みを感じることになるため、窒息死させるほどの強い力で圧迫し続けることができるのか、いささか疑問であること、被告人の右手のひらは、間に右親指が挟まって被害者の頚部とほとんど接触しないため、被告人の人さし指に対応する蒼白帯Dの長さが11センチにも達することになるとは考えにくいことなどに照らすと、大野意見は採用できない。
 また被告人が新供述のような態様で被害者を押さえつけて頚部を圧迫していたとすれば、同女は左手を動かすことができたと考えられるから、当然、その左手を用いて懸命に抵抗したはずである。被告人の供述する両者の位置関係からすれば、被害者は容易に被告人の頭部を攻撃することができたのであるから、左手で頭部を殴るなり頭髪をつかんで引っ張るなりして、抵抗するはずであるにもかかわらず、被告人が頚部を圧迫している間の被害者の動きについて、極めてあいまいにしか供述していないのも、まことに不自然である。
 そもそも、被告人の新供述のような態様で被害者の頚部を圧迫した場合、被害者が激しく抵抗すれば、窒息死させるまで頚部を押さえ続けることは困難であると考えられる。そのような態様での殺害は、被害者が全く抵抗しないか、抵抗したとしても、それが極めて弱い場合でなければ不可能であるというべきである。そうすると、被告人は被害者に実母を見ていたといっており、実母と同視していた被害者に対し、さしたる抵抗も攻撃も受けていないのに、窒息死させるほどの力で頚部を圧迫したということになるが、これもまた極めて不自然な行動であるというほかない。 (d)被告人の新供述は右逆手による被害者の殺害状況について合理的な理由なく変遷しており、不自然である。すなわち、被告人作成の上申書(平成18年6月15日付)には、被害者が大声を上げ続けたため、その口をふさごうとして右手を逆手にして口を押さえたところ、同女がいつの間にか動かなくなっていた旨記載され、被告人は平成18年12月から平成19年4月にかけて実施された加藤幸雄教授との面接においても、被害者が大声を上げたので右手でその口を押さえた旨供述していたことがうかがわれる。ところが、被告人は当審公判では、被害者が声を出したかどうか分からない状態にあった、右手の感触は覚えておらず、どこを押さえていたか分からない、などと供述している。
 このような供述の変遷が生じた理由について、被告人が当審公判でする説明は、到底納得のいく説明とはいい難い。
 (ウ)弁護人は逮捕当日に作成された被告人の警察官調書(乙1)には、「右手で首を絞め続けたのです」と記載されているとして、このとき被告人は右逆手で押さえたという新供述と同じく、被害者の頚部(けいぶ)を「右手」で押さえた旨供述していた旨主張する。
 上記警察官調書は、警察官が被告人から録取した供述内容を手書きして作成したものである。しかし、同じ警察官が手書きで作成した被告人の警察官調書4通(乙1ないし4)のうち、弁護人が指摘する上記部分のほか、「左」または「右」の文字が書かれた部分は別紙のとおりであるところ、同警察官の書く「右」という文字にははっきりとした特徴があり、これらの文字を比較対照すれば、弁護人指摘の警察官調書の上記部分は「右手」と記載されているのではなく、「左手」と記載されていることが明らかである。
 (エ)第1審判決は被告人の旧供述と関係証拠とを総合して事実を認定しているところ、弁護人は第1審判決が認定した被害者の殺害行為の態様について、被害者の遺体所見と矛盾があるなどとして、第1審判決は殺害行為の態様を誤認しており、ひいては殺意を認定したのも事実誤認である旨主張するので検討する。
 (a)弁護人は、旧供述では両手で扼頚(やくけい)したというのに、被害者の頚群に被告人の右手指に対応する創傷がないのは所見と矛盾している旨主張する。
 しかし、被告人は左手の上に右手のひらを重ねて置いて、被害者の頚部を絞めつけたというのであるから、被告人の右手が被害者の頚部に直接接触せず、右手指に対応する創傷が被害者の頚部に形成されなかったとしても、何ら不自然ではない。
 弁護人は、左手を順手として扼頚したというのに、被害者の左側頚部などに被告人の左手親指に対応する創傷がないと主張する。
 たしかに、左順手で被害者の頚部を圧迫すれば、通常、同女の左側頚部に左手親指に対応する創傷が形成されると考えられるところ、被告人の左手親指による圧迫行為によって、被害者の左側頚部上部(左下顎部)にある表皮剥奪Dが形成されたと推認することもできる。
 弁護人は4条の蒼白(そうはく)帯のうち、最上部の蒼白帯Aの長さが約3.2センチと最も短く、最下部の蒼白帯Dの長さが約11センチと最も長いことに照らすと、左順手で圧迫したとは考えられない旨主張する。
 しかし、遺体を解剖した吉田医師は4条の蒼白帯について、左順手で被害者の頚部を強く扼頚したために生起されたものとしても、特別矛盾しない旨鑑定している。また石津日出雄医師も、左順手で頚部を握るように強く圧迫した場合、小指による圧迫は指だけでなく手掌小指側(尺骨側)辺縁の圧迫が加算され、蒼白帯の長さが11センチになって当然であると判断している。
 以上の次第であるから、被告人の旧供述に述べられた被害者の殺害行為の態様が、被害者の遺体所見と矛盾しているとはいえない。 (b)弁護人は、被害者の左側頚上部の表皮剥脱Dについて、被告人が被害者にプロレス技であるスリーパーホールドをした際に、被告人着用の作業服の袖口ボタンにより形成された旨主張している。
 しかし、表皮剥脱Dは直径が約1.2センチの類円形を呈し境界明瞭(めいりょう)であるところ、作業服の袖口ボタンおよびその裏側の金具はいずれも円形であるものの、その直径は、それぞれ約1.5センチ、約1センチであると認められ、いずれも表皮剥脱Dとは大きさが異なっている。しかも、被告人は、当審に至って初めて、スリーパーホールドをして被害者の力が抜けた後、呆然(ぼうぜん)としていたところ、背中辺りに強い痛みが走り、同女が光る物を振り上げていた旨供述したものである。この供述は、被告人がまず最初に被害者に対し暴行を加えたにせよ、その後被害者から攻撃されて、なりゆき上、反撃行為としてやむを得ず被害者に対しさらに暴行に及んだと主張することも可能な内容であるにもかかわらず、当審公判まで1回もそのような供述をした形跡がない。このような供述経過は不自然であり、この供述を信用することはできない。
 表皮剥脱Dがボタンによって形成された旨の弁護人の主張は、採用できない。むしろ、被告人の左手親指により形成されたと推認するのが合理的である。



(4)被害者に対する強姦行為について
 (ア)被告人は当審公判で、性欲を満たすために被害者を姦淫したことや、強姦の犯意および計画性を否認する供述をした。そして、被害者が死亡していることに気付いた後、山田風太郎の「魔界転生」という小説にあるように、姦淫することによって復活の儀式ができると思っていたから、生き返って欲しいという思いで被害者を姦淫したなどと供述している。
 (イ)しかし、被告人は被害者の死亡を確認した後、その乳房を露出させてもてあそび、姦淫行為におよび射精しているところ、この一連の行為をみる限り、性欲を満たすため姦淫行為に及んだと推認するのが合理的である。
しかも、被告人は捜査段階のごく初期を除き、姦淫を遂げるために被害者を殺害した旨一貫して供述していた上、第1審公判においても、性欲を満たすために姦淫した旨明確に供述している。また、被告人の新供述によれば、被告人は姦淫した後すぐに被害者の遺体を押し入れの中に入れており、脈や呼吸を確認するなど同女が生き返ったかどうか確認する行為を一切していない。被告人の行動をみる限り、被害者を姦淫した目的が同女を生き返らせることにあったとみることはできない。
 さらに死亡した女性が姦淫により生き返るということ自体、荒唐無稽(むけい)な発想であって、被告人が実際にこのようなことを思いついたのか、甚だ疑わしい。被告人が挙げた「魔界転生」という小説では、瀕死(ひんし)の状態にある男性が女性と性交することにより、その女性の胎内に生まれ変わり、この世に出るというのであって、死亡した女性が姦淫により生き返るというものとは相当異なっている。そして、死者が女性の胎内に生まれ変わりこの世に現れるというのは、「魔界転生」という小説の骨格をなす事項であって、実際に「魔界転生」を読んだ者であれば、それを誤って記憶するはずがなく、したがって、その小説を読んだ記憶から、死んだ女性を生き返らせるために姦淫するという発想が浮かぶこともあり得ない。被害者を姦淫したのは、性欲を満たすためではなく、生き返らせるためであったという被告人の供述は到底信用できない。
 (ウ)また、被告人は当審公判で、被害者を通して亡くなった実母を見ており、お母さんに甘えたいという気持ちから被害者に抱きついた旨供述している。しかし、被害者に甘えるために抱きついたというのは、同女の頚部を絞めつけて殺害し、性的欲求を満たすため同女を姦淫したという一連の行為とはあまりにもかけ離れているといわねばならず、新供述は不自然である。
 しかも、被告人は捜査のごく初期の段階から一貫して、強姦するつもりで被害者に抱きついた旨供述しており、第1審公判においても、強姦しようと思った時期について供述し、襲ってもあまり抵抗しないのではないか、多少抵抗を受けても強姦できると思いこんだ旨供述していた。
 さらに、被告人は当審公判で、玄関ドアを開けた被害者が左腕に被害児を抱いているのを見て、淡い気持ちを抱いた旨供述している。
 しかし、被告人は捜査段階においては、玄関で応対した被害者が被害児を抱いていたとは一度も供述していない。被告人は被害者方に入った後、トイレで作業をしているふりをしてから風呂場に行き、そこを出たところで被害児を抱いて立っている被害者を見て、初めて同児の存在を知った旨供述していたのである。このような犯行前の経緯は被告人が供述しない限り、捜査官が知り得ない事情であるのみならず、新供述と対比して、犯罪の成否や量刑に格別差異をもたらすものではないのであるから、捜査官が真実と異なる内容の供述をあえて被告人に押しつける必要性に乏しいというべきである。また、被告人としても、このような事情について、真実とは異なる供述をする理由というのも考えられない。犯行前の経緯に関する被告人の上記供述は信用できない。
 (エ)被告人は当審公判で、戸別訪問をしたのは人との会話を通して寂しさを紛らわし、何らかのぬくもりが欲しかったからであり、強姦を目的とした物色行為をしたのではない旨供述する。
 (a)しかし、被告人は各部屋を訪問した際、玄関で「排水検査に来ました。トイレの水を流してください」などと言うのみで、その住民が水を流して玄関に戻っても、会話しようという素振りもなく立ち去ったり、住民がトイレの水を流している間に玄関に戻って来るのを待つことなく立ち去っている。このような被告人の行動は人との会話を通して寂しさを紛らわすために訪問した者の行動として、不自然との感を免れない。そのように立ち去った理由について、被告人はゲーム感覚になっており、ロールプレーイングゲームの中で登場人物が同じせりふしか言えないのと同じ状態で一定の言葉しか紡げない状況下、機械的な感じで、すぐその場を離れるようになった旨供述するが、被告人のいう訪問目的とは担当趣旨が異なっている。
 (b)しかも、被告人は第1審公判で、強姦の計画性を否認する供述をしていたものの、最終的には、戸別訪問を開始した時点で、半信半疑ながらも強姦によってでも性行為をしたいなどと考え始めていたことを認める供述をした。強姦の計画性を争っていた被告人が、供述を強制されることのない法廷で任意にした上記第1審の公判供述は高度の信用性が認められるというべきであり、強姦については、この供述で述べられた程度の計画性があったことは動かし難い事実であって、これに反する被告人の当審公判供述は信用できない。 (オ)ところで、加藤意見では、本件は強姦目的の事案ではなく、母胎回帰ストーリーともいうべき動機が存在するというのである。すなわち、被告人は母子一体の世界(幼児的万能感)を希求する気持ちが大きい。被告人は本件当日の昼、義母に甘えたものの、それが満たされずに自宅を出ることになったため、人恋しい気持ちに駆られ、自分を受け入れてくれる人との出会いを求め戸別訪問をした。そして、被告人を優しく部屋に招き入れてくれ、赤ん坊を抱く被害者の中に、亡くなった母親の香りを感じ、母親類似の愛着的心情を投影し、甘えを受け入れて欲しいという感情を抑えることができなくなり抱きついたところ、予期しない抵抗にあって平常心を失い、過剰反応として反撃した。そして、被害者の死を受け入れられず、戸惑いから非現実的な行為に導かれた。それは、自分を母親の胎内に回帰させることであり、母子一体感の実現であり、被告人はその行為に「死と再生」の願いを託した、というのである。
 しかし、加藤意見は被告人の新供述に全面的に依拠しているところ、被告人の新供述中、人恋しさから戸別訪問をした、玄関で対応した被害者が被害児を抱いていた、被害者に甘えたくて抱きついた、被害者を生き返らせるために姦淫したという供述は到底信用できないのであるから、加藤意見はその前提を欠いており失当である。
 (カ)弁護人は第1審判決が強姦の計画性があったと認定したことを論難するので、この点に関連する野田正彰教授の見解にも言及しつつ付言する。
 (a)野田教授は、強姦という極めて暴力的な性交は一般的に性経験のある者の行為であり、性体験がなく、性体験を強く望んで行動していたこともない少年が突然、計画的な強姦に駆り立てられるとは考えにくいなどとして、強姦目的の犯行であることに疑問を呈している。
 しかし一般論として、性体験のない者が計画的な強姦に及ぶことは、およそあり得ないなどとはいえない。
 (b)弁護人は、第1審判決が被告人は脅迫を用いて強姦することを計画した旨認定しながら、実際には脅迫を用いず暴行を用いて強姦した旨認定しているのは論理的に破綻(はたん)している旨主張する。
 しかし、第1審判決は被告人の計画について、カッターナイフを示すほか、布テープを使って女性を縛れば抵抗できないだろうと考えた旨認定しているところ、布テープで縛る行為は暴行にほかならない。第1審判決は被告人が脅迫と暴行とを手段として強姦することを計画した旨認定しているのであるから、脅迫を手段とすることを計画しながら、実際には暴行を手段としたというものではない。
 そして犯行計画というものは、その程度がさまざまである。本件のように、襲う相手も特定されておらず、相手を襲う場所となるはずの相手の住居も、その中の様子も分からないという場合、犯行計画といっても、それは一応のものであって、実際には、その場の状況や相手の抵抗の度合いによって臨機応変に実行行為がなされるものであり、あらかじめ決めたとおりに実行するというようなことが希であることは多言を要しない。 
第1審判決も、被告人が事のなりゆき次第でカッターナイフを相手に示したり、布テープを使用して相手を縛ったりして、その抵抗を排除することを考えていたことを認定したものと解される。弁護人の主張は、第1審判決を不正確に理解した上で、これをいたずらに論難しているにすぎない。
 弁護人は被害者方と被告人方とが近接した場所にあり、しかも、被告人が戸別訪問の際、勤務先の作業服を着て勤務先を名乗り、身元を明らかにしているなどとして、本件のような犯行をすれば、被告人が犯人であることが発覚する恐れが高いのであるから、被告人は戸別訪問をする際、強姦目的を有していなかった旨主張している。
 たしかに被告人が強姦に及べば、それが被告人による犯行であることが早晩発覚するような状況であったことは、弁護人指摘のとおりである。しかし、被告人は排水検査を装うため作業服を着用することが必要であったのである。そして、被告人が首尾よく性行為を遂げることに意識を集中させてしまい、本件でしたような戸別訪問をした上で強姦すれば、それが自分の犯行であることが容易に発覚することにまで思い至らなかったとしても、不自然とはいえない。
 しかも、被告人は差し戻し前控訴審の公判において、戸別訪問をしている時点では、作業服の左胸に会社名が書かれていることを忘れていた旨供述し、第1審公判では、父親に迷惑がかかるという考えは全くなかった旨供述しており、戸別訪問していた時点において、犯行が発覚することにまで考えが及んでいなかったことがうかがわれることも併せ考えると、弁護人指摘の点を考慮しても、強姦の計画性は否定されない。



(5)被害児に対する殺害行為について
 (ア)被告人は当審公判で、被害児を床にたたきつけたことはない、同児の母親をあやめてしまったなどという自責の念から、作業服ポケットにあったひもを自分の左の手首と指にからめるようにし、右手で引っ張って締め、自傷行為をしていたところ、被害児が動かない状態になっているのに気がついた、被害児の首を絞めたという認識はなく、同児にひもを巻いたことすら分からない旨供述する。
 (イ)被告人が被害児を床にたたきつけたこと自体は、動かし難い事実というべきであり、これを否定する被告人の当審公判供述は、到底信用することができない。
 被告人は、検察官調書(乙17)で、たたきつけたことを認め、少年審判および第1審公判において、同児を床にたたきつけたことを認めていたものである。特に、死刑の求刑後に行われた第1審の最終陳述においても、被害児を床にたたきつけた旨供述した上で、謝罪の言葉を述べていたのである。もっとも、その態様は被告人の検察官調書(乙25)にあるように、被告人が被害児を天袋から出した後、立ったままの状態で同児を後頭部から床にたたきつけたとは考えにくく、被告人が身を屈めたり、床にひざをついて中腰の格好になった状態で、同児をあおむけに床にたたきつけたと推認するのが合理的である。
 (ウ)ひもによる絞頚について
 被告人は当審公判で、被害児の首を絞めたという認識はなく、逮捕後の取り調べの際、捜査官からひもを示され、ひもが二重巻きでちょう結びであったことなどを教えてもらった次第で、当時は同児にひもを巻いたことすら分からない状態にあった旨供述する。
 しかし、被告人が被害児の頚部(けいぶ)にひもを二重に巻いた上、ちょう結びにしたことは証拠上明らかであり、そのような動作をしたことの記憶が完全に欠落しているという被告人の供述は、その内容自体が不自然不合理である。しかも、被告人の新供述は旧供述に依拠した第1審判決の認定事実と全く異なる内容であるにもかかわらず、被告人は事件から8年以上経過した当審公判に至って初めて、そのような供述をしたのである。差し戻し前控訴審の審理が終結するまでの間に、被告人が新供述のような内容を1回でも弁護人に話したことがあれば、弁護人が被害児に対する殺人の成否を争わなかったとは考えられない。この供述経過は、極めて不自然不合理である。被告人の上記当審公判供述は信用できない。


(6)窃盗について
 (ア)被告人は当審公判で、被害者方から出るときに布テープ、ペンチおよび洗浄剤スプレーを持って出て、3棟に着いた後、布テープと勘違いして財布を持ち出したことに気付いた旨供述する。
 (イ)上記財布はその形状、大きさ、色などにおいて上記布テープと全く異なっていることに照らすと、布テープと勘違いして財布を持ち出した旨の被告人の当審公判供述は、その内容自体がかなり不自然である。
 しかも、被告人は捜査段階から、財布を窃取したことを一貫して認めて具体的に供述していたのであり、当審に至って初めて、布テープと間違えて財布を持ち出した旨供述したものである。このような供述経過は不自然不合理であり、財布の窃盗を認める被告人の供述に不自然な点は見当たらない。この点に関する被告人の当審公判供述は信用することができない。



(7)被告人の新供述は信用できず、被告人の旧供述は信用できるから、これに依拠して第1審判決が認定した罪となるべき事実に事実の誤認はない。





《5》量刑について


 検察官は、被告人を無期懲役に処した第1審判決の量刑は死刑を選択しなかった点において、著しく軽きに失して甚だしく不当であると主張する。


(1)本件は、当時18歳の少年であった被告人が白昼、排水管の検査を装ってアパートの一室に上がり込み、同室に住む当時23歳の主婦(被害者)を強姦しようとして激しく抵抗されたため、同女を殺害した上で姦淫し(第1)、当時生後11カ月の被害者の長女(被害児)をも殺害し(第2)、財布1個を窃取した(第3)という事案である。


(2)被告人は中学3年生のころから性行為に強い関心を抱くようになり、早く性行為を経験したいとの気持ちを次第に強めていた。被告人は高校を卒業して、地元の配管工事などを業とする会社に就職したものの、10日もたたないうちに欠勤するようになった。
 本件当日の朝も欠勤して友人と遊ぼうと考え、会社の作業服などを着用し出勤を装って自宅を出た。そして友人宅でゲームをした後、自宅に戻って昼食をとり、再び自宅を出た。
 被告人は強姦によってでも性行為をしてみたいという気持ちが生じ、そのようなことが本当にできるのだろうかと半信半疑に思いつつも、自宅のある団地内のアパートの10棟から7棟にかけて、排水検査の作業員を装って戸別に訪ね、若い主婦が留守を守る居室を物色して回り始めた。そして、誰からも怪しまれなかったことから、本当に強姦できるかもしれないなどと次第に自信を深めた。
 被害者方に至り、排水検査の作業員を装い、信用されたのに乗じて室内に上がり込み、同女が若くてかわいかったことから、強姦によってでも性行為をしたいという気持ちを抑えきれなくなり、同女のすきを見て背後から抱きつくなどしたところ、激しく抵抗された。そこで被告人は、同女を殺害して姦淫した。さらに被害児が激しく泣き続けていたことから、泣き声を付近住民が聞きつけて犯行が発覚することを恐れ、同児が泣き止まないことにも腹を立て、同児をも殺害したものである。
 いずれも極めて短絡的かつ自己中心的な犯行である。しかも第1の犯行は自己の性欲を満たすため、被害者の人格を無視した卑劣な犯行である。本件の動機や経緯に酌量すべき点はみじんもない。
 その各犯行態様は必死に抵抗する被害者の頚部(けいぶ)を両手で強く絞め続けて殺害した上、万一の蘇生(そせい)に備えて、布テープを用いて同女の両手首を緊縛したり鼻口部をふさいだりし、カッターナイフで下着を切り裂くなどして姦淫を遂げ、この間、被害児が被害者にすがりつくようにして激しく泣き続けていたことを意にも介さなかったばかりか、第1の犯行後、同児を床にたたきつけるなどした上、なおも泣きながら母親の遺体にはい寄ろうとする同児の首にひもを巻いて絞めつけ殺害したものである。被告人は、強姦および殺人の強固な犯意の下に、何ら落ち度のない2名の生命と尊厳を踏みにじったものであり、冷酷、残虐にして非人間的な所業である。
 被害者ら2名は死亡しており、結果は極めて重大である。被害者は一家3人でつつましいながらも平穏で幸せな生活を送っていたにもかかわらず、最も安全であるはずの自宅において、23歳の若さで突如として絶命させられたものであり、その苦痛や恐怖、無念さは察するに余りある。被告人を室内に入らせたばかりに理不尽な暴力を受け、かたわらで被害児が泣いているにもかかわらず、同児を守ることもできないまま、同児を残して事切れようとするときの被害者の心情を思うと言葉もない。被害児は両親の豊かな愛情にはぐくまれて健やかに成長していたのに、何が起こったのかさえも理解できず、わずか生後11カ月で、あまりにも短い生涯を終えたものであり、まことにふびんである。一度に妻と子を失った被害者の夫ら遺族の悲嘆の情や喪失感、絶望感は甚だしく、憤りも激しい。しかるに、被告人は慰謝の措置といえるようなことを一切していない。遺族の処罰感情は峻烈を極めている。
 また、本件窃盗は第1、第2の各犯行後、被害者方から逃走する際、地域振興券などの入った財布を持ち去ったものである。地域振興券などを小遣いとして使おうなどと考えて財布を盗んだものであり、その利欲的な動機に酌むべき点はない。 被告人は犯行の発覚を遅らせるため、被害児の遺体を押し入れの天袋に投げ入れ、被害者の遺体を押し入れの下段に隠すなどしたほか、被害者方から自分の指紋のついたスプレーやペンチを持ち出して隠匿するなど、罪証隠滅工作をした。また、窃取した財布の中にあった地域振興券でゲーム用のカードを購入するなどしており、犯行後の情状も芳しくない。
 そして、本件は白昼、ごく普通の家庭の母子が自らには何の責められるべき点もないのに自宅で惨殺された事件として、地域住民や社会に大きな衝撃と不安を与えたものであり、この点も軽視できない。


 以上によれば、被告人の刑事責任は極めて重大であるというほかない。


(3)酌量すべき事情について検討する
 (ア)被告人には前科はもとより見るべき非行歴もない。幼少期に、実父から暴力を振るわれる実母をかばおうとしたり、祖母が寝たきりになり介護が必要な状態になると排泄(はいせつ)の始末を手伝うなど、心優しい面もある。
 (イ)被告人は幼少期より実父から暴力を受けたり、実父の実母に対する暴力を目の当たりにしてきたほか、中学時代に実母が自殺するなど、生育環境には同情すべきものがある。また、実父が年若い女性と再婚し、本件の約3カ月前には異母弟が生まれるなど、これら幼少期からの環境が被告人の人格形成や健全な精神の発達に影響を与えた面があることも否定できない。もっとも、経済的に問題のない家庭に育ち、高校教育も受けたのであるから、生育環境が特に劣悪であったとはいえない。
 (ウ)被告人は犯行当時18歳と30日の少年であった。少年法51条は犯行時18歳未満の少年の行為については死刑を科さないものとしており、被告人が犯行時18歳になって間もない少年であったことは量刑上十分に考慮すべきである。また、被告人は高校を卒業しており、知的能力には問題がないものの、精神的成熟度は低い。
 (エ)弁護人は刑法41条、少年法51条などを根拠として、少年の刑事責任を判断する際は、一般の責任能力とは別途、少年の責任能力すなわち精神的成熟度および可塑性に基づく判断が必要となる旨主張し、精神的成熟度がいまだ十分ではなく、可塑性が認められることが証拠上明らかになった場合には、死刑の選択を回避すべきであるなどと主張する。
 しかし、「少年の責任能力」という一般の責任能力とは別の概念を前提とする弁護人の主張は、独自の見解に基づくものであって採用し難い。また、少年の刑事責任を判断する際に、その精神的成熟度および可塑性について十分考慮すべきではあるものの、少年法51条は死刑適用の可否につき18歳未満か以上かという形式的基準を設けるほか、精神的成熟度および可塑性といった要件を求めていないことに徴すれば、年長少年について、精神的成熟度が不十分で可塑性が認められる場合に、死刑の選択を回避すべきであるなどという弁護人の主張には賛同し難い。
 たしかに、被告人の人格や精神の未熟が本件各犯行の背景にあることは否定し難い。しかし、各犯行の罪質、動機、態様にかんがみると、これらの点は量刑上考慮すべき事情ではあるものの、死刑の選択を回避するに足りる特に酌量すべき事情であるとまではいえない。
 (オ)被告人が上告審での公判期日指定後、遺族に対し謝罪文を送付したほか、窃盗の被害弁償金6300円を送付し、当審においても、遺族に対し被害弁償金として作業報奨金900円を送付した。平成16年2月以降は自ら希望して教戒師による教戒を受けている。また、被告人は当審公判において、これまでの反省が不十分であったことを認める供述をし、遺族の意見陳述を聞いた後、大変申し訳ない気持ちで一杯であり、生涯をかけ償いたい旨涙ながらに述べている。
 (カ)第1審判決は酌量すべき事情として、被告人の犯罪的傾向が顕著であるとはいえないことを摘示している。たしかに被告人には、前科や見るベき非行歴は認められない。しかし、本件各犯行の態様、犯行後の行動などに照らすと、その犯罪的傾向には軽視できないものがある。
 (キ)また、第1審判決が説示するように、被告人は公判審理を経るに従って、被告人なりの反省の情が芽生え始めていたものである。もっとも、差し戻し前控訴審までの被告人の言動、態度などをみる限り、被告人が遺族らの心情に思いを致し、本件の罪の深刻さと向き合って内省を深め得ていたと認めることは困難であり、被告人は反省の情が芽生え始めてはいたものの、その程度は不十分なものであったといわざるを得ない。
 そして、被告人は上告審で公判期日が指定された後、旧供述を一変させて本件公訴事実を全面的に争うに至り、当審公判でもその旨の供述をしたところ、被告人の新供述が到底信用できないことに徴すると、被告人は死刑を免れることを企図して旧供述を翻した上、虚偽の弁解を弄しているというほかない。被告人の新供述は、第1の犯行が殺人および強姦致死ではなく傷害致死のみである旨主張して、その限度で被害者の死亡について自己の刑事責任を認めるものではあるものの、第2の殺人および第3の窃盗についてはいずれも無罪を主張するものであって、もはや被告人は自分の犯した罪の深刻さと向き合うことを放棄し、死刑を免れようと懸命になっているだけであると評するほかない。被告人は遺族に対する謝罪や反省の弁を述べるなどしてはいるものの、それは表面的なものであり、自己の刑事責任の軽減を図るための偽りの言動であるとみざるを得ない。自己の刑事責任を軽減すべく虚偽の供述を弄しながら、他方では、遺族に対する謝罪や反省を口にすること自体、遺族を愚弄(ぐろう)するものであり、その神経を逆なでするものであって、反省謝罪の態度とは程遠いというべきである。
 第1審判決および差し戻し前控訴審判決はいずれも、犯行時少年であった被告人の可塑性に期待し、その改善更生を願ったものであるとみることができる。ところが、被告人はその期待を裏切り、差し戻し前控訴審判決の言い渡しから上告審での公判期日指定までの約3年9カ月間、反省を深めることなく年月を送り、その後は本件公訴事実について取り調べずみの証拠と整合するように虚偽の供述を構築し、それを法廷で述べることに精力を費やしたものである。これらの虚偽の弁解は、被告人において考え出したものとみるほかないところ、そのこと自体、被告人の反社会性が増進したことを物語っているといわざるを得ない。
 現時点では、被告人は反省心を欠いているというほかない。そして、自分の犯した罪の深刻さに向き合って内省を深めることが、改善更生するための出発点となるのであるから、被告人が当審公判で虚偽の弁解を弄したことは改善更生の可能性を皆無にするものではないとしても、これを大きく減殺する事情といわなければならない。


(4)以上を踏まえ、死刑選択の可否について検討するに、被告人の罪責はまことに重大であって、被告人のために酌量すべき諸事情を最大限考慮しても、罪刑の均衡の見地からも一般予防の見地からも、極刑はやむを得ないというほかない。
 当裁判所は上告審判決を受け、死刑の選択を回避するに足りる特に酌量すべき事情の有無について慎重に審理したものの、基本的な事実関係については、上告審判決の時点と異なるものはなかったといわざるを得ない。むしろ、被告人が、当審公判で、虚偽の弁解を弄し、偽りとみざるを得ない反省の弁を口にしたことにより、死刑の選択を回避するに足りる特に酌量すべき事情を見いだす術もなくなったというべきである。今にして思えば、上告審判決が、「弁護人らが言及する資料などを踏まえて検討しても、上記各犯罪事実は、各犯行の動機、犯意の生じた時期、態様なども含め、第1、2審判決の認定、説示するとおり揺るぎなく認めることができるのであって、指摘のような事実誤認などの違法は認められない」と説示したのは、被告人に対し、本件各犯行について虚偽の弁解を弄することなく、その罪の深刻さに真摯(しんし)に向き合い、反省を深めるとともに、真の意味での謝罪と贖罪(しょくざい)のためには何をすべきかを考えるようにということをも示唆したものと解されるところ、結局、上告審判決のいう「死刑の選択を回避するに足りる特に酌量すべき事情」は認められなかった。
 以上の次第であるから、被告人を無期懲役に処した第1審判決の量刑は、死刑を選択しなかった点において軽過ぎるといわざるを得ない。論旨は理由がある。



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光市母子殺人事件が結審しました。被告の弁護を行う安田弁護士は、早速上告するということですが、「極刑を回避する理由にはならない」「無期懲役では著しく正義に反する」として差し戻した最高裁ですから、上告棄却になる可能性は高いでしょう。


前回上告時、最高裁は自判せず、差し戻しにしたことで、被害者遺族の本村さんには非常に残酷な気がしましたが、むしろ、「いちいち永山基準で判決を出すのではなく、自分で考えて判決を出せ」というメッセージは高等裁判所にもきちんと伝わったのだと思います。

判決文は非常に丁寧に書かれていて、裁判で争われた争点の一つ一つに丁寧に触れていました。こういう判決文はいる意味異例だそうです。被害者の無念を論じるくだりでは、心を動かされました。

また、判決文においては、安田弁護士について暗に批判しています。

・安田弁護士が批判している一審の弁護士は誠実に弁護し、少年からも信認を得ていたこと

・安田弁護士になってから、証言を一変させていること

それに対して、裁判官は一つ一つ反論しています。

そして、

 第1審判決および差し戻し前控訴審判決はいずれも、犯行時少年であった被告人の可塑性に期待し、その改善更生を願ったものであるとみることができる。ところが、被告人はその期待を裏切り、差し戻し前控訴審判決の言い渡しから上告審での公判期日指定までの約3年9カ月間、反省を深めることなく年月を送り、その後は本件公訴事実について取り調べずみの証拠と整合するように虚偽の供述を構築し、それを法廷で述べることに精力を費やしたものである。これらの虚偽の弁解は、被告人において考え出したものとみるほかないところ、そのこと自体、被告人の反社会性が増進したことを物語っているといわざるを得ない。

として、「被告の利益を守るためにはあらゆることをする」 という立場を隠れ蓑に、死刑廃止運動を展開してきた安田弁護士に対して、結果、もし、弁護士の言うように、被告人がこれらの弁論を行っているのであれば、「被告に改悛の意はない」ということで、死刑を回避する理由はない、と断じました。

この点については、本村さんも、反省の意を翻して事実を争ったことが非常に残念で、もし、逆に改悛の姿勢を見せていたのであれば、死刑の判決にならなかったのかもしれない、と言っていました。


ところで、マスコミでの「死刑ハードル論」が批判を浴びています。本村さんがその場できちんと反論したので「ハードル論」が一人歩きすることはありませんでしたが、マスコミや、これまでの裁判所の姿勢が振りかざす、旧来の安易な姿勢は改めて問いただされているのだと言えます。


光市事件では、その際立った残虐性が争点であるにもかかわらず、永山基準という最高裁の判決基準を援用して、なんとなく死刑反対のムードを作り出そうとしていましたが、そういう逆風を跳ね返して死刑は存置すべきだ、という主張を貫き通した本村さんの努力により、日本の司法界は1歩も2歩も前進したと思います。

ところが、あいかわらずマスコミにでてくる識者・コメンテーター達は、裁判員制度にからめて、「僕は死刑判決を自信を持って出すことはできないと思うので死刑反対」みたいなことを言っているのには辟易します。

また、「国家や世論が「死ね」と言っているようで恐ろしい世の中になった」みたいな意見がテレビに流れる度に、本村さんの葛藤との差を感じずにはいられません。


「オレは死刑になりたくないし、死刑の宣告もしたくない」という理由で死刑を回避していいものなのか。本気でそう思う人が増えるのであれば、死刑判決の度にそういうことをいうのではなく、淡々と死刑廃止の議論を民主的に手続きしていけばよいのだと思います。ただ、浅薄に印象だけでコメントを垂れ流すのは非常に遺族感情を害することになるのだろうな、と思います。


本村さんは「被害者と遺族3人の人命が失われることになったのは社会的な損失」と言っていました。あの立場でこの発言、こういう人の崇高な気持ちを斟酌していかなくてはならないと思います。


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