2008年3月1日土曜日

量より質

短大生焼殺で死刑確定へ 「更生可能性乏しい」
【中日新聞】2008年3月1日 朝刊
http://www.chunichi.co.jp/article/national/news/CK2008030102091655.html

 静岡県三島市で2002年、女子短大生に火を付け殺害したとして、殺人や強姦(ごうかん)などの罪に問われた無職服部純也被告(36)の上告審判決で、最高裁第2小法廷は29日、服部被告の上告を棄却した。2審東京高裁の死刑判決が確定する。

 古田佑紀裁判長は「何ら落ち度のない被害者を、意識のある状態で灯油をかけて焼き殺しており残虐。強盗致傷罪などで長期服役し、仮出所からわずか約9カ月後の犯行で、犯罪性向は深化し、凶悪化している。更生の可能性は乏しい」と述べた。

 被害者1人の殺人事件で、強盗や身代金目的誘拐など金銭目的ではなく、殺人の前科もない被告の死刑確定は異例で、性犯罪に厳罰化を求める社会の流れを受け止める判断となった。

 弁護側は「被害者1人で、従来の基準と比べれば死刑は重すぎる」と主張していた。

 高裁判決によると、服部被告は02年1月22日夜、三島市の路上でアルバイト先から自転車で帰宅途中だった上智短大1年生=当時(19)=を車に連れ込んで監禁し、乱暴した。

 翌日未明、市内の山中で灯油をかけ、ライターで火を付けて殺害した。

 1審静岡地裁沼津支部判決は「残虐極まりないが、過去に殺人などの罪を犯していない。被告は幼少期から劣悪な生活環境だった」などとして無期懲役としたが、高裁は「存在が足手まといになった被害者を、塵芥(ちりあくた)のように焼殺した。犯行時30歳近い被告の成育歴を考慮するのも限界がある。遺族も極刑を望み、罪責はあまりに重大」と指摘し死刑を宣告した。

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 死刑を宣告する基準となる指標として、永山則夫裁判における最高裁の死刑適用基準、いわゆる永山基準というものがあります。

1. 犯罪の性質
2. 犯行の動機
3. 犯行態様、特に殺害方法の執拗性、残虐性
4. 結果の重大性、特に殺害された被害者の数
5. 遺族の被害感情
6. 社会的影響
7. 犯人の年齢
8. 前科
9. 犯行後の情状


というものですが、特に被害者の数と犯人の年齢が基準になることが多く、また、そこに焦点を当てた報道も多い印象があります。これは、その他の項目が抽象的で計量化できないものに対して、数に置き換えができることが理由の一つになるかもしれませんが、「一人殺してもせいぜい無期懲役だろう」といった、うっすらとした基準になってしまっているのは確かだと思います。

このことは、

 被害者1人の殺人事件で、強盗や身代金目的誘拐など金銭目的ではなく、殺人の前科もない被告の死刑確定は異例で、性犯罪に厳罰化を求める社会の流れを受け止める判断となった。

 弁護側は「被害者1人で、従来の基準と比べれば死刑は重すぎる」と主張していた。


という記事の論調からも明らかです。

私は、法律に明るいわけでもなく、特別に勉強したわけでもありませんので、戯言と聞き流していただきたいのですが、死刑の議論においては、存置派を自認している立場です。

その理由は、刑事罰には「共同体からの隔離/放逐」という側面に重要な意義があると考えているからです。

凶悪な事件を起こした人間が隣に住んでいても、気にならない、という豪放な人柄ではないので、そういう人と道ですれ違いたくも無いので、そういうことを考えない人になってもらうまでどこかに隔離してもらいたいです。つまり懲役を伴う教育刑に服していただきたい。

 また、教育しても効果がなく、別の人を殺してしまうような人であれば、二度と戻ってこれなくして欲しい。終身刑、または死刑を求めるということです。

最近、「司法が厳罰化を求める世論に追従している」とか、「裁判官によって判決にブレが大きい」というような論調がありますが、よくよく永山基準を見直してみれば、「犯罪の性質」「遺族の感情」「社会的影響」によって判断するとしているわけで、ことさら「被害者の人数」や「犯罪者の年齢」ばかりに判断基準に重きを置くのはバランスを欠くのではないかと思います。

 今回の事件においては、なんの落ち度もない被害者が、突然強姦され、灯油をかけられ、恐怖を煽られながら火をつけられ、殺されたという非常に凄惨な事件です。こんな人が近くにいたら、全力で逃げますし、犯行後にどれだけ涙を見せても、心から安心して普通に付き合うことなどできないと思います。

そういう意味で「被害者の数」が一人歩きするのではなく、事件の質や、影響を精査して、単にマニュアルに当て込むような判決ではない、責任と人間の知恵が介在した判決を裁判所に期待し続けていきたいと思います。


高等裁判所判決文はコチラ

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