2008年6月29日日曜日

立川談志・談春 親子会 in 歌舞伎座~entaxiの夕べ~

談志のすごさ残したい 立川談春、初のエッセー集出版
【産経ニュース】2008.5.13 07:57
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/entertainers/080513/tnr0805130758000-n1.htm





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「赤めだか」を出した立川談春 落語家の立川談春が、師匠・立川談志に入門して真打ちになるまでの修業時代の体験を中心にまとめた初エッセー『赤めだか』(扶桑社)を出版した。

 「談志のすごさを今残しておかなければ、(沖縄開発庁)政務次官になってすぐにやめたという事実しか残らなくなる。本を書くことで実像を残したかった」

 執筆の動機について、談春はこう話す。

 「赤めだか」は、談春が文芸雑誌「en-taxi」に連載した文章をまとめた作品で、タイトルは談志宅で飼われていた金魚にまつわるエピソードにちなんでいる。

 高校を中退し昭和59年、17歳で立川談志に入門、実家を出て新聞販売店で働きながらの前座修業。落語協会から分裂した談志一門の前座は寄席には出られず、師匠の身の回りの世話をする。師匠への反抗心、弟弟子への嫉妬(しっと)。生々しいエピソードの中に談志の人物像が浮かび上がる。

 「今のお笑いは師匠を持たず、自分で思いついたネタ2つ3つで大金を稼げるかもしれないけれど、それでいいの? 師匠から芸名をもらうことは、人じゃなくなること。そうしないと落語を教われない。そこまで踏ん切りをつけて教わるから伝わるものがある」

 談志を破門にした小さんとの師弟関係の秘話も興味深く、「誰も知らなかった小さんと談志を書きたかった」と明かす。

 読者に一番伝えたかったことは?と尋ねると、「そんなすごい人に影響を受けたボクもちょっぴりすごいでしょ?」と笑った。(栫井千春)

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「赤めだか」という本が出版された。扶桑社に「entaxi」という雑誌に掲載されていた立川談春という落語家の「ダンシュンの青春」というエッセイを単行本にしたものなのだが、これが滅法面白い。

これは、原題の通り、立川流家元、立川談志に弟子入りした、談春という落語家が、何を志して落語家になったか、天才落語家「立川談志」という人物とどういう交流があり、それらを取り巻く環境からどういうエピソードが生まれたか、という話なのだが、まず、第一に、この談春という人、ものすごく文章がうまい。

一つ一つのエピソードは落語家らしく、ばかばかしいのだが、要点はそのばかばかしさではない。ばかばかしい逸話をめぐる、談志と談春、そしてそれを取り巻く人々の思いやり、思い、悔しさや人生のままならない苦しさ、そういうものが重苦しくない形で描かれている。いや、そういうふうに書いていないのに文章と文章の間から滲み出てきているというほうが正しいのかもしれない。

人のやさしさを「やさしい」と表現するのはたやすい。だが、この「赤めだか」に出てくる人々は「やさしい」というだけでは伝わらないキャラクターと、心象風景を見せてくれる。

立川談志という人物は、見たまんまを描写しても十分読物になるのだろうが、書きすぎず、必要な部分だけを切り取って、泣き笑いに昇華させるこの談春の才能は尋常ではない。

今年一番の書籍であろう。

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というわけで、にわか落語ファンになった僕は「立川談志・談春 親子会 in 歌舞伎座~entaxiの夕べ~」に行ってきました。

歌舞伎座なんて高尚なものには無縁でしたが、予定より早く銀座に到着。

早く着きすぎたので、談春師匠が前座の時代に修行したという築地場外市場の「菅商店」も見てまいりました。(「あかめだか」でいうところの『スパイシー餃子』のところです。)テリー伊藤の実家の卵焼き屋もありました。









閑話休題。

歌舞伎座に戻り、いよいよ6時開演。お囃子が終わり、開幕した舞台の奈落から競りあがってくる談志・談春師匠。

談志師匠は容態が悪く、この一週間だけ劇的に容態が回復したので急遽出演と相成ったそうですが、見てるだけでも辛そうな様子。特に、喉がガラガラでしゃべっていることが聞き取りづらい。口上では、「この舞台で死んじゃうかもしれない。」「この舞台が最後」とか言って笑いを取っていましたが、結構洒落にならない感じでもありました。

もともと、「あかめだか」の出版元扶桑社のentaxiの座談会でも、談志師匠は

「近頃、何をしても面白くなくなっちゃった。これが肉体的な問題でね。無事に元気になるならいい、歩けるならいいんだけど、午前中は気力も何もないの、午後になるといくらかやる気が出てくるのか、少しマシになるけど、医者からは血糖値、糖尿と肝臓を直せといわれている。けど俺はこの年だからな、もう、いいよ。」

と言っていました。実は、これがこの講演をどうしても見ておきたかったところで、天才、立川談志の芸を見ずにしてよいのか、というのが高いチケット代を出してでも見に行きたかったところです。

体調が悪いなりに、「拉致太り」などと、不謹慎な毒舌を吐いて口上が終わりました。

親子会の口切は立川談春師匠の「慶安太平記」という根太。

「この根太はカッコイイ。カッコイイのにあまり誰もやる人がいないのでやってみようと思ったのだが、やってみて思ったのが、カッコイイけど、やるのが大変で、その苦労の割にあんまり面白くない」なんて言っていましたが、まさにその通り。(面白くないわけではありません。)

流れるような背景描写と緊迫するストーリー。さあいよいよクライマックス、というところで、アレっという感じ。知っている人は知ってるのかもしれないけど、初めて見た僕は目が点になりました。

2番目に出てきたのは、歌舞伎座らしく、花道から登場した談志師匠。

「体調崩して体重が50kgになった。」とか、「アタマが駄目になっちゃった」とか言いながら登場。
その場その場で思い出しながらのようにジョークとも小話ともつかない話を連発。声がしゃがれていて聞き取りづらいところもありましたが、話は面白く、もっと元気な時にちゃんと見ておきたかったと思いました。

あとで調べてみると、「やかん」という根太だったらしい。

根太だったらしい、というのはオリジナリティが強すぎて、ほとんど原型をとどめていないからだ。ただし、流れるような口調の小話の一つ一つが今のお笑いの瞬間芸のようなものではなく、受け止めて咀嚼してはじめてこみ上げてくるような、じわじわ面白い話で、「落語とは人間の業の肯定である」という談志の一つの集大成でもある気がしました。

休憩をはさんで、トリは談春。

マクラをすっ飛ばして、「あんた。起きてよ。仕事に行って頂戴っ。」

根太は「芝浜」でした。

これがものすごく面白い。

古典落語屈指の人情話として名高い「芝浜」ですが、しめっぽい感じは一切無しで、最後まで爆笑のまま舞台が暗転。

「芝浜」は談志の十八番で1月に国立演芸場の独演会でも最後にやったのがこの根太でした。談志のバトンを談春が受け取る、そんな時代の一コマを目撃したような一日でした。






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