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2008年4月15日火曜日

マニュアル厨

【4度目の判決 光市事件が問うたもの(中)】死刑の是非
【産経ニュース】2008.4.1521:26
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/080415/trl0804152128012-n1.htm

 「これからは2人殺害の事案では、よっぽど被告人に有利な事情がない限り死刑を科さなければならない。これは最高裁の意思だ」

 刑事裁判官の経験が長いある判事は、平成18年6月に言い渡された山口県光市の母子殺害事件の上告審判決をこう受け止め、担当した事件の判決にも反映させたという。

 上告審判決は「各犯罪事実は1、2審判決の認定するとおり揺るぎなく認めることができる」とした上で、「特に酌量すべき事情がない限り死刑の選択をするほかない」と指摘。「無期懲役の量刑は甚だしく不当で破棄しなければ著しく正義に反する」と結論づけた。

 戦後、量刑不当を理由に無期懲役の2審判決が破棄された事例はこれまでに2件しかない。だが、この判事が判決を重く受け止めたのは、単に異例のケースだったからではない。従来の量刑基準から厳罰化へと大きく舵を切ったものだったからだ。

 死刑適用の是非をめぐる裁判所の判断は、昭和58年に連続4人射殺事件の永山則夫=平成9年死刑執行=への上告審判決で示された「永山基準」に基づいている。動機や犯行態様、被害者の数、遺族の被害感情など9条件を列挙し、「それらを考慮してやむを得ない場合には死刑の選択も許される」としたものだ。9条件の中でも、最も重視されるのが「被害者の数」。1人なら無期懲役、3人以上では死刑、2人の場合はそのボーダーラインというのが、量刑の“相場”とされてきた。

ところが被害者が2人、しかも未成年による犯行だった光市事件を、最高裁は「死刑が相当」と判断したのだ。さらに判決は、永山基準の一節を引用しながらも、「死刑の選択も許される」から「死刑の選択をするほかない」へと表現を強めている。

 元最高検検事で白鴎大法科大学院院長の土本武司は「死刑がやむを得ない場合の『例外』から、特別な理由がない限り適用される『原則』へと逆転した画期的な判決」と指摘する。

 昨年9月に開かれた光市事件の差し戻し控訴審第10回公判。遺族として意見陳述を行った本村洋(32)は10分余りにわたった陳述を、こう締めくくった。

 「人の命を身勝手にも奪った者は、その命をもって償うしかない。それが私の思う社会正義です」

 本村の言う「私の思う社会正義」が国民の多くにとっても共通する認識であることは、死刑制度をめぐる各種世論調査の結果をみれば明白だ。内閣府による平成16年の調査では「賛成」が80%を超えた。裁判所の厳罰化の姿勢を後押ししているのは、本村ら犯罪被害者をはじめとしたこうした世論に他ならない。

 だが自身が死刑を宣告する立場になったら、確信をもって判断することができるだろうか。だれもがその判断を迫られる可能性がある裁判員制度は、来年5月21日に始まる。

 今年2月、強盗殺人などの罪に問われ1、2審で無期懲役とされた男の上告審決定で、裁判官5人の意見が3対2の二つに割れる極めて異例の事態が起きた。少数意見の死刑相当を主張した才口千晴は決定書で「裁判員制度を目前にして、死刑と無期懲役の基準を明確にする必要がある」との提言を付した。

 土本は期待をこめて語る。「光市事件の判決では、裁判員への指針となりうる判断を示してほしい。また、そうなるべき事件だ」
(敬称・呼称略)


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「量刑の厳罰化」という言葉が最近よく聞かれるようになりました。
厳罰化する傾向を、ポピュリズムが司法をリードするようでは、司法の独立が守れない、というような文脈で発言する人がいますが、量刑は刑法の範囲の中で行われることなので、「20年以下、または無期懲役」とされている罪状で死刑になるようでは、司法の侵害と言えますが、罪刑の範囲内であれば、問題ないのではないかと思います。

裁判員制度が厳罰化を加速するという発言も聞きますが、それは、現在の治安に対する不安の高まりであって、厳罰化する司法への不安が高まれば、裁判員制度はむしろ、それにストップをかける方向に進むのは間違いないと思います。

さて、厳罰化というキーワードが一人歩きをしているように思いますが、むしろ司法への不満というのは、本文にもあるような量刑に対する"相場"があるということ、そして、それが国民不在のまま、司法に携わる人々の中だけで形成され、固定化されてきたことにあると思います。

永山基準にしろ、実際永山則夫に死刑を宣告するにあたって拠り所にしたものであり、その時の関係者の中では非常に多くの議論がされたのだろうと思いますが、基準ができたとたんにそれが一人歩きをして、自由な審判を妨げてきたのではないか、というふうに思います。

何人殺したから死刑、とか、何歳の時に殺したから無期、のように機械的に量刑が審判されていくことこそ、裁判の無実化であり、司法はその意味で、自分の独立性を縛り付ける結果になっていると思います。「光市の事件では厳罰化が進んだ」みたいな短絡的で、矮小化した総括ではなく、「永山基準にとらわれることなく、機動的に審判を進める姿勢を示した」というような、感じに受け止めているのは僕だけなのでしょうか。





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2008年2月12日火曜日

勝馬に乗ろうとするマスコミ

割りばし事故:遺族敗訴「予見不可能」 東京地裁判決
【毎日jp】2008年2月12日http://mainichi.jp/select/today/news/20080213k0000m040107000c.html

 東京都杉並区で99年、のどに割りばしが刺さって死亡した杉野隼三(しゅんぞう)君(当時4歳)の両親が、杏林大付属病院(三鷹市)を開設する学校法人杏林学園と担当医に8960万円の賠償を求めた訴訟で、東京地裁は12日、請求を棄却した。加藤謙一裁判長は「割りばしが刺さったことによる脳損傷を予見することは不可能だった」と担当医の過失を否定した。両親は控訴する。

 担当医の根本英樹被告(39)は業務上過失致死罪に問われ、06年3月の東京地裁判決は無罪としたものの、適切な診察を怠った過失があると認定していた。同じ証拠に基づきながら刑事裁判と民事訴訟で判断が分かれ、両親はより厳しい結論を突き付けられた形となった。

 判決は、根本被告が適切な問診をしていればより重症であることが判明した可能性があると指摘したが、それまでに同様の症例がなかったことや病院搬送中の記録などを基に「髄液漏出や神経学的異常は認められず、当時の医療水準に照らし脳損傷の発生を診断すべき義務はない」と判断した。脳損傷の診断があった場合の救命可能性についても認めなかった。

 両親は「十分な診察を怠った」と主張して、00年の隼三君の誕生日(10月12日)に提訴。根本被告の過失に加え、チーム医療体制を構築していない不備や隼三君死後の説明の不適切さなど、病院側の対応も問題としたが、判決はいずれの主張も退けた。

 刑事裁判で1審判決は、根本被告のカルテ改ざんまで認めたが「救命可能性が極めて低かった」と判断して無罪を言い渡した。検察側が控訴し審理が続いている。【北村和巳】

 ▽東原英二・杏林大付属病院長の話 主張が認められほっとしている。改めて隼三さんのご冥福をお祈りする。

【ことば】割りばし死亡事故 東京都杉並区で99年7月10日、母らと盆踊り大会に来ていた隼三君が、綿菓子の割りばしをくわえたまま転倒。杏林大付属病院に運ばれ、担当医は5分間の診察で傷に薬を塗っただけで帰宅させ、隼三君は翌朝死亡した。司法解剖で7.6センチの割りばし片が脳に残っていたことが判明、死因は頭蓋(ずがい)内損傷群とされた。

 ◇「あまりに意外な判決 納得いかない」父親
 判決後に会見した隼三君の母文栄さん(50)は「必ず良い報告ができると約束して家を出てきたが、隼三に掛ける言葉すらない」とハンカチで涙をぬぐった。父正雄さん(56)は「あまりに意外な判決で動揺している。過失を認めた刑事裁判の証拠を無視しており納得いかない。明らかな医療ミスでないと許されるのか」と憤った。

 隼三君は「特殊なけが」と高度な設備が整った杏林大付属病院に搬送された。文栄さんは「開業医の方がするような治療もなく、警察が捜査したのに報告書もない。こうした病院のあり方に判決が言及してくれると信じていたが、残念」と語った。

 提訴から7年4カ月。事故当時は小学6年だった長兄で大学生の雄一さん(20)は、高校で教べんを取りながら死の真相を問い続ける両親の姿を見つめてきた。「父と母の苦労が否定された感じで悔しい」と話した。

 ウルトラマンが大好きだった隼三君は事故直前の七夕で、短冊に「正義の味方になって悪と戦いたい」と文栄さんに書いてもらった。文栄さんは「最後には隼三を正義の味方にしてあげたい」と話した。【北村和巳】

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まずは、少年のご冥福を祈ります。

 「わりばしが脳にささったことが予見できた。」ということが証明できなかったのであれば、敗訴という判決を受け入れるしかありません。遺族の方の深い悲しみには共感しますが、医師とて、すべてを予見することは不可能ですから。

・根本被告が適切な問診をしていればより重症であることが判明した可能性がある。
・チーム医療体制を構築していない不備(は病院の責任。)
・隼三君死後の説明の不適切さなど、病院側の対応も問題

と記事にはありますが、4歳で、怪我をして気が動転している幼児に問診が不十分だと言われても、どこまでやれば十分なのかわかりません。チーム医療体制がないなら、受入拒否すればよかったのでしょうか。

現在の医療状況とは違うので、一概に判断はできませんが、近くで様子を見ていたはずの親でさえ、割り箸が折れているのに気づかなかったのですから、「医師なら気づいて当然」というのは少し違う気がします。

 とは言うものの、「説明が不適切であった」という部分と、「カルテを改ざんしていた」というのは、医師にも問題があったのだろうと思います。特に、「担当医は5分間の診察で傷に薬を塗っただけで帰宅させ、隼三君は翌朝死亡した。」という下りを読む限りでは、本来最も重要な、患者との信頼関係を築けなかったという点でも医師の力不足という感が否めません。

 感情の上でも、理屈の上でも、うまく着地点を見出せなかったために、裁判ということになったのでしょうが、裁判の公判では、法的な意味での理屈の着地はできるのでしょうが、だからと言ってお互いが納得できる形になるとは限りませんし、今回もならなかったのは残念でなりません。

 事故というものは無くなることはありませんし、医療が最終的な完全形態にまで進化するということもありません。なので、「医療事故か、否か」という係争はなくなるわけがないのですが、この記事のように、一方的に叩きやすい側を叩く、というのには反対です。

 最後のパラグラフの「最後には隼三を正義の味方にしてあげたい」というあたりには、原告が正義であり、被告が悪であるというニュアンスを漂わせた、思わせぶりなことが書いてあります。

 「子供を失った遺族」よりも「医師」という記号のほうに悪のレッテルを貼ったほうが、読者の共感を呼びやすいということなのかもしれませんが、そういう、遺族の発言の切り貼りをして感情に訴えるのは、報道としては間違っていると思います。

 この記事を読む限りでは、「どちらが悪くて、どちらが正義だ」というものは見えてきません。遺族は可哀相だということは良くわかりますが。

 報道機関として、この事件の取材を行い、その上で、判決の不当性を問うのであれば、裁判に出てこなかった背景や、判決に至る論理構成を記事にするべきで、それが本来の報道のあり方ですが、法律や判決の瑕疵には具体的には触れずに、遺族の発言を切り貼りして、さも、「今回も正義が実現できなかった」みたいなことを書くのは、遺族の背中から陰口を言っているようなものです。

 事件を検証し、法律や、その運用に一石を投じるのであれば、意味がありますが、そうでなければ、法律や司法をないがしろにし、事件にかかわった病院関係者らを愚弄し、遺族に対しても、横から煽るだけになってしまいます。

 主張するなら正々堂々と。そうでないのなら、客観性を保った報道をしてほしいものです。



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2008年2月1日金曜日

逃がさない。

26年前の殺人「時効」認めない! 教師殺害事件で賠償命令
【産経ニュース】2008.1.31 15:29
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/080131/trl0801311529005-n1.htm

 昭和53年に殺害された東京都足立区立小学校元教諭、石川千佳子さん=当時(29)=の遺族が、26年後に犯行を自首した同じ小学校の元警備員の男(71)に約1億8000万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決が31日、東京高裁であった。

 青柳馨裁判長は、男の殺害行為に対する賠償請求権は消滅したとした1審東京地裁判決を変更、殺害行為の賠償責任を認め、計約4200万円の支払いを命じた。

 この訴訟では、「不法行為から20年で損害賠償請求権が消滅する」と規定した民法上の「除斥期間」をどう判断するかが争点となった。1審東京地裁は「殺人」と「遺体を隠し続けた行為」を分けて判断。殺人は除斥期間が過ぎているとして損害賠償を認めず、遺体を隠し続けたことについてのみ330万円の支払いを命じていた。

 青柳裁判長は、民法の相続関係の時効規定を挙げ、「相続権利があることを知らないまま時効が成立してしまう場合があり、この規定は、そうした不利益を受ける者を保護するためにある」と指摘した。

 その上で、除斥期間とこの民法規定を比較し検討。「相続の発生が分からない原因を作った加害者が20年で賠償義務を免れるのは、著しく正義・公平の理念に反することになる」と述べ、一定の条件下では、この時効規定の趣旨に照らして、除斥期間の効果は生じないと結論付けた。

 遺族は男を雇っていた足立区も訴えていたが、昨年12月に和解が成立した。和解条件には(1)区は2500万円を遺族に支払う(2)遺族に哀悼の意を表し再発防止に努める-などが盛り込まれた。

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 ざっくりとした事件のあらまし。

 足立区で小学校の警備員をしていた男が些細な口論から同校の女性教師、石川さんを殺害。
死体を自宅に運び入れ、床下に埋める。

 そのまま26年間だれにバレることなく暮らしていたが、2004年区画整理におり、自宅の立ち退きを迫られる。

 死体が発覚されるのを覚悟し、警察に自首するも、公訴時効である15年を過ぎていたため、男は千葉に新居を構え、公務員年金を受け取り悠々の生活。マスコミの取材にはホースで水をかけ、棒を振り回して追い回すなど、反省のカケラも見られない。

 被害者遺族にはなんの保障もされず、ただ、犯人だけが身分を守られて暮らしている状況に遺族が憤慨し、民事訴訟を起こす。

 地裁では「殺害への賠償請求権は消滅した」として、遺体を隠していたことについて330万円の賠償を命じる。男は、1回も裁判に出廷せず。

 高裁において、除斥期間を認めず、「殺害への賠償請求権を認める」という判決を出し、賠償を命令。

詳しくは


 どういうことかと言うと、

 民事訴訟における賠償請求権に触れている民法724条によると、

第724条
(不法行為による損害賠償請求権の期間の制限)

 不法行為による損害賠償の請求権は、被害者又はその法定代理人が損害及び加害者を知った時から3年間行使しないときは、時効によって消滅する。不法行為の時から20年を経過したときも、同様とする。

 ということで、通常であれば、賠償請求権は20年。今回のケースは26年過ぎているわけですから、一審の東京地検の判決は法律論としては妥当な判決だったわけですが、今回の高裁の判決は「除斥期間はない」という考え方を認めて、一歩ふみこんだ判決を出しました。

 「除斥期間」というのは民法724条の「不法行為の時から20年を経過したときも、同様とする。」という部分です。これは、「著しく正義・公平の理念に反する場合には除斥期間の適用がない」とする、東京予防接種禍訴訟(平成10年6月12日)の最高裁判決に基づいています。

 今回の事件については、民事訴訟を起こそうにも、訴訟を起こす相手がわからなければ起こしようがありません。青柳裁判長は「相続権利があることを知らないまま時効が成立してしまう場合があり、この規定は、そうした不利益を受ける者を保護するためにある」として、賠償請求権の時効は認めないというわけです。

 大岡裁きではありませんが、我々は共同体においての社会正義というものの存在を信じて生活しています。その存在が疑われるようでは、安全な生活を営むことはできません。

 本件のように「人を殺しても、どこかに隠して15年過ぎれば罪にならない。20年過ぎれば賠償する責任もない」ということで犯罪者が開き直って大手を振って生きていけるような世の中になってしまっては、社会が崩壊していってしまうことは間違いありません。

 賠償されても、殺された人が生き返るわけではないので、遺族の方には気の毒に思いますが、それでも今回の判決では「一矢報いることができた」と思ってもらえるのではないでしょうか。

※「除斥期間」についてはこちらのサイトを参考にさせていただきました。http://flugel.at.webry.info/200609/article_65.html


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2008年1月29日火曜日

ロハスじゃなかったの??

もう「マクドナルド」は買わない=店長に不当な労働条件と東京地裁
LiveDoorNews【PJ】 2008年01月29日2008年01月29日07時29分 http://news.livedoor.com/article/detail/3485062/

東京地裁は28日、日本マクドナルドの「125熊谷店」(埼玉県熊谷市)の店長高野広志さん(46)を「権限のない店長を管理職扱いし、残業代を支払わないのは不当」とした判決を下した。2年分の未払い残業代や慰謝料などの支払いを求めた訴訟の判決で、「管理職に当たらない」として約750万円を支払うよう同社に命じた。

 99年に店長に昇格した高野さんは早朝から深夜まで調理や接客を行い、残業時間が月100時間以上に及ぶこともあった。同社は「店長は管理職だ」との理由で、名ばかりの管理職を盾に残業代を支払ってこなかった。

 店の運営がバイト主体の実態の中で店長の負担は大きく、過酷な長時間労働を強いられてきた。中間管理職への残業代をカットできるという経営者側の思惑が、店長という名前だけの管理職をつくり出している。

  店長を時間外手当の支払い対象外にする便法として管理職扱いするケースは、ファストフードやコンビニ業界を中心に深刻な労働問題を引き起こしている。紳士服大手のコナカ(横浜市)、家電量販店大手エディオン傘下の「ミドリ電化」(兵庫県尼崎市)など広範な業界にも広がっている。
 近年財界が導入しようともくろむホワイトカラー・エグゼンプション(労働時間規制の適用除外)が何をもたらすのか、この問題の延長上に見えてくる諸問題とともに、判決後の対応についても監視していきたい。

 この判決に対し即日、日本マクドナルドは「主張は正しいと認識しており控訴する方向で考える」と表明した。控訴を断念し、判決のすみやかな実行があるまで、すべての働く仲間に直ちにマクドナルドに対する不買運動を呼びかける。【了】

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 私の勤める会社でも、同様の事態が起こっている。むしろマクドナルドよりも深刻かもしれないともいえるが、表立って話題になることはないものの、「見ました?アレ。」みたいに、気の置けない同僚の間で話題になっていました。

 「若いうちは、一生懸命働いたほうが力になる」とか、「がんばって会社が大きくなれば、将来の生活が豊かになる」とか言われてきましたが、ウチの会社はそういって10年過ぎました。
 だらだら働くよりは、一生懸命働いたほうが自己の成長のために良いというのは確かだと思いますが、それが常態化することが健全とはとてもいえません。

 今だけがんばって、利益がでても、「もう十分利益が出るようになったから、来期からは無理をやめよう」という話になるはずがありまえんね。「さらにがんばれ」という話になるのは目に見えています。これは企業における偽装です。

 アフター5が充実していて、利益も出ている会社というのは、それがシステムとして成立しているのであって、無理をしないと利益がでない、という会社もまた、そういうシステムが成立しているのです。
 「ホワイトカラー・エグゼンプション」という言葉はまた聞かれなくなってきましたが、こういう現状を踏まえてもなお、「あれは『家族だんらん法』だ」などという戯言が吐けるのでしょうか。

 年収1000万円クラスの会社員を想定していたホワイトカラーエグゼンプションは、あれよあれよといううちに、700万円になり、最後には400万円になりました。日本のサラリーマンの平均年収は、たしか423万円くらいだと思いますので、過半数のサラリーマンは無制限に残業をしろ、という暴言に国が裏書をすることになります。

 環境問題では、LOHASだとか言いますが、労働環境こそ、"Life Style of Healthy & Sustainable(健康的で持続可能なライフスタイル)"を訴えるべきではないのでしょうか。


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2008年1月25日金曜日

「立場の違い」では片付けられない

2児殺害公判 きょう論告求刑【YOMIURI ONLINE】
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/akita/news/20080124-OYT8T00811.htm

検察側 厳刑求める方針

 藤里町の連続児童殺害事件は25日、秋田地裁(藤井俊郎裁判長)で、殺人と死体遺棄の罪に問われた同町、無職畠山鈴香被告(34)の論告求刑公判を迎える。長女彩香さん(当時9歳)への殺意の有無が最大の争点となる中、検察側は、畠山被告が彩香さんに抱いていた嫌悪感が極限に達した犯行とし、さらにわずか1か月余りのうちに起きた近所の小学1年米山豪憲君(当時7歳)殺害の残忍性も指摘し、厳刑を求める方針とみられる。

■殺意の有無
 彩香さんの事件を巡り、弁護側は、彩香さんとの肌の接触が苦手だった畠山被告が、同町内の大沢橋の欄干に座っていた彩香さんに抱きつかれそうになった際、思わず左手で払った事故だったと主張。畠山被告は被告人質問で、「(彩香さんが)覆いかぶさった形になって怖かった」と説明した。

 畠山被告が彩香さんと2人で橋の上にいたのを、事件直前に車で通りがかった女性が目撃した証言があるが、殺害と結びつく直接証拠はない。畠山被告の弁護人は公判前整理手続きのさなか、関係者に対し、「彩香ちゃんの事件は何も(殺人の)証拠がない」と自信をのぞかせていたという。

 畠山被告は捜査段階で殺害を自供していたが、公判で否認に転じ、自白の任意性を争う展開になった。検察側は、地域住民や元交際相手らの証人尋問で、畠山被告が日ごろから彩香さんの育児を怠り、疎ましく思っていたとうかがわせるエピソードを引き出し、殺意が芽生えるまでの“序章”を浮かび上がらせた。

 さらに、畠山被告の被告人質問で、彩香さんが橋の欄干に座るまでのやり取りの不可解さも追及。魚を見たいとせがんだ彩香さんに対し、「(欄干に)上らないなら帰るよ」と言ったことについて、検察官が「帰らせようというより上らせようとしているふうだ」と指摘するなどし、矛盾点を突いた。

■自白の任意性
 また、検察官が怖くて不本意な供述調書にも署名したという畠山被告の主張に対し、検察側は、留置記録をつまびらかにし、畠山被告が「(検察官が)ネクタイが4日も同じで笑いをこらえるのが大変だった」などと語った内容を明かし、畠山被告の供述に一貫性がなく、信用できないとの印象づけを図った。

 弁護側が不同意としていた彩香さん殺害を認めた供述調書について、裁判長は取調官の証言などを基に、「任意性を害するような心理的動揺を与えたといえない」として証拠採用した。

■健忘の有無
 公判と同時並行で進められた精神鑑定で、担当した青森市内の医師は、彩香さんが橋から転落した際の畠山被告の健忘を認め、「転落直後に発生し、期間は直前直後の数秒間で、質的には重篤」と結論づけ、弁護側の主張に沿う格好となった。

 一方、検察側は、捜査段階に行った簡易精神鑑定をもとに、転落直後に記憶は失われていなかったと判断し、畠山被告が帰宅後に近所を尋ね回った行為が隠ぺい工作にあたるとしている。畠山被告と同じ団地の住民や小学校教諭が証人として出廷し、畠山被告が彩香さんが転落した直後、「(彩香さんは)出かける時に何も言っていなかった」「友人の家に遊びに行くと言っていた」などと説明を変遷させていたことを明らかにした。

 検察側は、豪憲君の両親らが「死刑しか考えられない」などと強い処罰感情を訴えていることなどから、2人の幼い命を奪った身勝手で理不尽な犯行と指弾する方針とみられる。弁護側は最終弁論で、彩香さんへの殺意を否認し、豪憲君殺害当時は心神耗弱状態だったとして減軽を求めるとみられる。

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 犯罪や事故の被害者遺族の心情に、「真実を明らかにしてほしい」という思いがあります。その他にも、「加害者に刑に服してほしい」「賠償してほしい」などという思いもあるでしょうが、それと比較しても、真実を欲する気持ちというのは大きなウエイトを占めるであろうことは間違いないと思います。

 そういう感情を実現するのが、正義であり、司法が果たすべき役割であろうと思いますが、残念ながら、そういう思いを満たすのには、いまだに不十分であるといわざるを得ません。

 犯罪を犯したものにも、弁護士を立て、弁論を通じて被告の利益を図るということはとても大切なことです。そして、その弁論がどんなものであれ、耳を傾けなければなりません。

 こうした審判過程をたどるのは、ひとつには被告の利益を守るということですが、もうひとつは、この過程を経ることで、真実を明らかにしていこうということだと思います。

 ところが、実際の公判過程を見ると、被告の身勝手な言い訳を垂れ流されることに終始し、真実はどんどん遠のいていってしまうように思います。

 被告の利益を最大に考えると、真実を隠蔽し、ミスリードし、違うストーリーとして上書きしたほうが良い、という弁護側の戦略なので、それを罰することはできません。

 罰することはできませんが、腑に落ちない思いが残ります。

 被告は反省の念を声高に訴えますが、本当に反省しているのならば、真実を明らかにする努力をして、審判に向き合うことが不可欠あると思います。

 そして、そういう姿勢がない被告の様子が、様々な裁判で現れるたびに、「あー、『反省の念』というのは減刑を求めるためにあるのだな」と、本来の反省とは違う意味のものに感じられてしまいます。これは「心神耗弱」とかも同じです。

 被害者遺族は、愛する家族を失ったばかりか、その行為の正当化や言い訳を聞かされ、二重三重の苦しみを味わうことになります。その心情を推し量ると、気の毒でなりません。

 加害者が、反省していようが、心神耗弱状態であろうが、更正の可能性があろうが、未成年だろうが、殺された被害者は絶対に帰ってきません。

 司法の厳罰化が進む、みたいな言い方がされますが、裏返せば、こうした形骸化した減刑のための儀式が、いかに遺族を苦しめ、国民に社会正義の不在を感じさせてきたかの証座であろうと思います。

 光市の事件以降、被害者遺族が積極的に発言する事件が増えてきました。そして、そういう事件が国民の関心を呼び、裁判のやりとりが、一般の感覚とズレていることを感じているはずです。

 司法全体は国民の感覚を受けて、変容してきているように思いますが、そういう空気に一番鈍感なのが、弁護士のように感じます。やたらと精神鑑定にかけたり、と減刑に汲々としますが、そういうパフォーマンスを繰り返し、稚拙な作文を朗読しているようでは、ますます厳罰を求める傾向は高まっていくのではないでしょうか。

 一般の感覚には通用しないような法廷戦術を駆使すれば、仮にどういう判決を受けるにしても、被告の名は卑劣な犯罪を犯したあげく、身勝手な主張で自分を正当化し続けた悪人という汚名を残すことになります。それが本当に被告にとって良いことなのでしょうか。


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差はないけど、違いはある。

外国籍を理由に在日3世の調停委員選任を拒否 大阪家裁
【asahi.com】2008年01月24日
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200801240096.html

 所属する大阪弁護士会から調停委員に推薦された在日韓国人3世の林範夫(イム・ボンブ)弁護士(44)が、大阪家裁から外国籍を理由に選任を拒否されていたことがわかった。外国籍の弁護士に対する調停委員の選任拒否は03年以降、神戸家裁と仙台家裁に続き今回で5件目。同弁護士会は24日、「国籍による差別だ」として、大阪家裁や最高裁に撤回を求める文書を発送した。

 同弁護士会によると、林弁護士は昨年12月、離婚や相続のトラブルで仲裁役を務める家事調停委員の候補者として、日本国籍の弁護士78人とともに弁護士会から推薦された。だが、大阪家裁は今月15日、林弁護士について「最高裁に任命を上申しない」と回答。「調停委員は公権力の行使に携わる国家公務員で、日本国籍が必要」と説明したという。

 調停委員は、地裁や家裁が一般の応募者や弁護士会の推薦を受けた弁護士を選考し、最高裁が任命する。最高裁は任命基準に国籍を制限する決まりを設けていないが、調停委員会の命令が守られない場合に罰則があることなどから「公務員」との立場をとっている。

 林弁護士は94年に弁護士登録。交通事故や建築関連などの民事事件を手がけてきた。「これまでに培った知識や経験は調停委員でも生かせるはず。日本社会の一員でないかのように排除されて悔しい」と話している。

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 人権擁護法案といい、いろんな事案で「外国人に権利を認めないのは差別だ」という論調があります。ただし、なんでもかんでも、「日本人に認められてることは外国人にすべからく認めるべき」で、そうでないものはすべて「差別」だ、という論調はおかしくないですか。

 日本国籍を持ってない人と、持っている人という区分けは厳然としてあるわけで、区分けはあるのに区別しないなんていうのはおかしいと思いますよ。だって、違うんだから。

 差別は根絶されるべきで、人種によってそれが行われるのはおかしいのはもちろんです。

 ただし、問題とされているのは、人種ではなく、国籍であって、日本が無くなっても、頼れる何かがある人が、日本がなくなったら本当に困る人と同じ発言権があっていいのですか。日本を売って、その利益をのうのうと自国に戻って享受している人がいたらおかしいと思いませんか。この主張の行き着くところはそれを是とする世界です。

 もう死語ですが、居候が住まわせてもらっている人にあれこれ言いますか。まぁ、言っても良いけど、決断するのはその家族であって、「その条件は飲めないから、気に食わないなら、他所の条件の良い家を探してくれ」というのが普通じゃないですか。

 この日本国籍78人の弁護士というのはいったいなんなんでしょう。

 年配の人と話をすると、割と「反権力」というスローガンに憧れを持っている人は意外と多いです。永山則夫とかにシンパシーを感じたり、彼の著作に感銘を受けたという人の話を聞いて呼んでみたのですが、まったく説得力を感じませんでした。

 「時代の寵児」という言葉の通り、時流に乗って、思っても見なかった人にスポットライトがあたることがあります。しかし、普遍的な価値を持つかどうかは、その時代の潮目が変わったときにわかります。
 時代背景にかかわらず、一定の説得力を持つもの、なにかを訴えるものが普遍的な価値であり、時代の助けを借りなければ、意味を流布しえないものは、やはり、それだけの価値のものという判断をくださずにはいられません。

 一方で、その変化を頑なに拒み、あがいている人がいるのも事実です。

 そういう人たちが、この78人の弁護士、そして朝日新聞の姿に重なって見えてなりません。


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2008年1月8日火曜日

被害者の無念に資する司法を

3児死亡事故の今林被告に懲役7年6月、危険運転罪退ける【読売オンライン】http://kyushu.yomiuri.co.jp/news/ne_08010852.htm


 2006年8月、幼児3人が犠牲になった福岡市の飲酒運転追突事故で、危険運転致死傷罪と道交法違反(ひき逃げ)に問われた元市職員今林大(ふとし)被告(23)の判決公判が8日、福岡地裁で開かれた。川口宰護(しょうご)裁判長は「酒酔いの程度が相当大きかったと認定することはできない」と述べ、危険運転致死傷罪(最高刑懲役20年)の成立を認めず、予備的訴因として追加された業務上過失致死傷罪(同5年)を適用、道交法違反(酒気帯び運転、ひき逃げ)と合わせ法定刑上限の懲役7年6月(求刑・懲役25年)を言い渡した。

 量刑理由について、川口裁判長は「結果の重大性、事件の悪質性にかんがみると、刑の上限をもって臨むのが相当」と述べた。
 今林被告は危険運転致死傷罪で起訴され、公判では、同罪の適用要件である「アルコールの影響により正常な運転が困難な状態」だったかどうかが争点となった。

 川口裁判長は、今林被告が運転を始めた時、「酒に酔った状態にあったことは明らか」としながらも、〈1〉スナックから事故現場まで蛇行運転や居眠り運転をせず、衝突事故も起こさなかった〈2〉事故直前、被害者の車を発見して急ブレーキをかけ、ハンドルを切った――ことなどを重視し、「アルコールの影響により、正常な運転が困難な状態にあったと認めることはできない」と判断した。その上で「景色を眺める感じで脇見をしていた」とする今林被告の供述の信用性を認め、事故の原因については「今林被告が漫然と進行方向の右側を脇見したことにあった」と結論づけた。

 弁護側は、業務上過失致死傷罪を適用した上で、執行猶予を求めていたが、川口裁判長は「前方を注視し、進路の安全を確認するという最も基本的かつ重要な業務上の注意を怠った。酒気を帯びた状態にもかかわらず、時速約100キロの高速度で運転し、危険極まりなく悪質」として退けた。

 ひき逃げについても「市職員の身分を失いたくないなどと自己保身に汲々(きゅうきゅう)としていた。交通規範意識は著しく鈍麻していた」と指摘。さらに飲酒運転による悲惨な事故が後を絶たないことに触れ、「家族の幸せを一瞬にして破壊し、葬り去った本件のような交通事故が繰り返されないよう願わずにはいられない」と述べた。

 検察側は、今林被告の言動や警察官による飲酒の再現実験などから「被告は相当酩酊(めいてい)し運転操作が極めて困難な状態だった」と主張。危険運転致死傷罪と道交法違反の併合罪で法定刑上限の懲役25年を求刑した。同地裁は結審後の昨年12月18日、福岡地検に対し、業務上過失致死傷罪と道交法違反(酒気帯び運転)を訴因に追加するよう命令。同地検は「命令に応じなければ、3児死亡の重大事故でありながら、危険運転致死傷罪について無罪になる可能性がある」と判断。判決言い渡し前に再開された弁論で、業務上過失致死傷罪を予備的訴因として追加する変更手続きを行った。
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 なにも悪いことをしていないのに、悪いことをした人がいたせいで、家族を奪われた遺族の気持ちに思いを致すと胸が苦しくなります。たしか、事故の後、この被告に水を飲ませて飲酒運転を隠蔽しようとした友人が「証拠隠滅」の疑いで逮捕されているはずです。裁判での立証責任は検察側にあるのも十分分かるのですが、「酩酊とは言い難い程度の飲酒だったので、3人が亡くなるような重大事故が結果としておきたとしても、正常な運転が困難な状態にあったと認めることはできない。」というのは実に不可解です。

 とかく、刑事裁判において、「…と認めることはできない」とか「…は否定できない」とか、どこまで完璧に証拠を固めないと認定されないんだ、という歯がゆさが残りますね。

 もっと不可解なのは、(まあこの裁判ではないんですけどね。)「被告の更正の可能性を否定できない」っていうやつですね。そりゃ、どんなヤツだって、1%くらいは更正の可能性はあるでしょうよ。でもそれって罪を減じるに値する要素なの?っと思ってしまいます。

結局、現行の制度では、法令、立件過程、裁判過程といろんなところで不作為が入り込み、最高刑から引き算で減刑されたところの落とし処=判決 みたいになっている気がします。
これから裁判員制度がスタートしますが、裁判員制度によって、裁判自体の議論がものすごく沸騰する
気がします。

それにしても、3人死んでも、ほろ酔いだったからとか、余所見だったからとか、被告の年齢がとか、被告の心理状態が…とか、被害にあった人とはまったく関係ないところで裁きが下るいうのも、いかがなものかと。被害者感情にべったり、とか世論になびいて、なんて判決は困りますが、ただ、現在のように刑法という亜空間の閉じた議論のなかで完結してしまうのも、それはそれで異常な気がします。




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